【うつ闘病記】地宙人、家を買う - 03_それ、ボクのせいです

 二○一五年、春。朝九時、今日もピンちゃんとあうくんとボクは連れ立って家を出る。向かう先は最寄の西日暮里駅(歩いて十五分弱)ピンちゃんが妊娠してからすっかり習慣化してしまった。その道すがら不動産屋に掲載されている物件を眺めるボク。
「こんなところでカフェか、なにかの飲食店ができたらいいね。ピンちゃんは料理も得意だし、何でもそつなくこなすからきっと繁盛するよ」
「そうね」
「あぁ、仕事行きたくないなぁ」
「家族のために頑張って」
「う~む……」
 最寄の駅に着く。
「……ぎゅ~して」
「はい、ぎゅ~」
 二人、小さくハグをする。
「はぁ、行ってきます……」
 こんな感じの会話が平日の朝、毎日繰り返されていた。
 ハッキリ言ってしまうと、ボクは入社初日から仕事を辞めたかった。長くても三年で辞めるつもりだった。だけど、流れるままに無計画に(というとすごく無責任みたいだ、いや「みたい」ではないな……)、結婚して家族が増えて、辞めるに辞められないまま、四年目に突入していた。
 入社も四年目というと、もう戦力としてカウントされる年数である。だけど、僕の場合は例の三ヵ年計画でイレギュラーな作業を多くこなしていたせいで、本分の中間管理職的作業のスキルが養えていなかったため、この年から改めて上司(プロジェクトリーダー)の補佐(サブリーダー)として後輩(歳は同じ)を従えて新しい仕事をこなすことになっていた。いわゆる再スタートだ。とはいえ、それだけではなく、簡単な(ボクにとっては全然簡単ではなかったが)プログラムの開発担当にもなっていた。つまりは、マルチタスクを抱えていたわけだ。
 ボクは昔からマルチタスク、つまり複数のいろいろなことを同時にこなす事が苦手であった。一つのことにのめりこんだら、もうそれしか見れなくて、例えば好きなペットの生き物(熱帯魚や亀などなど)を一日中観察していたり、テレビゲームを意識を失うまでやったり、試験勉強も平行してできないものだから点数のバラつきが激しかったし、なおかつ好きな教科しかやる気が起きなかったりした。
 また入社当初から、信じられないような同じような単純ミスを何回も連発していた。誤字脱字に始まり、作業漏れなどは日常茶飯事であった。あまりにミスが多いので、かつての上司が「一ミス一ジョークね」といって、ミスをするたびにジョークを考えるというペナルティを与えられたこともあった(「お前はおもしろくない」と言われいつのまにか無くなったが)。
 当時のボクはいろいろな人に迷惑をかけながら仕事をしていた。例えばこんな人達だ。断っておきたいのだけれど、ご紹介する人たちは決して「悪い」人たちではなかった。ただ単に「私という地宙人の視点からすると」ということである。

●テツジン主任 ~完璧主義の鉄の女性~
「奥泉さん、例の帳票の仕様が決まらない件って、作業時期について関係者と調整ついてるんだっけ?」
「テツジン主任、すみません。ボクの担当しているプログラムの仕様が決まらなくて時間を要していて、そっちの方の調整がついてません。すみません……」
「はぁ……。すみませんはいいけど、どうするつもり?いいです、今回は私がやっておきますけど、別の帳票の仕様調整の件はお願いしますね」
「はい……すみません……」
 ボクの上司のテツジン主任は関係者の誰もが一目置く「鉄の女」と呼ばれる女性で、この道のプロフェッショナルである。少し変?なところがある人で、忙しいのは分かるが家に帰ろうとしない癖(?)があり、上司や同僚から引きづられるように十二時半の終電で帰っていく。年齢は恐らく40代なのだが(年齢を伺える関係性でもなかった)、その気苦労のせいか、白髪が目立つ(染めないといったところも少し変わっているのか?)。仕事中に数時間、どこかにいなくなってしまうなんてこともあり、同僚の間では「テツジン主任が散歩に行った」「じゃあ、しょうがないか」なんて会話も時々あった。基本的にやさしいのだが、自分の仕事で手一杯で、決して面倒見がよいというタイプではなく、また仕事に完璧を求めて倒れる寸前まで追求するので、部下としてそれに付いていくのがかなり辛かった(彼女をサポートするのが部長から与えられたボクの宿命であった)。

●ニガテくん ~扱いづらい同い年の後輩~
「ニガテくん、このプログラムのテスト、やってほしいんだけど……」
「それは奥泉さんの担当じゃなかったですか?何で僕がやらないといけないんです」
「ごめんね。ちょっとボクの方の他の作業が遅れててそっちに集中したいから、無理を承知でお願いしてるんだ。テツジン主任の許可は得てるから。頼むよ……」
「指示ということであればやりますけどね。これ以上仕事増やさないでくださいよ」
「うん……ほんと、ごめんね」
 一つ後輩で同じ歳の同僚のニガテくんはとにかく当たりが強かった。後輩なんだからもっと下手に出てくれてもいいのになぁなんて思ったりしていたが、何を頼んでも反発が返ってくるし(ボクが卑屈なのも悪いのだが)、一緒に仕事をしていても不平不満が多くて、ちょっとやってられないよなぁ、という感じであった。

●ネチネチ部長 ~細かい・回りくどい・嫌味な男~
「この作業が三日遅れとなっております」
「先週も遅れてたよね?なんで回復できないの?というか奥泉がかかわっている作業が軒並み遅れてるじゃないか!ここも、あ、ここも!このプロジェクトの遅れは、お前が一年発起すれば全て解決するんじゃないの?どうなの?」
「はい……がんばってはいるのですが、なかなか……」
「なかなかじゃないよ。回復までの確実な計画を示しなさい!まぁ、そんなに忙しいなら後ででもいいけどさ」
「では後日……」
「冗談だよ!後日じゃないよ、今すぐに教えてよ!!当たり前だろ!」
 毎週の進捗会議でこんな感じでボクの作業の遅れが追求されていた。これは辛い。プロジェクトの遅れがボクのせいであることをボクが報告するのだから。この時に特に執拗にチクチク追求してきたのがネチネチ部長であった。この部長はチクチク嫌味をいうのが好きみたいで、ボクとピンちゃんの結婚式では一番偉い人として挨拶をしてもらったのだが(ボクは違う部長に出て欲しかったのだが断られたので仕方がなく……)、僕が仕事が出来ないことを親戚一同の前で述べるなどしたほどだ(このときの様子はビデオに記録されているのだが、ピンちゃんのお姉さんは腹が立ち、途中で録画を止めてしまっている)。ボクはこの人の嫌味が本当に怖くて、見かけてもなるべく目をあわさず会話しないように努めていた。
 それに、ボクの性格として「偉い人」に対してめっぽう弱く、特に理由もないのにその人に恐怖を抱くという悪癖があった。

 このような人に囲まれ、ボクはボクが原因で遅れるプロジェクトをなんとか回復させようと努めていた。だけど、どんなに頑張っても空回りするだけで、遅れはちっとも回復できなかった。ボクは、入社四年目にして仕事のどん詰まりに来ていた。
 ボクは仕事を辞めたかった。でも辞めなかった。なぜなら、家族と幸せな生活を維持する、そしてマイホームを手に入れる、その夢を叶えるためにはどうしても仕事を辞めるわけにはいかなかったからだ。


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