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No.221 こぶしではなく、つぶしをきかせたい。

 「俺はこの生き方を変えられない。もっと器用に立ち回れたら、県庁での暮らしも楽になるんだろうけど…。胸を張って仕事したいんだよな。俺がスーパーで、お前がスポーツクラブに派遣されてたらどうだったかな」
 「あぁ…どうだったかな」
 「お前ならたぶん最後までやったと思うよ。俺はスーパーに馴染めなくて、研修途中で県庁に出戻っていたかもな。俺はつぶしがきかなくてダメだな」
 さやいんげんのごま和えを口にした。長いこと噛んだ。

 『県庁の星』(桂望実著・小学館)の一場面。2万9千人の県職員の中から民間への人事交流研修派遣として、将来を嘱望される6人が選ばれました。そのうちの桜井圭太(スポーツクラブ)と野村聡(スーパー)とのやりとりです。

 「つぶしがきく」とは、金属製品からきた言葉で、溶かせば別のものに再利用することができるという意味の言葉だといいます。だから、「つぶしがきかない」は、別のものにできない、切り替えや応用が利かないということなのでしょう。公務員的思考と民間的思考の柔軟性も乖離もありそうな話です。私は、「長いこと噛んだ。」の短文にグッと来ました。

 言葉にしたくても言葉にならない思いの数々、県職員としての誇りと生き方が、研修先では通用しないことへの悔しさと、対応できない自分自身への歯痒さや苛立ちが切々と感じられる表現です。つぶしのきかない桜井は、さやいんげんをなかなか呑み込めません。一途な故に呑み込みが悪く、不器用で迷いがちなその性格は、「明治仁君」と山の神から揶揄される私にも思い当たる事多く、感情の機微を伝える「長いこと噛んだ。」の7文字に込める作家のセンスに「ほ」の字です。

 「つぶしがきく」人とは、変化に柔軟で、未来を予測することができ、確固とした信念や自分というものを持ち、周囲への発言や発信や影響力のある人ということでしょうか。ない物ねだりを言っても詮無い事ですが、近年の疫病禍による様々に派生する問題や、新たな社会構造を考えるときに、柔軟な思考と対応力は、いやでも求められてくるのでしょう。

 「変化」は「節操なき変節」ではないと思います。自己否定ではなく、自分を高め、自分をきわめる模索だと考えています。

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