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No.941 うーん、どうかい?

もうずいぶん前のことになりますが、子どもたちの運動会の数日前にわざわざ「栗」を届けて下さった教え子のお母さんがいました。もともとは、栗の実を干し、臼で搗いて殻と渋皮を取り除いたものを「搗(か)ち栗」と言ったのだそうですが、「かち」の音が通じて「勝ち栗」とも呼ばれるようになったようです。
 
娘は、徒競走で4等でした。それでも、苦手なかけっこを「しら真剣」に走った上の結果です。自らに勝ったのは、「勝ち栗」のお陰だったと思いました。向田邦子のお父さんなら、娘の代わりに駆け出していたところでしょうが、私には、そんな度胸はありません。「勝ち栗」を食べなければいけないのは、私の方だったのかもしれません。
 
『新俳句歳時記』の秋の部に「運動会」があります。その中に、
「運動会少年の日は長かりき」
という俳人・三溝沙美(さみぞさみ、1891年~1977年)さんの句が載っています。子どもの頃の私にとっても、運動会の一日は長いものでした。既に前日の夜のうちから期待と不安が交錯しています。行事がある前の晩は、決まって興奮して眠れなくなりました。
 
小学生の頃、運動会の日は、たいがい好天気に恵まれました。本校舎の屋上から何条にも伸びた万国旗が青空に映えます。朝から流れる、弾けるように明るい音楽が、非日常の世界に誘っているようです。
 
そして、高らかに花火が打ち上げられ、いざ本番です。入場行進に始まり、ラジオ体操、学年別かけっこ、器械体操、障害物競走、玉入れ、リレーゲーム、応援合戦、パン食い競争、綱引き、騎馬戦、紅白対抗リレー、ダンス等々、60年近く前の運動会のプログラムを今も懐かしく思い出してしまうのです。
 
中でもリレーゲームの副題は「世界一周」という大仰なネーミングでしたが、2本の竹の突端に渡した紐の中央からぶら下げられた網に入ったバレーボールを思いっきり蹴ってグルリと一回転させたらオーケーというものです。竹を持った一方の先生は、目隠しをし、ボールに背を向けて遠慮なくゆらゆら揺らすので、上手く蹴ることが出来ません。運よく1度で見事に1周させると「オオーッ!」とどよめきや歓声が起きました。
 
母の手作りのお重の弁当を、健在だった祖父母と両親、そして、兄弟3人の家族で囲んで食べました。なんて豊かで、なんて美味しく、なんて得難い時間だったのでしょうか。長い運動会の1日は、今も鮮やかにカラーで残っている心のアルバムです。
 
あれから60年以上が経ちます。祖父母も両親も鬼籍に入ってしまいました。
俳人・三溝沙美さんには、こんな句もあります。
「晴耕といふも草取より出来ず」
今の私の生活を言い当てたような沙美さんの一言が聞こえてきそうです。
「うーん、どうかい?」


※画像は、クリエイター・めろさんの、「昔、運動会の時に使ったお弁当」の1葉をかたじけなくしました。なんて豪華な!家族の笑顔も写しているようです。お礼申し上げます。