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虐待慣れの雨宿り【短編小説】

彼は妻と移住のため田舎から出てきて、適当な就職先を探した。

「毎年一万円ずつ月給は上がります。だから、スタートはこれぐらいで」
と、提示された金額があった。平均より低い。
半年の研修期間はさらに安かった。

「そうしていかないと、どんどん人が辞めていくので」
経費を削減しながら、しっかりとメリットを感じられるよう社員を育てたいと主張された。

まあ、良いかな。
と、彼は就職し、仕事をつづけた。

彼は実際のところお金には困っていなかった。
余計な贅沢もしないし、欲しいものも特になかった。
そこそこ暮らせていければ、あとの楽しみは自分で何とかするという考えの持ち主だった。

更新時、
「今年はこんな事情で、ちょっと我慢していただいて」
と、約束の一万円昇給はなされなかった。

人はどんどん辞めていった。
仕事の比重は増え、それを抱えながら彼は過ごした。
まあ、しょうがないかな。

彼は素直だったのだ。
けれど、比重は重くなれど、
「ここをまた工夫して経費を削減して」
と、労われるどころか、されに負荷をかけられていった。

五年が過ぎ、彼の月給は五千円のみ上がった。
まあ、良いか。
彼自身は特に困ってはいなかったのだ。
ただ、契約更新時に毎年「会社の危機」を伝えられ我慢をお願いされ、仕事の負担を強いられる。それに比べ、雇い主は外車を乗り回し、庭付きの家に住み、子供には高価な習い事をさせ、出張と言って遠出しては綺麗な景色と美味しそうな食べ物をSNSに上げているのを横目に、なんとなくは悲しかった。

まあ、良いのだけれど。
ただ、約束さえ守ってくれていたら「なんとなく悲しい」は思わなかったんだろうなぁと、感じていた。

勿論、安く見積もられていたのも分かっていたし、嘘をつかれているのも分かっていたし、意見はなにも通らなかったけれど、彼は自分の楽しみは、いくらでも作り出すことが出来ていたので特に気にしてはいなかった。

「平和に暮らせているからね」
と、彼が言うと、妻は
「虐待に慣れすぎてる子供って、いくらいたぶられてても、『だけど優しいところもあるんだよ』って主張するんだって」
と、言った。

彼はその言葉についてしばらく考えた。

そういう視点もあるのか。
色々と面倒だなとも思った。
ただ約束を守っていてくれたら、たぶん他の人も辞めていなかったし、労うことがされていれば素直に感謝して余計なざわざわも少なく過ごせていたんだろうなぁとも思った。
彼は実際、どっちでも良かったのだ。
正直、何も困っていなかった。
と同時に、「どうでもいい」と思っていたことに気がついた。

雨が降っている中で、屋根を借りているくらいの気分でいた。
いずれ雨は止むだろう。
今度は静かな山で、ゆっくりと楽しみを探してみよう。
そんな風に考えていた。

つまり、問題は、屋根に当たる雨粒の騒音ではなく、雨が止むのを待つのか、待ちきれず雨に濡れながら山へ向かうのか、そんな事だと考えていた。

ただ、見ている場所が違うことによって、彼は周りに「ずっと騙されてるよ」と言われ続けることになる。そして騙している側には「うまく騙せている」と勘違いさせていくことにもなる。
面倒だな。

彼はふと、空を見上げる。
虐待に慣れすぎているのか? 屋根自体に興味がないのか?
空は晴天で、気持ちよさそうに雲が風に乗り流れていた。

彼は、
「どうでもいいんだけどなぁ」
と呟いた。




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