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3. 納棺師が考える「生きるということ」

納棺師の木村光希(きむら こうき)です。
だれかの大切な人である故人さまと、大切な家族を亡くしたばかりであるご遺族の、最後の「おくられる場」「おくる場」をつくることをなりわいとしています。

納棺師が考える「生きるということ」

なぜ、おくる場に納棺師が寄り添いつづける必要があるのか。
なぜ、既存の方法では自分のやりたいお別れができなかったのか。
  
理由はいくつかあります。
まず、亡くなった直後の初期ケアからはじまり、火葬のときまでご遺体をよりよい状態に保てること。
時間が経つにつれ苦しそうな表情になったり、化粧が崩れたりすることを防げるので、ご遺族にはいつでも故人さまに会っていただけます

これまで、ぼくたちのようにご遺体についての知識を持つ人間が故人さまに携われるのは、基本的に納棺時のほぼ1回きりでした。
ですから初期ケアもできなかったし、時間が経つにつれ、いわゆる「変わり果てた姿」になってしまうことも少なくなかった。

そんな状態でお別れすることは、故人さまの尊厳に関わります。
思わず目を背けてしまうのも、ご遺族にとってかなしいことです。
最後までその姿を目に焼き付け、生前の姿を思い出していただくためには、納棺師の継続的なケアが欠かせないのです。

また、たしかな技術を持つ納棺師による質の高い儀式を経験していただけることも、おおきな価値です。
故人さまに近い関係の方ほどあわただしい死後数日間、「儀式の時間」の存在によってこころを落ち着かせることができます。
故人さまをじっと見つめ、集中する時間を持てるのです。
ここでようやく死を受け入れ、感情を見せるご遺族も少なくありません。
たとえ通夜や告別式がなくても、納棺だけで「おくる」ことができるとぼくは自負を持っています。

さらに、故人さまらしさを反映した、いわば「オーダーメイド」の葬儀をおこなえるのもぼくたちの葬儀の特徴です。
これも納棺師がご遺族に数日間にわたって寄り添い、故人さまについてより深いところで知ることができるだけの時間を過ごせるからでしょう。
 
ひとことで言うと、「納棺の儀式を中心に、故人さまらしさを大切にしながら、ご遺族のグリーフ(喪失による深いかなしみ)をサポートするお葬式」ができるのです。
これまであまり重視されてこなかった「おくる質」を徹底的に追究しています。

このように、故人さまとご遺族に伴走し、その人生やひととなりを「知る」ことを前提としたあたらしい別れのかたちを模索するなかで、ぼくはたくさんの「どう生きるか」に触れることができたのです。
 
長い闘病生活の末、ご家族に見守られて亡くなったお母さんの葬儀。
介護施設で長年一緒に暮らした仲間たちに送られた、おばあちゃんの納棺。
最後まで夫婦仲良く、愛しあいながら亡くなったおじいちゃんの葬儀。
友だちに死後硬直を解いてもらい、お着せ替えしてもらった高校生の納棺。

こうした出会いによって、生き方について真剣に考える機会をいただいてきました。

ぼくが大切にしているのは、「死に方」ではなく「生き方」です。
一度きりで、しかもいつ終わってもおかしくない人生を、どう生きていくか。

このnoteではこれまで経験してきたさまざまなお別れに触れながら、ぼくがなにを見て、なにを感じ、またなにを考えてきたかを綴っていきたいと思います。
ぼくのnoteを読む時間が、「どう生きるか」について考える時間になればうれしいです。

死を見つめることは、決して怖いことでも暗いことでも、かなしいことでもありません。
生きることについて考え、日々を振り返る、貴重な時間になるはずです。
身近なひとのことを思い浮かべながら、また自分自身と対話しながら、思いを巡らせていただけたらと思います。

つづく


※本記事は、『だれかの記憶に生きていく』(朝日出版)から内容を一部編集して抜粋し、掲載しています。

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