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お棺にだけは入れてください

人は知らないことには不安を覚えるという。
死を恐れるのも、死をよくわかっていないからではないかと
どこかで読んだ。

確かに、今の世の中、人の死に出会う機会はほとんどない。
核家族になり、身内の死に立ち会うのも
生きているうちにほんの数回。
しかもその経過は病院や施設の中に隠されてしまっていることも多い。

自分の見える中で死を見る。
少しずつ衰えてきて、やがて死を迎える。

その過程を見ることは本当に少ない。

死は想像ができない。だからこそ、死ぬことが怖いと感じるのかもしれない。

私の場合、成年後見人という仕事をしている。
家族の縁の薄い認知症などにかかった方のサポートをする仕事なのだが、
亡くなるまでサポートし続けるので
最終的にはその人の死を迎えることになる。

見送った方はもう10人を越えた。

親族でもないのに、亡くなっていく人を
見送るのはかなり特殊な仕事だと思う。

私が担当するのは、縁が薄い人なので
必然的に親族じゃない人たちが関わることになる。

毎回、本人が亡くなると
私をはじめ、親戚でもない人たちが
あれやこれやと段取りをする。

そして、最終的には、本人も無事にお棺の中に収まることができ、
なんらかの形で本人をあの世へ見送ることができる。

いつもそんなことを繰り返しているから
私の中では「例え、親戚がいなくても
日本にいる限りは、なんらかの形で供養をしてもらえる。」という
確信がある。

だから、例え、家族とも縁がきれても大丈夫だと
思っているところがある。


死ぬまで自分だけでなんとかなっても
死んだら後は人頼み。

お棺には自分では入れないから
誰かに入れてもらわなくては。

だけど日本に住んでいる限りは
家族と縁が切れても大丈夫。
ちゃんと「誰かに」お棺に入れてもらえる。。。。

それだけでも、とても安心だと思える。

だからこそ、
子供たちにもいい意味で期待していないのだ。

お母さんはなんとかなる!だから
君たちも自分で好きにしたらいい!

私の人生最終目的は
誰かにお棺に入れてもらった時、ニッコリ笑顔でいること。
よし!この人生楽しみきったぜい!って見えるような。

それを目標に今日も生きている。


note9日目

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