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【文章のバトンタッチ】日本の文化がビジネスの壁を作る話

ここにたったひとつ。たった1人で声を上げた方がいる。(以下の記事参照。ご本人様の許可を得て掲載。)

言論の自由、表現の自由のもと、サイトに掲載される記事については制限される事は無い。幸いな事に、note というサイトはクリエイターの集まりである。……とすればだ。様々な職業の方が、様々な生活スタイルで日々を送っている事になる。数多のクリエイターの中で、前出の記事の彼女と同様、あるいはもっと過酷な条件の下で日常を過ごされている方もいるかも知れない。

【文章のバトンタッチ】に参加してみないか?

内容については、前出の記事を読んで自分が思う事。例えば、という例を含めて私も書いて行きたいと思う。

これから書く事は私の自論である。その事を念頭に置いて読み進めてもらいたい。タイトルに書いた『日本の文化がビジネスの壁を作る』とはどういう事か。それは一言で言えば


日本の古き良き伝統である。


隣近所、集落、村、町。規模は違えど、日本人はこれまで『他人と上手くやってきた』のだ。
それは日本の古き良き伝統である。子供が居れば、隣近所でおやつをもらい、遊ぶ事が普通だった。帰りの遅い親が居れば、隣近所の家で晩御飯をいただく事も、ままあった。
〇〇さんとこの□□さんが、なんて話も良く聞かれたし、地域で支えあって生きてきた。

しかし、この伝統は核家族化、少子高齢化によって呆気なく終わりを告げる。そして、日本人は他人と干渉しなくなって行く。結果、『孤独』が生まれる。

もし、先に上げたような伝統が無ければ、必要に応じてビジネスが生まれる。例えば子供。乳幼児であればベビーシッター。少し子供が大きくなれば家政婦等が考えられる。
そうそう、ベビーシッターや家政婦が浸透しない理由は賃金にもある。それらの業種について私自身明るい訳ではないので、詳しい事は分からないが、フルタイムで働ける環境でもないのは明らか。であるならば、余程優れた方でなければ生計を立てる事は難しい。また、同様に対価を支払う側に支払うだけの経済的余裕がない。という事も言える。

働かなければ生活が成り立たないので
働くはずなのに、働く為の時間を作る事に
対価を支払う事になるのである。

これは日本語で言うところの『本末転倒』。
子供を安心して預けられる場所は必ず有料なのだ。そうして育児と仕事と家事との狭間で生まれた闇は、身近にいる立場の弱い子供に向きやすい。

何故なら、反撃されないから。
必ず勝てるから。

だからこそ虐待が生まれ、ネグレクトが生まれる。必ず勝てる、反撃されない対象は手放したくないからである。

今一度考えて欲しい。
誰の為に生きて、何の為に生きているのか。

本当に苦しい人であるならば、その苦しみを発信するべきだと私は考えている。
文章が書けるか、書けないかは関係ない。

今、これを読んでいるあなたが声を上げる。
今、これを読んでいるあなたがバトンを繋ぐ。

この声が広がれば、
世論を動かせるかも知れない。


政治は世論を無視出来ないのだ。


あなたもバトン、繋げてみませんか?


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