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『すずめの戸締り』が呼んでいる嘘のような本当の話

-ネタバレ含みます-







3月21日、火曜日。
前日の月曜日に仕事上で事件(トラブル)があり、全力で事にあたる。その結果私は頭痛を発症、寒気、倦怠感と戦いながらも、翌日(火曜日)の会議資料を作り、帰路に着く。

『明日はサボろう。』

とても褒められた社員では無い。
多分、職場は大混乱なんだろうな。
『支柱』である私が突発的に居ないのだから。

まぁ、そんな事はどうでも良くて。
3月21日、火曜日。午前10時半頃。

『今日どうしようかなぁ。』

なんて思いながら車を走らせ、宛のない旅にでも行こうかとも思う。

いや、映画だ!映画を見よう! 


今、何の映画が上映されているのかは知らない。でも何故か行こうと思ったのだ。

《同時刻》
ビジネスパートナーでもある相棒が記事を書いていた。思った事を綴った記事。
私が記事の存在を知る事になるのは投稿から8時間後。記事を書いていた事も知らない。
その記事には母との記憶。家族の記憶が書かれていたと思う。(敢えてこういう書き方をしている。)

映画館に付き、入口で上映スケジュールを見る。

『すずめの戸締り』

何故かこのタイトル、映画が呼んでいる気がした。私はこの映画を一度も見ていない。内容も知らない。それでも呼ばれたのだ。
入場券を買い、時間までSNSを眺める事にする。

午前11時過ぎ。
この時点で前出の記事は投稿されていた。
しかし、私はまだ知らない。


映画『すずめの戸締り』では、主人公である『すずめ』が『ソウタ』と共に文字通り『戸締り』をする話。ただし、そこには『家族』『記憶』『業』『恋愛』『友情』『人』が描かれている。(私なりの表現です。)

地下に眠るミミズが扉から出てきて地震を起こす。それは人々の『業』がもたらす、人に対する神の制裁であるとされる事もある。人が居る限り『業』であるミミズは無くならない。

すずめとソウタ、叔母さん、友達、旅先で出会う人々。まるで必然のように出会い、1本の線のように繋がっていく。西から東へ。
まるで巨大なミミズを追いかけるように。
人の『業』が集まる場所へと誘われて行く。


忘れるな!忘れるな!忘れるな!


永遠とも言える時を繋ぐ要石。その身を賭して、『業』に触れ、時間をかけて神と成る。
それはまるで、人柱の様ではないか。しかし、きっと要石は人柱では無いのだろう。記憶の代弁者なのではないだろうか。

『私が要石になる!』

すずめの悲痛な叫び。
そうする事が償いであり使命であるかのような、常世(とこよ)を見た者の使命であるかのような叫び。ただ、好きな人を救いたい。ただ、好きな人が居ない世界が怖いんじゃない。

それこそが、すずめの『業』なのではないのか。

映画で何を描きたかったのか、真意の程は監督のみぞ知る所であろう。それに言及する程、私は愚かではない。


何が伝えたかったのか?
何を見せたかったのか?

見た人が感じ、考え、行動すればいいのだ。


3月18日。
全てはここから始まっていたのかも知れない。
巡り合わせてくれたのかも知れない。
考えなさい。と言われているのかも知れない。

私と接点の無いあなたが、私との絆を繋いでくれているのかも知れない。

そんな事を考えながら私は筆を置く。

『大丈夫よ、大丈夫。』
『私は、あなたの未来だから。』

超えて見せろ。
全てを。抗って見せろ。
その為に私は、ここに居る。


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