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短篇『光り輝く大切なもの』

「どうしても出来ないのやったら、せんでもかまへん。その代わり、この会社はもう終わりや。80年続いたけれども、今年限りで終わりや」

取締役常務の喜久枝さんは、うつむいて黙ったまま聞いておられます。

普段温厚な南方社長が、珍しく声を荒げて喜久枝さんに話をされているのです。

いつもは温厚な社長のこんな怒った顔は初めて見ました。

「何でこの会社が、80年続いたか分かるか。それは、時代によって変化してきたからや。その時代によって対応してきたから、今日まで生き延びてこられたのや。その時々の時代の流れに合わせて行かんと残ることは出来ひんのや。後ろを振り向いたらあかんし、今立ち止まってもあかん。少しでも、前を向いて進まんとあかんのや」

原因は、ボクです。

年々売り上げが下がってきたところに、コロナの影響が追い打ちをかけて、どうしようもなくなりました。

あてにしていた外国人も来なくなって、客足が途絶えてしまって打つ手がなくなったのです。

もう、八方ふさがりです。

そこで、最後にボクが社長に提案したことに、常務の喜久枝が拒否反応をしめされました。そのことを社長は、怒っておられるのです。

社長に、今あるホームページの刷新と、お店の情報や宝石にまつわる話を載せるブログの開設を社長に提案したのです。

「やっぱりそういう時代やな、今はそうやってお客さんを増やしていかんとあかんのやな」

社長は、すぐに納得してもらいました。

早速手をつけるように、常務の喜久枝さんに指示を出された時に、「できません」の一言で返されたので、このような今のこの状況になったのです。

喜久枝さんは、うつむいて黙ったままです。

沈黙が続き、張り詰めた空気が店内に張り巡らされています。


「コンニチワー」

間の抜けた挨拶で、自動ドアが開きました。

若いカップルが、中を伺うような感じで入って来ました。

二人ともジーンズに、Tシャツ姿で、普段のお客様では見かけない格好です。

店内にいる私たちは、通りすがりに道を聞きに来たのかと思って、誰も返答しませんでした。

「スイマセン」

若い女性が、何か用がある様子です。

今までうつむいていた喜久枝さんは、その声を聞くと、いつもの笑顔に戻って二人の方へ行かれました。

「いらっしゃいませ」

「この指輪買い取って、お貰えますか?」

背負っていたリュックサックの中から、丸まったハンカチを取りだしました。

「おかけください」

喜久枝さんは、ショーケースを挟んだ向かいのソファーに二人を座らせます。

若い男性は、付き合いで来ただけで、全く興味がないようです。ショーケースに肩肘をかけて、あらぬ方向を向いています。

若い女性が持っていた丸まったハンカチを拡げると、立て爪のダイヤの指輪が出てきました。粒の大きいダイヤのオーソドックスな結婚指輪です。

「鑑定書は、お持ちですか?」

「カンテイショ?そんなのなかった」

「カンテイショって、なかったら、買取してもらえないのですか?」

「そういうことはないのですけど・・・」

喜久枝さんが困っていると、いつの間にか社長が傍にやってきて、ハンカチの上の指輪をルーペを使って、調べ始めました。

「このダイヤはすごいなあ。カットと透明度と重さの三拍子が揃っている。見事なもんや」

「本物ですよね」

「もちろん、本物だよ」

「オジサン、それいくらぐらいだったのですか?」

「うん、値段かあ。値段はあってないみたいなもんやな。お嬢さん、値段が付かないのですよ。これを買った時は、最低200万円はしたと思う。しかし、この世の中、こういう指輪は値段がつかないのですよ。お嬢さん、このダイヤの指輪買いますか?買わないでしょう。こんな時代遅れの立て爪のダイヤの指輪なんかしないでしょう。だから値段がつかないのですよ」

