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No.558 先ず生きる姿を見せてくれる人

大分合同新聞には「灯」という600字ほどのコラム欄があります。県内在住の各界の専門家たちが、読者の「見たい、聞きたい、知りたい」に応えてくれたり、その道の専門家らしい気づきを与えてくれたりします。心の中に、ほのめくような温かく優しい光を投げかけてくれるお話を綴っていることもあります。

その「灯」の筆者の一人である後藤宗俊先生は、私が高校時代に「社会科」を教えて下さった方です。後に、県の文化財課の職員として活躍され、いつしか別府大学史学科で研究に勤しまれ、教壇に立たれました。1987年には、考古学研究の第一人者で、埋蔵文化財行政を牽引した坪井清足を顕彰した賞も受賞されています。現在は、名誉教授です。
 
6月のある日の「灯」の欄で、恩師の宗俊先生が正岡子規を取り上げておられました。
「(略)ここで子規の俳句を一句。
――薔薇を切る鋏刀(はさみ)の音や五月晴
 子規34歳、亡くなる直前に詠まれた句である。病床では妹の律が付ききりで看病していた。
 その律が庭で花の手入れをしている。病床の子規にその妹の姿が見えていたのか、ただ鋏の音だけを聞いたのか。
 重い病の床にあって極限まで鍛え上げられた感性。類を見ない強靭な精神力。ただこの句から読めるのは、その感性と精神力の根底にある限りない優しさであるように思われる。」
 
「その感性と精神力の根底にある限りない優しさ」を句の中に見出せる先生の鑑賞力に今も畏れと憧れを抱いている私です。一つの句にも惜しみない愛情を注がれ、作者の心に迫っています。
 
80代半ば近くになられる恩師ですが、今も健筆をふるいながら、こうして紙上から教えを下さいます。「先生」とは、「先に生まれた人」なのではなく、「先ず生きる姿を見せる人」なのではないかなと思っています。