【短編(コメディ)】叶える本舗
「全然ダメ。企画の趣旨が分かってない文章だわ」
ディスプレイに映る洋子が難しそうな顔で目を瞑り、続ける。
「春田くんさあ、ライターの仕事、向いてないんじゃない?」
「僕の適性の話はどうでもいいよ。不採用なら別のところに持っていくだけだから。そんじゃ」
画面の中の洋子が何か言おうとしているのを無視して、マウスカーソルを終話ボタンに移動させマウスのボタンをクリックする。泡の弾けるような通知音とともに、ビデオ会議の画面は閉じられた。
ゲームデザイナーとして何本かのつまらないゲームを世に送り出した後、僕はスマホ用のゲームを作る会社を退社し、しばらくの無職の期間を経て、フリーライターになった。
僕はキッチンでインスタントコーヒーを淹れ、リビングのゲーミングチェアに腰掛け、ハイバックの背もたれに背中を預けた。
そういえば、ライターになろうと決めたのは、3年前の今ぐらいの季節だったなと思い、日記代わりにしていた古い手帳を開き、その頃のことを思い出す。
「そうそう、この日は、雨が降ってたっけ」
自分の考えるゲームが面白くないことに気付き、限界を感じて、なんとなく次の仕事も決めないままに会社を辞めてしまったので、当然のように無職になっていた。
しばらく休養するかと考えていたものの、1か月ほど経つと、何もやる事がないつまらなさと、この先の人生についての焦燥感みたいなものが鬱陶しく頭に纏わりつくようになっていた。
それで、本を読むことにした。
はじめは図書館に入り浸っていたが、平日の図書館は、定年退職したお爺さんたちと小さい子供連れのお母さんに支配されており、自分の居場所ではないという気がした。
だから次は古本屋を巡った。長時間の立ち読みは嫌がられるため、ジャンルは気にせず適当に数冊選んで購入して持ち帰り、家で読むか、喫茶店で読み耽る日々が続いた。
会社を辞めてから3か月目の日記に、とある出会いが書かれていた。
その日は晴れており、着の身着の儘で商店街へ向かって歩いていた。天気予報も晴れで、空も晴れていたのに、どこから落ちてきたのか、水滴がポツポツと歩道に染みを作り始めた。いつの間にか空には黒い雲が現れ、本格的に雨が降り出した。
僕は近くのビルに逃げ込んだ。
初めて入ったビルの、階段の横に看板が立っていた。
『2F 古本 カナエル』
……こんな所に古本屋があったのか。
ハンドタオルで髪についた水滴を払い、2階への階段を上った。
2階は扉も無くそのまま古本屋になっていて、男性の平均身長くらいの僕の背と同じ高さの棚が並んでおり、それぞれの本棚には、隙間なく古本が詰められていた。
古本たちの背表紙を眺めて歩き、珍しい本がないか探す。やがて一冊の古本に目が留まった。僕はその本に手を伸ばす。
同時に他の人の手がその本に向かって伸びていた。手がぶつかりそうになって引っ込める。横に立つ人物を見やると、黒髪でストレートの長髪のおとなしそうな女性だった。女性は困り顔で謝ってくる。
「あっ、ゴメンなさい。……この本、買いますか?」
「いや、タイトルが気になって、少し読んでみようかと思っただけです」
女性は、いったん俯き、何かを考えるような仕草の後、決心したような表情で言う。
「この本、買ってあげてくれませんか。父が昔に書いたもので、重版されなかったから、世に出てる数が凄く少ないんです。興味を持ったのなら、是非、読んであげて欲しいんです」
「は、はあ……。まあ、100円だし、買ってもいいですけど」
その女性は、棚から本を引き抜くと、僕に手渡してきた。
「ありがとうございます。きっと、今のあなたにはこの本が必要だと思います」
そう言って、彼女は階段を下りて行った。
必要って……なんで?
