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進行性核上性麻痺の母の介護をしながら編集の仕事などしています。

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最近の記事

母が逝きました            12年の介護で考えたことわかったこと

2024年3月29日、母は唐突に逝ってしまいました。 母を東京に連れてきてちょうど丸12年、たびたびの肺炎や高血糖昏睡などの危機がありましたが、そのつど医療の予想を裏切って生還し、回復を果たしてきました。今回も、長い入院の後でしたが、1月の退院から順調に回復している途上に思えました。割と慣れっこになっていた発熱でしたが、酸素飽和度の低下もあるので、心配だから救急搬送してちょっと入院、くらいの気持ちでした。ところがその車内で急速にバイタルが落ち、病院に着いた時にはもう心肺停止と

    • 吝嗇とモッタイナイ

      今はどうなのかわからないけれど、1980年代のバブル突入の前までは確実に、「うちは貧乏なんだからな」と子どもに言い聞かせる家庭教育があったと思う。私はそういううちの子どもだった。そして80年代の、思うにバブルの前までは、親にそう言われている子どもを見たことがある。「うちは貧乏だから」と言う子どもに出会うと、親しみと同情と被害者の連帯感を感じた。 うちはとりたてて豊かな家ではなかった。しかし、大人になってあらためてその経済状況を評価してみると、とくに貧しい家ではなかったはずだ。

      • 脱兎のごとく去った医者について

        時間がたつごとにムカムカがつのってきた。 「お怒りは収まりましたか?」という看護師の確認に。 「無駄にことを荒立てるつもりはないので」と答えて恙なかった自分にも。 ことは5月上旬、コロナ自粛のさなか、母が微熱を出した。 そもそも母は進行性核上性麻痺という進行性の脳の病気で、要介護5だ。手引き歩行がなんとかできるが、ほぼ全介助状態、時折発熱もする。なので訪問診療と訪問看護を入れている。数か月前にも微熱がでて、その時は医師が血液検査をしようと言って、採血した結果、炎症反応が出て

      母が逝きました            12年の介護で考えたことわかったこと