大切な事柄を借り物の言葉で語るのはやめよう
芸術音楽は「建築のように設計された音楽」という定義がある
「建築のように設計される」というところがポイントだと思うのだが、こう書かれるといわゆるクラシック音楽のことに他ならない気はしてくる
しかし、実際はどうなのだろう?
僕はこういう場合に他の事柄を持ち出して例えるのは好きではない
その事柄について事実を正確に伝えなければならない場面で、この場合だと「建築」という例えを出すと「建築とは何ぞや?」ということを明らかにするところから話を始めなければならない
例え話はイメージしにくいことをイメージしやすくしてくれるので非常にわかりやすいのだが、あくまで例えだしふんわりした何となくのイメージしか伝わらない
「建築のような」音楽と例えられた場合
なんとなく音をロジカルに組み立てたり譜面のようにしっかりとした設計図が存在するという意味ではイメージしやすい
しかし、設計して組み立てるとなるとロックでもJ-POPでも同じである
芸術音楽=クラシック音楽
というようなイメージはなんとなくみんなもっていると思うが、その差異はなんなのか
J-POPのように大衆性を持つ物に比べて芸術音楽は大衆性からはかけ離れたところにある気がする
実際、クラシック音楽を聴く人口は少ないわけだし
では、建築には大衆性はないのか?
となると、建築は人の生活に密接に関わっている
というよりも人の生活の為に存在する
そして、それは音楽よりも設計が細かい
建築のように設計されたというとすごく説得力があるが、やはり借り物の言葉はいかがなもかと思う
芸術音楽のためのオリジナリティのある言葉で説明をしてほしい
誰が言ったかは知らないが(本当は知ってるけど)改めて欲しい
じゃあ、そういうお前はオリジナリティのある言葉で説明できるってのかい?と問われると言葉に詰まるわけだけれど、そもそも芸術音楽なんてものを定義しなくちゃいけないのかい?
質問に質問で返すという手を使ってみたりする
芸術というものが意味を持って機能した時代が終わろうとしてる
AIがあらゆる人間の営みに持ち込まれるこれからはクリエイティビティだけが人間としてのアイデンティティなのだと叫ばれてはいるが、もはやそれは生きるということにおいてすべてに当てはまる
すなわち、芸術を特別で崇高なものとした時代が終わったということなのではないか
「芸術とは人間の概念を変える行為なのだ」という主張があるが、そうだとすればまだ意義はあるのかもしれないが絶対的なものではない
話が飛躍した、、難しい
ところで、クラシック音楽はもはや芸術音楽ではない
カテゴリーとしては芸術に分類されるべきではあるが、それは作品と楽譜のみに当てはまると言ってよい
クラシック音楽そのものは伝統芸能だろう
能や歌舞伎を芸術だという場合、どこかしっくりしていないようなイメージがある(のは僕だけかもしれないが)
そのような違和感がすでにクラシック音楽にあると言ってよい
と、ここでは断言しておこう
とにもかくにも、唐突ではあるが、これからは世界人口総アーティスト時代に入るのである
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?