タイトルが気になったのは事実だから、その本を買って、アパートに持って帰って読んだ。そして、その内容に驚いた。それは、長らく勤めていた会社を辞めてフリーライターになった人物のエッセイだった。ちょうどその頃、本をたくさん読むうちに文筆業に関心を抱いていた頃で、僕はライターの仕事について調べていた。
その本には、どうやってフリーのライターになったかや、ライターとしてどんな視点をもてば良いか、どんな風に営業をかけるべきかなど、ライターとして必要なことがたくさん書かれていた。
藁にも縋る想いで、その本の内容を信じて行動した。そうして、今、僕はフリーライターとして生計を立てている。
日記代わりの古い手帳には、その日が雨だったこと以外は、古本屋の名前と、本を一冊買ったことしか記入されていなかった。本の名前も、作者名も見当たらない。
あの古本屋にはそれっきり一度も足を運んでいないし、その本も、今どこにあるのだろう。あんなに毎日のように読んでいたのに、まるで最初から存在していなかったかのように、内容以外は全て忘れてしまった。本を捨てた記憶も、どこかにしまった記憶もない。
「……行ってみるか」
独りで呟き、外出の準備をすると、記憶を頼りにあの古本屋のあったビルへ向かった。
30分ほど歩き、そのビルの前に立つ。入り口を抜け、2階への階段の横にある看板を見る。
『叶える本舗 あなたの願い、叶えます』
古本屋ではなくなっている……というよりも、なんだこの怪しい看板は。
しかし、ライターとしては、少し興味が湧いた。今度、雑誌に載せる予定のエッセイは、夢がテーマだ。この店を取材したら面白いかも知れない。
僕は階段を上がって行く。2階は小さな店舗が幾つかあるようで、区画が壁で仕切られており、扉も付いていた。
その内の一つ、先ほどの看板と同じ店舗名が貼られた扉を開けて中に入る。
「いらっしゃいませ。叶える本舗へようこそ」
若い、短髪で端正な顔立ちの男性が、椅子に座ったままで挨拶をした。
「あのぅ、ここは何をするお店なんですか。看板には、願いを叶えるって」
「はい。仰る通り、お客様の願いを叶えるお店でございます」
こいつは真顔で何を言ってるんだろう。願いを叶えるお店? そんなの聞いたことがない。
「なんでも、叶えてくれるんですか?」
「内容によって料金は変わりますが、その金額さえお支払いいただければ、当店が願いを叶えます」
「じゃあ、例えば……」
僕は、持ってきた古い手帳を開く。このビルに以前、訪れた時のことが書き込まれたページを開いて、彼に見せる。
「何年か前、ここが古本屋だった時に買った本の名前と、作者の名前が分からないんです。あと、その本をどこにしまったのかも。それと、その時、本の作者の娘を名乗る人と話しました。本のことと、その女性のことを知りたいです」
どうだ、そんな願い、叶えられないだろう。僕は表情には出さず、店員の男性がどんな反応をするか、内心ワクワクして待つ。
「少々お待ちください」
そう言って彼は、ノートパソコンに何かを入力し始めた。マウスをカチカチと鳴らすと、こちらを向いて言う。
「その願いなら、15万円でお引き受け出来ます」
「15万円! 本気で言ってるんですか? それ、嘘だったら詐欺で訴えられますよ」
「嘘でも詐欺でもありませんので、ご安心ください。それに、各種キャッシュレス決済にも対応しております」
ならポイントが結構貯まるな、ってオイ! そういうことじゃないだろ。
「内訳は? ちゃんと内訳の明細書とか出せますか?」
「細かい明細の発行には、対応いたしかねます。申し訳ございません。総合的なサービス料として、領収書なら発行できますが……」
領収書があれば、取材料で出版社に経費として請求出来るかも知れない。最悪、詐欺だった場合は金を払った証拠になる。
「じゃあ、スマホ決済でお願いします」
「かしこまりました」
スマホを指定された装置にかざし、ポロンと間抜けな音が再生され、決済は完了した。
「それでは、1か月以内には必ず願いが叶います。これが領収書です。お納めください」
そう言って、彼は領収書を丁寧に手渡してきた。内容を確認すると、随分としっかりした領収書で、住所も店舗名も電話番号も入っていた。後払い方式の決済のため、収入印紙は貼り付けられていない。但し書きには、調査費と記載されていた。探偵みたいだな。
