見出し画像

宮沢賢治「なめとこ山の熊」*小十郎と熊たち~奪い/奪われゆくいのちと反転思想の愛についての覚書


すっと引き下がり静かに世界をまなざすと。
もうほんとに絵に描いたように、共同体の秩序維持装置としてすべてが供犠(くぎ)とスティグマの物語へと回収されてゆく。国家であれ王権であれ個のレベルであれ。繰り返し繰り返し共同体はスティグマを欲し続けてやまない。内/外。中心/周縁。われら/かれら。

伊藤三巳華先生が『スピ散歩』第2巻(朝日新聞出版)で視ていた、奈良の畝傍山山頂での古代の供犠の現場がとても面白かった。あのようなかたちで人々は供物を捧げ共食することで、神から力を授かるのねと。「春すぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香久山」の和歌もとても好きだし、以前から大和三山は歌詠みの質感含めとても呼ばれる場所。

山形県小国町小玉川の狩人の方々も熊狩りののち熊をサナデル(解体する)と、三又の木の前に熊の頭部・心臓・皮を捧げ、山の神に狩りの成功を感謝する儀式をした。山は異界ゆえ山中では日常とは異なる山言葉が使われる。ナメゾロイというその儀式の話は熊狩りを指揮する向立(ムカダテ)の方からお聞きした。

「忍び撃ち(ぶち)は卑怯だ」そんな狩人の方の言葉がある。
村田銃からライフル銃に変わり射程距離が格段に伸びたことで、一対一で熊と対峙するいのちの瀬戸際のやりとりが行われなくなった現代狩猟への批判だ。
いのちを晒し、いのちを戴く。おのれのいのちを対等に晒すからこそ、奪いゆくいのちに贖う。

宮沢賢治は童話「なめとこ山の熊」において、痛いほど深く暖かく哀しきかたちで、熊獲り名人・淵沢小十郎と熊たちとの奪い/奪われるいのちの引き裂かれたありようとその愛を描き出している。

熊たちから愛され、同じように熊たちを愛した小十郎。赫黒いすがめの、ちょっとした臼くらいもある野太き胴体と大きな掌を持つごりごりしたおやじ。それこそ熊のような風態の大男の小十郎。
「まったく熊どもは小十郎の犬さえすきなようだった」と、狩りに連れ歩く飼い犬まで愛をそそぐほど小十郎の全存在いとおしくて仕方ない熊たちの愛の大きさが窺える言葉だが、そんな愛し愛される小十郎の熊たちへの慈愛があふれ出す私の大好きなシーンがある。

早春の月夜。谷向こうの青白く光る一角を見て、あれは雪だよ。違うよお花よと。まどかに会話を交わす母熊と子熊。

「どうしても雪だよ、おっかさん谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん」(中略)
「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの」(中略)
「だから溶けないで残ったのでしょう」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見に昨日あすこを通ったばかりです]
(中略)
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ」(中略)
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ」
「いいえ、お前まだ見たことありません」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう」
「そうだろうか」子熊はとぼけたように答えました。

ちいさな身体で見知ったその世界を、甘えるようにとぼけるように矢継ぎ早に母熊に伝え続ける子熊の無上の愛らしさと。
いちいち暖かくやわらかくそれに受け答え、雪や花の違いを教えゆく母熊。
そんな母と子のやりとりと、ふたりにふりそそぐ月明かりが後光にさえ見える美しきその姿に打たれた小十郎は、風がおのれの匂いを運ばぬよう。いたずらに音を立て熊たちを驚かせぬよう。かれらを思いやり細心の注意を払い、そうっとその場から立ち去る。

「小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになってもう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見てそれから音をたてないようにこっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退(あとずさり)した」

ふだんはのっしのっしと野太きその軀体で自分の座敷かのように広大な山野をわたり歩く、ごりごりの大男の小十郎が、これほど繊細な心くばりで静かに身をひそめ去っていく。一連のこのシーンの細部まで行き届いた小十郎の愛の深さと暖かさと、それを綴る賢治の筆致の凄み。
それでも生活の糧を得るため、小十郎はまた熊たちを撃たなければならない。

ある夏、撃たれる寸前の一頭の熊が銃をかまえる小十郎を前に、こんなことを話し命乞いする。

「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから」

賢治自身ははっきり明記していないものの、熊が子どもをなし子熊がひとり立ちする年齢が二歳であるため、二年なる時間は子育て期間の暗喩という説がある。つまりこの熊は雌熊もしくは胚胎中の熊と推測されるという。

そうして二年後。約束通り小十郎家の垣根のたもとに斃れ、そのいのちを供したその熊。確かなるいのちの贈与。思わず拝む小十郎。そうして熊からいのちを奪い、供され、いのちを繋ぎ続ける小十郎。
けれどもそんな日々もついに終止符が打たれる。

突如大熊に襲われ、いのちを落とした小十郎。
その大熊も「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった(*)」と。けっして小十郎が憎くて殺したのではなかったし、小十郎もまた「熊ども、ゆるせよ」と。彼らへの想いを残し果てていった。
(*大熊のこの台詞が物語序盤の小十郎自身の台詞「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。(中略)この次には熊なんぞに生れなよ」と合わせ鏡であり因果律の反照である意味深さ。さらにそこに小十郎の最期の想いを対置させる賢治)

