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塩谷丸山

日程:2002年10月20日
メンバー:I議員さん、N室長、N主査、ぼく

 出張から帰ってきた翌朝、職場の机の上に地図と集合時間が書かれたメモがありました。

     そこから「もうひとつの山登り」の物語は、始まりました。

 ぼくの職場の課長の、さらに雲の上の方に、山好きなN室長がいらっしゃいます。 
あの有名な今西錦司氏と同行したりといった相当な登山経歴の持ち主の方のようです。
メモは、そのN室長からのものでして、道議会の議員さんと一緒に山へ行くと云うものでありました。
「ぬぬっ、これは、もしかして接待ゴルフならぬ、接待登山???」
(果たして、そんなものがあるものなのかどうか…う~ん)

 行き先は、小樽にある塩谷丸山(629m)でありました。
前日に冷たい雨をくぐって秋を深めた、晴れの土曜日でありました。
 早朝にN室長宅へお迎えにあがり、集合場所であるJR塩谷駅へと向かいました。 
ご一緒するのは、I議員さん、環境生活部環境室のN主査です。

     登山開始、9時20分。気温10度。
冷たい雨に打たれた落ち葉たちがじっとりとしています。朝の光は、その落ち葉たちを再び輝かせています。
脇のカラマツの枝では、エゾシマリスが懸命に実を一心に頬ばっています。そんな冷たい空気の中に、静かな山路は、広く、緩斜に続いていました。
 こないだサハリンへ行ったという環境や生きものに詳しい(一番はカミキリムシなのだそうです)N主査は長靴でゆっくりとぼくたちを導き、往年の装備に身を まとったN室長は相変わらず愉快さと温厚さをたたえて力強く歩を進め、そして 
若いI議員さんは、謙虚に山と人を楽しみながら清々しく息を吸い込みつつ、ぼくたちは楽しくお話をしながら、ゆっくりと登ってゆきました。
 普段、状況によっては過剰な気遣いや緊張しやすい「ぼく」は、この日は何だかどこかへ潜んでいるようでした。
残るのは、人懐っこいほがらかさと、子どもっぽい好奇心だけのようでした。

 急登を越えると一面のササ原で、振り返ると余市町の街並みが白く輝き、そして 日本海が平面に優しくたたずんでいます。
積丹半島に続くその海岸は白く、街並みもやはり白く、いつか何かで観たことのあるような、どこか遠い国の景色のように見えてくるのですから不思議です。
 遠く懐かしい汽笛が、風にのって聞こえてきます。SLニセコ号のようであります。
目の前には小さな岩塔をまとった、めざす頂上がすぐそこに見えました。

 登り始めてから1時間30分程で、岩場になっている頂上に着いてしまいました。 
景色は、余市岳から羊蹄山(ぼくは初めて蝦夷富士こと羊蹄山をきちんと望みました)、ニセコ連峰、そして積丹半島、やはり優しい蒼色をたたえた日本海が一望できましたし、その日本海の光景は遠く雄冬岬の方までぐるっと一望できるのでした。
山麓の紅葉を弱々しい太陽の光線がスポットライトのように照らしていました。 
少し風を頬に冷たく感じました。

 お湯を沸かしてコーヒーを飲んだりしながら、みんなでゆっくりと歓談しました。 
N室長は35年も使用しているというストーブ(山用コンロ)でラーメンを作り始め、顔がさらに生き生きとしていました。

     頂上には小樽の高校山岳部の生徒さんたちなども訪れていましたので、来年の高体連全道大会が開催される知床で再会しましょうと、ぼくはお話をしました。

 下山後には朝里川温泉へ寄り、空も晴れ晴れしてくる夕方を帰路につきました。 
(山登り→温泉というのは、至極心地よいものですよね)

 この山登りでは、いろいろなことを話しましたし、いろいろなことを知りました。 
特にミヤマキリギシソウなどの固有種があり現在入山規制措置がされている崕山 (きりぎしやま)のことについて、北海道と本州の山の違いについて、地域での自然環境保全のための住民参加や子どもたちへの教育のあり方について。

 ・・・大人2人が抱きかかえるほどの舞茸のとれるスゴイ山があることについて。 
 
 もうひとつの山登りとは、仕事上でつながる立場の人たちとの心に残る山登りでありました。

みなさま、貴重な機会をありがとうございました。

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