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時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第27話「抜けば、斬るぞ」

突然、銃口が現れた。

藤堂平助は、刀を目の前でいきなり抜かれたことがあっても、いきなり銃口を向けられたことがない。

どう対処したら良いのか分からず、呆然と立ち尽くした。

坂本龍馬がいる。

隠れ部屋で臥せっていて、この部屋にはいないはず。しかも、我々に銃を向けている。

傍らにいる服部武雄も、何が起きているのか分からなかった。

誰もが、銃を前にして冷静な判断など出来ない。

その場を逃れようとする本能だけが機能する。

しかし、藤堂はその状態は本能をも停止させていた。

銃口の先が逸れている服部だけが、無意識に自分の脇差の柄を握った。

何時でも抜ける態勢になったことで、かろうじて冷静になることが出来た。

「坂本先生、我々は伊東甲子太郎の配下、御陵衛士と申します。土佐藩後藤様の命によりこの近辺の警護を申し付けられております。先程、監視所より見ていましたところ、賊に追われた三人組がこの界隈に逃げ込む様子が見えました。その様な訳で夜分に恐縮ですが、改めさせていただいております」

「違う、違う、龍馬さん」

中岡慎太郎が、急に割って入った。

「こいつら、新選組だ。特に、こいつは藤堂平助だ。この額の傷を見て下さい。これは、池田屋で切られた傷だ」

「本当か?」

銃口を向けられている者は、誰であっても真実を語る。

「左様、拙者は新選組の藤堂平助。これは、池田屋の時に付けられた傷だ」

堂々と答える。

「池田屋?」

龍馬は、親交のあったものの多くが命を落とした池田屋の遺恨が蘇ってきた。

特に、土佐勤皇党、神戸海軍総練所と一緒だった弟分の望月亀弥太のことを思いだした。

抜けるような青い空に真白な帆がたなびく、深い群青色の海に真白な波を立てて、体が引っ張られるような早い速度で船は進んで行く。

傍らの望月が、真黒に日焼けした顔、真白い歯を見せながら、

「世界中を船で回ってみたい」

と、語っていた屈託のない笑顔を思い出した。

その望月が、こいつらによって無残に切り刻まれたのだ。

望月はもう帰ってこないのだ。あの望月はもういない。

新しい時代の夜明けが近いというのに、彼は永遠の夜に閉ざされたままだ。

こいつの傷は、望月の恨みだ。

龍馬は、望月が私に恨みを晴らして下さいと哀願しているように思えた。

龍馬の目には、知らず知らずに涙が溢れてきた。

零れ落ちた涙が、心の傷からにじみ出た血液のように畳を濡らしてゆく。

思わず藤堂の額の傷に拳銃の照準を合わせた。

わしが撃つのではない。

望月や池田屋で討たれた者の恨みが、引き金を引かせるのだ。

わしではない。

わしではない。

龍馬の拳銃を持った右手の人差し指に掛け、引き金を引いた。

その瞬間、服部が脇差を抜きざまに龍馬の右手を拳銃もろとも、打ち落とした。

服部は剣術の達人。太刀の居合斬りは出来るが、脇差の居合斬りを出来るものは少ない。

服部は、普段より二刀での居合斬りを得意としていたので、それが出来た。

ましてや、斬る寸前のところで、刃筋を変えて、刃を立てず切らずに打ち落とすという斬り方は、余程修行を積まないとできない技である。

打ち落とされるはずの拳銃が、龍馬の手を離れる寸前で火鉢の淵に当たって、火を噴いた。

火鉢全体が爆発したように低く重い大きな音を上げた。

それはまるで大砲を打ったように近江屋全体を震わせて通りを駆け巡った。

「何だ」

勝手口で警備をしていた大石鍬次郎は、その音を聞くと、単身で近江屋に土足のまま乗り込んで二階に駆け上がる。

硝煙の匂いが混じった灰が部屋中に立ち込めた。

天井から、煤が降ってくる。

お互いに顔が見えない位に煙った。行灯の橙色の光だけが不気味に揺れる。

「藤堂、中岡慎太郎を連れ出すぞ」

服部が声をかけた瞬間に奥の部屋から、谷干城と田中光顕が脇差の柄に手をかけ、今にも抜かんばかりに駈け出してきた。

藤堂と服部も脇差の鯉口を切って、待ち構える。

その時、後ろから藤吉が服部を羽交い絞めにする。

服部は、柔術の心得もあるが、このような強烈な羽交い絞めをされたのは初めてである。

元相撲取りの藤吉の分厚い体を上から、覆いつくすように締め上げる。

身動きどころか息も出来ない。首の骨が、軋むような音を立てる。

それを見た谷と田中は、その脇をすり抜けようとする。

「手向かい致すな」

藤堂が割って入って、それを制止する。

「抜けば、斬るぞ」

先程の歌舞伎役者のような若武者とは一転、鬼の形相。

額の傷が凄みを聞かせる。

二人は金縛りにあったように動けない。

 火鉢の灰を頭からかぶった龍馬は、一瞬何が起こったのか理解できない。

炭の火の粉もはねたようで、髪の毛の焦げた匂いがする。

目が明かない。

音が聞こえない。

辺りは騒然としているのに、沈黙の世界である。

先程流した涙のおかげで、闇が溶け出すように徐々に視界が蘇ってくる。顔を袖で拭おうとしたが右手が焼けるように熱い。重くて手が上がらない。

つづく

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