三日後の満月の夜。そんな小十郎の骸(むくろ)を大切に取り囲むように、山上の雪原に環(わ)をなしひれ伏し続ける大きな黒きものたちの群れがあった。回々(フイフイ)教徒の祈る姿にも似たかれらは、オリオンの三つ星が天を巡り西へ傾いても化石化したようにいつまでもいつまでも動かず。…

小十郎を囲む熊たちのその静謐な姿に、アイヌの熊送り儀礼イオマンテの反転する姿を最初に指摘したのは梅原猛先生だという。熊たちの側からひたすら丁重に厳かに小十郎を送る。賢治の描き出す物語世界のパースペクティブ。供犠。愛と贈与。捨身往生。その思想の深さ…久々に読み返してほんとうに圧倒される。

賢治の「なめとこ山の熊」。はじめて読んだ29年前から凄く凄く大好きな物語だし、豊沢村(現在の花巻市西山)に実在した猟師・松橋和三郎をモデルに賢治が物語化したらしいこともわかっており。
小十郎と熊たちの関係を「敵対的共生」と指摘していた論考も記憶に残る。

いずれにせよ、そうなのだ。
賢治の「なめとこ山の熊」なる物語の凄みは、互いの血を流さずには成立しえない「敵対的共生」の果てに、擬似イオマンテなる「熊たち=いのちを奪われ続けた」側からの送り儀礼をクライマックスに据えることで、それぞれのいのちを奪い合うかたちでしか終えられなかった悲劇を極めて崇高に透明に結び合い贖い合い限りなき聖性へと反転させ昇華させ尽くす途方もなき「反転思想の愛と鎮魂」において描き切った点にある。

賢治が長編詩「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」で歌った「打つも果てるもひとつのいのち」も、予定調和にみちた勧善懲悪や牧歌的共生のそれではなく、まさにこの「敵対的共生」に引き裂かれつつ結び合ういのちの思想が根底にあるのではないか。

絶対数としても、圧倒的に撃たれ続けたものたち=「夥しくいのちを奪われ続けた側」からの送り儀礼であり鎮魂である凄み。
なめとこ山に棲む熊たちを片っ端から獲ったという熊取り名人の小十郎。仮に小十郎が二〇〇頭熊を獲ったとするなら、二〇〇対一。圧倒的不均衡であること一目瞭然だ。
それでもなお敬虔に環をなしてひれ伏し、静謐に彼を想い送り続ける熊たちの小十郎への深き愛のありよう。

さらには命乞いをし「赤黒い背中」の「赤黒いもの」として斃れていたあの「赤黒い熊」と、漢字は異なりつつも同じ形容詞として「赫黒いすがめのおやじ」と小十郎に冠される点において、私には賢治が彼自身を熊のメタファーとして見立てていた印象がどうしてもぬぐい切れないため、「熊のような大男」と前述通り例えてきた。

ゆえにさらにこの点を恣意的に読むことが許されるなら、あるいは本来熊として生まれるべきところまかり間違って人間の側に生まれ落ちてしまった小十郎なるいのちを、何もかもわかったうえで熊たちは最期に「われら」の仲間として招(お)ぎよせ招き入れこれまで以上に大いなる愛と敬虔さをもっていとしみ尽くし、大自然の懐深く大切に大切に抱きしめるように魂送り(たまおくり)した。そんなふうにすら思えてしまう。

いずれにせよ、岩手なる風土。その自然と人間のありよう。その苛烈さも奥深さも底知れぬ交感/交歓のよろこびも有形無形すべてのモノたちととりどりに交わされる聖(サクレ)なる愛のかたちも何もかもまるごとそのいのちで引き受けひき裂かれいとしみ感応し尽くし、ひたすら透明にすきとおった風とひかりのあまねく気圏~ほんとうのさいわいの彼方まで突き抜けようとした賢治。

あらためて賢治が風やひかりや森や人や獣や鉱物や電信柱や星々や天の川銀河やその他おしなべて山野河海山川草木草木虫魚森羅万象すべての声を聴く高次のヨリマシであることに、そのシャーマニックなヴァイブスに私自身強く共振震撼してやまないとはいえ。

いまここで無限回帰に聴き続ける私の今生最愛のひと滝本晃司さんの最新曲「空き地」をはじめとして、同じく滝本さんのマンダラ2リクエスト曲特集ライブにおけるなま身の歌と響音ありったけ4時間肉薄臨界マテリアル(2月23日(木))、ますむらひろし先生と奥様の美しき筆致と青の深さが果ての果てまで炸裂するいとしき直筆原画『銀河鉄道の夜』一挙300枚初通読臨界マテリアル(3月26日(日))、さらにはいまここの私自身のいのちに根差す東北なる記憶と風土の分厚きその奇跡と実存実相のマテリアル(1994年3月よりはじまる東北11年の歳月)が、あまねく限りなく無上なる愛の渦をなし溶け合い響きあい高らかにきよらかにさああああああああああああああああああ。。っと噴き上げゆき賢治が透明にまなざし続けた岩手イーハトヴ遥かなる気圏の彼方までますますこの身を無限上昇させまくるゆえ、かくもヨリマシは烈しくヨリマシを招ぶのか、と。



(2022年6月8日ツイートに2023年4月19日、20日、21日、22日、23日、24日、25日大幅加筆🦋🦋🦋)

◎関連記事


サポートありがとうございます🌸🌸🌸 頂戴しましたサポートは制作費、そして私の心と身体すべての表現に暖かくお贈りいただいているご支援であることを心に刻みつつ、大切に使わせていただきます。