「どうしても、売りたいのです。メルカリに出そうとしたけど、偽物扱いされるからやめました。でも、どうしても、売ってしまいたいのです」

「その指輪、お母さんの指輪ですね。お母さんの結婚指輪を売ってしまうって、何かわけがあるの」

若い女性のちょうど母親くらいの年代になる喜久枝さんは、自分の娘に話しかけるように優しく問いかけました。

「去年、お母さんが乳がんで亡くなりました。遺品を整理していたら、この指輪が出てきたのです。一目で結婚指輪だと分かりました。その瞬間に、怒りが湧きおこりました。母は、私が7歳の時に離婚しました。それ以来父とは、会っていません。顔も覚えていません。思い出したくもありません。母は、女手一つで私を育てました。一生懸命に働きました。そして、私が独り立ちして、これから自分の生活が送れると思っていた矢先に、乳がんが見つかったのです。進行が早くて、たった1年半の入院生活でした。母の人生って、いったい何だったのでしょう。全部、父がぶち壊してしまったような気がするのです。だから、この指輪を見た時に、怒りがこみ上げてきたのです。一刻も早く、父に関するものを一切処分したい。だから、この指輪を私の目の届かないところに持ってゆきたいのです」

「わかったわ。あなたの、この指輪を売りたい気持ちがわかったわ。多分、あなたのお母さんと私とは年代が近いと思うから、お母さんの気持ちも、少しわかるような気がするの。お母さんは、今あなたがやっていることは、望んでないように思う。あなたには、過去を振り返って欲しくないと思っているはずよ。過去は、もう過ぎ去ったことだから、どうしようもないことでしょう。変えること出来ないでしょう。だから、振り返ってはだめ。そして、立ち止っていても、何も起こらないからダメ。少しでも前に向かって、進まないといけないのよ。お母さんなら、多分そう言われると思うわ」

「お嬢さん、この指輪はイニシャルの刻印も入っているから、引き取るとしても5万円やな。折角来てくれたお礼の意味も含めても、5万円や」

「折角来てくれて、お話聞かせてくれたのに申し訳なかったですね」

「オジサン、その指輪のイニシャル何て入っているのですか?」

今まで、ショーケースに肘をついてそっぽを向いていた若い男性が急に割って入りました。

背筋をさっと伸ばして、手を両ひざの上に乗せました。急な変わりようです。表情も真剣で、社長に食い入るような視線を向けています。

「えっと、エーアンドイー。エーアンドイーって入っているよ」

「A&E。確かに、A&Eって入っているのですね」

「入っているよ」

「奇跡だ・・・」

若い男性は、何かに耐えるような表情になり、目を固く閉じました。段々と苦しそうな顔になっていって、肩が小刻みに震え出しました。

「アキラ、どうしたの?」

見ると、若い男性の目から、涙が滲んできています。若い女性にしても、私たちにしても、彼の身に何が起きているのか分かりません。沈黙が続きます。

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ・・・・・・

店内に置かれている古時計の針の音だけが、響き渡ります。

突然、彼の目が開かれました。目に溜まった涙は、堰を切ったように溢れ出し頬を伝っています。

「エリカ、今すぐ、その指輪を5万円で、買い取ってもらってくれ」

「えっ、どういうこと5万円だったら、旅行いけないよ」

「そんなのどうでもいい。オジサン、エリカから買い取ったら、すぐにボクに5万円で売って下さい。お願いします」

「それどういう意味?アキラがこの指輪を買ってどうするの?どういう意味?それってどういう意味なの・・・・・」

二人は見つめ合っています。エリカと呼ばれた若い女性は、しっかりと目を開いて、アキラを見つめています。彼女の目からも涙が滲んできます。

カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ・・・・・・

店内に置かれている古時計の針の音だけが、聞こえてきます。

「商談成立。おめでとう。鑑定書は付けられへんけどな。がははは・・・」

社長の笑い声が、響き渡ります。

「指輪、お預かりします」

いつの間に用意したのか、喜久枝さんは純白の指輪ケースを出してきて、指輪をその中に入れました。

「おめでとうございます。ケースはサービスでお付けします。お幸せに」

アキラは、喜久枝さんから指輪のケースを受け取ると、大事そうに両手で包み込みました。それを見つめているアキラの目から落ちた涙は、アキラの親指の爪に落ちてゆっくりと流れてゆきます。

「エリカ、結婚してくれ。もう後ろは、振り返らなくていい、少しでもいい、一緒に前に進もう」

アキラは、両手で指輪のケースをエリカに差し出しました。受け取ったエリカは両手で大事そうに抱えました。

「アキラ、ありがとう。本当にありがとう。そして、お母さん、ありがとう」
見上げたエリカの横顔が、清々しい表情が美しい。その頬に伝って流れる涙は、ダイヤモンドより光り輝いています。

全員で、二人を見送ったあとも店内には、清々しい空気が残ったままです。

「ブログのやり方、教えてよ、私やってみるわ」

喜久枝さんの笑顔も、美しい。

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