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私の後悔。夫の後悔。

「今日、閻魔様に判決を下されるんだって。」

 お義母さんのこの言葉、2回目だなぁと思いながら頷いたところで車は寺に着いた。
 「3回忌のタイミングで、閻魔様が天国に行くか地獄に行くか決めるんだって」先月の電話でも義母は教えてくれた。

 義父の3回忌の法事の日。カンカンと晴れ。
 葬儀の日は雨だったなぁと空を見上げる。
 3回忌と言ったって日程は生きてる人間に合わせているので、閻魔様もこちらの都合には合わせてはくれないかもなぁとぼんやりと思いながら、出来れば卓球台のある方にして下さい、と心の中で閻魔様に願う。
 お義父さんの事で私が唯一知っているのは、卓球が好きでほぼ毎日通っていたこと、それだけだ。雨の日も晴れの日も義母の古希の祝いの後も震災の次の日もたんたんと通い続けたって事。義父は少々変わった人だった。

 変わってしまった人で、家族全員が義父を嫌っていた。その筆頭が夫で、だから私はあまりお義父さんとの交流が無かった。

 夫が小学生の時に義父は脳出血で倒れた。倒れた後は暴力的で横暴な性格に変わってしまって手がつけられなかったという。
 出会った頃の義父は、歳のおかげか何かを諦めた後なのか暴力を振る事は無く穏やかに見えたし、夫は嫌なことに蓋をして、触れなければ無かったことになるみたいに見えないふりをするタイプなので、それがどの程度でどんなものだったのか、正確には私は知らない。

「病気だってことはわかっているし、病気なんだからって、許せって言われた事もあるけどさぁ、日常だからさ、俺達にとっては物心ついた頃からの日常だからさぁ。」
 私が知っているのはこう話した時の夫の背中。

 好きな人には、その過去も未来もひっくるめて少しも悲しい思いをしてほしく無いと願うけれど、その悲しい思いも好きな人を形作っている重要なファクターだったりする。いつも心は複雑だ。


 婚姻時に諸々を伝えた時に「じゃあ、あなたが取り持ってお父さんと彼を仲良くさせなくちゃね」と母に言われて愕然とした事を覚えている。

 血のつながりのある私と母は、けれども違う世界に生きている。
 母の世界で『やさしさ』とか『つよさ』とか言われるそれらの事は、私の世界では『蹂躙』とか『無神経』と思えてしまう種類のもので。…どちらが正解で不正解なのかわからないけれど。(それが母のやさしさって事もわかっているけれど。)

 そして、大人になってしばらくして『世界が違うのだ』と割り切った私だけれど、その価値観に未だ少し囚われてもいる。当たり前だけれど母なのだ。(一緒に暮らした年月以上を離れて暮らしているのに。)


 3年前、ICUで義父が生死を彷徨っている5日間(突然の事故だった)、母に「夫くんを連れて行かなきゃ、このまま会わないで亡くなったら絶対後悔するよ。あなたが連れて行かなくちゃダメよ」と何度も何度も言われて、ああそうだろうなぁと思った。
 後悔するかもしれないなぁ。後悔するだろうなぁ。
 それでも私が夫に強く言わなかったのは、後悔する方を自ら選ぶ権利があると思っているからだ。
 絶対に行かないという夫に「後悔するかもしれないね」とふんわりと告げた。夫はうなづいた。


 去年私の祖母が亡くなった。何度も私の心をぺしゃんこにした祖母だった。
 施設にいた祖母の最後の3年、母主導で何回も行った家族(父母・兄家族)のリモート面会(コロナ禍だった)に結局私は1度も参加しなかった。(母は毎回毎回律儀に私を誘った)

 「後悔すると思うけれど」と不参加を貫く私に「いいんじゃない?」と言ったのは夫で、こういう時私たちは同じ世界に生きてるなぁと思う。血のつながりも何も無いのに、たまたま出会った人なのに。

 祖母が亡くなって、もちろん私は後悔をした。
 この後悔はなんだか少し甘い。


 「今日、閻魔様に判決を下されるんだって。」3回目に義母が言ったのは法事の最後に墓石の前に並んでいた時で、「天国でも地獄でも卓球台があれば良いですねえ」とさっき頭で願った事を今度は言葉にしながら、ふらりとお墓から出ていく夫の背中を眺めた。

 眺めながら心の中で義父に謝る。私にはもっと何かができたかもしれない。
 何度も何度も脳出血で倒れたという義父が向こうでとにかく健康であればいいなぁと願う(変な願いだ)。


 夫の後悔が苦くなければいいなぁと思う。

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