「1か月で叶わなかったら、返金してくれるんですか」
「叶うので、返金はいたしかねます」
彼は、首を傾げてそう言い放った。僕が何を言っているのか分からない、そんな表情をこちらへ向けている。
もう支払ってしまったんだし、今更ごちゃごちゃ言っても仕方ない。
「よろしくお願いします」
それだけ言って、僕は退店した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それから2週間。特に何も起こらず、僕は幾つかの雑誌の締め切りに追われる日々を過ごしていた。
今日は、昔そこそこ有名だったレストランに取材に行く予定が入っている。10年ほど前、一番繁盛していた頃にいざこざがあって有能なスーシェフが居なくなってしまい、客足が離れて久しいフレンチレストランだ。
取材というよりも宣伝なので、店から宣伝料を貰って、提灯記事を書いて雑誌に掲載する。
ありがたい収入源への道程を、ウキウキした気分で歩いていると、ビルの影から人が出てきて、その勢いに避けきれず、思い切りぶつかってしまった。
僕は横倒しになり、背負っていた古いリュックサックが道に落ちた衝撃で裂け、中身が全てこぼれ道いっぱいに広がった。
それよりも、ぶつかってきた相手がどうなったか気になり、すぐに体を起こして見る。
「あなたは……」
道に手をついて倒れていたのは、あの時、古本の購入を勧めてくれた女性だった。髪型もそのまま、おとなしそうな困り顔もあの時と同じだ。
僕は立ち上がると、女性の体を支えてゆっくりと起こす。女性は、僕の顔を見つめて謝る。
「ゴメンなさい。考え事をしていて……」
「こちらこそ、避けられなくて申し訳ない」
彼女に怪我が無いことを確認して、道に広がった荷物を拾っていると、後ろから声が掛かった。
「この本……何年か前に、あの古本屋で買ってくれた方ですか?」
振り向くと、彼女は、あの探していた本を持って佇んでいた。
「それ、探してたんです。どこにありました?」
「今、バラバラになってた荷物の中にありましたよ。父が書いた本を持っている人なんて珍しいと思ったけど、以前お会いした方ですよね?」
「はい、……そうか、一番底にあったのか。ずっと使ってたけど、一度もリュックの整理をしたこと無かったな」
彼女は少し微笑み、本を手渡してくれた。
「この本、こんなにボロボロになるまで読んでくださったんですね。ありがとうございます。父も天国で喜んでいると思います」
「……この本のおかげで、僕は今、ライターとして生きています。購入を勧めていただいて、ありがとうございました。ずっと、あなたにお礼を言いたかったんです」
僕は荷物を全部集めると、雨用の大きな防水カバーに荷物を詰め、彼女に笑顔で別れを告げる。
「それじゃ、僕はこれで。また会えて、本当に良かったです」
「父の本、これからも大切にしてくださいね」
僕は彼女と別れてすぐに走り出す。
叶える本舗のあるビルは、この近くだ。もう人にぶつからないよう気をつけながらも、はやる気持ちを抑えられず、急ぎ足であのビルを目指す。
そして、ようやくビルの前に立つ。
……ビルは、取り壊しのための足場が組まれ、防音シートに包まれていた。
確か、領収書は手帳に挟んでおいたはず。僕は手帳を取り出し、領収書を見た。
白紙だ。何も印字されていない。それは、単なる紙切れだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「本当にこの記事、掲載するの?」
ディスプレイに映る洋子が、眉を顰めて言う。
「夢がテーマなんだからいいでしょ。僕が本当に見た白昼夢なんだ。15万円は口座からしっかりと引き落としされてたけど、願いが叶ったんだから、正当な対価だ。だから、彼を追うことはしない。興味はあるけどね。きっと今頃、どこかで他の誰かの願いを叶えてるんだろう」
「本当に見た白昼夢って何よ。でもまあ、これでいきましょう。もう締め切りギリギリなんだからね」
彼女は通話ウインドウの中で笑った。
僕のデスクには、一冊の本が置かれている。表紙も、中身も、全部真っ白の、何も書かれていないボロボロの本。それが、僕をライターにしてくれた、大切な、大切な本だ。
〈終〉
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