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やりたいことが、無い時は

野球選手になって大リーグでプレイしたい
パティシェになって自分の店を持ちたい
ミュージシャンになって武道館でコンサートをやりたい

こういう具体的な「なりたい」「やりたい」っていう目標を小さい頃から持っている人って、どれくらいいるのだろう。

私はそういうのは小さい頃からあまり無かったから、具体的な夢を語れる人をかなり羨ましく感じる。

大谷選手の目覚ましい活躍で、曼荼羅チャートの活用や、その努力の足跡は知られるところとなったが、正直、曼荼羅チャートを活用できるような明確な目標があったことの方が、ある意味本当に羨ましい。

眼に見える具体的な目標があれば、年齢から逆算して、建設的に考えて、実行できる努力能力があれば(努力できるのはそれだけで大きな才能なので)、ある地点へは辿り着けるだろう。努力したからとてその全員が、メジャーリーガーにはもちろん、なれないけれども。


もう20年以上、音楽と化学を生業としているけれども、ダブルワークをやりたい!ミュージシャンになりたい!化学に従事したい!!と志してここまで来たわけでは全然ない。それでもこれが続いているのは、ハイキュー🏐の潔子さんの台詞を借りれば、「成り行きで始めたものが少しずつ大事なものに」なっていった結果で、化学を始めたのも「ほんのちょこっとの好奇心」だ。

この「ちょこっとの好奇心」というのはとても大切なものだと思っている。おっ?面白そうやな?と初見で自分の心に引っ掛かるものには、後で考えれば必ず理由がある。

心の琴線に引っかかる理由は色々だ。そのモノの魅力なのか、それをやっていた「人」に魅力を感じたのか、そのものの外見なのか、雰囲気なのか、中身なのか。

なりたいものが無い、やってみたいことが無い、と悩む時の多くは、実はやってみたい些細なことは色々あったりするのを、まず最初に自分でかき消している。

今日の夕飯にしたって、同じことが言える。ラーメン食べたいけどな、こないだ食べたしな。最近太ってきたしな。

こんなこと始めるって言って、家族が、友達がなんていうだろう。とか
こんな年になってから始めるのもな。とか
お金がないしな。とか
時間もないしな。とか
そのことについて、全然知らないしな。興味があるだけで。とか
難しそうだしな。とか
やったらやったでハマりすぎそうで怖い。とか

やっても続くかどうか、わからないし。とか

別に誰にも黙って始めればいいし
続かなければ、やめればいい。
金がなくて続かないなら、やめるか、そのためにちょっと頑張るか、でも実はやってしまえばどうにかなったりもして。

生まれた好奇心を、ぱっと瞬間にかき消す、という作業は、意外に毎日いろんなところで多くやってしまっている。しかもそれなりの理由をつけて。

好奇心が生まれるのは、自分の中だけで
その好奇心をかき消すのもまた、自分。

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