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1. 生きている人間が見る、走馬灯

納棺師の木村光希(きむら こうき)です。
だれかの大切な人である故人さまと、大切な家族を亡くしたばかりであるご遺族の、最後の「おくられる場」「おくる場」をつくることをなりわいとしています。

生きている人間が見る、走馬灯

亡くなる直前、ひとは走馬灯を見ると言います。

それがほんとうのことなのかどうかは、ぼくにはわかりません。
しかし、納棺や葬儀といった別れの時間は、遺されたひとにとっての走馬灯と言えるのではないか。そう、ぼくは感じています。

忘れていたような思い出が引き出される。彼/彼女のいろいろな表情が浮かぶ。自分は見たことのなかった顔を知る。

それらをこころの中でひとり静かに振り返る方もいらっしゃるでしょうし、「おじいちゃんってさ」「そうそう、こんなことがあって……」「へえ、そうなんだ」と共有することもあるでしょう。

こうして何十年分という故人さまの思い出が、家族や学友、仕事仲間のあいだでよみがえるのです。

また、納棺師として故人さまの最後の時間に寄り添うぼくも、たしかに走馬灯を見ているような思いに駆られることがあります。

ぼくの場合、それはきっと、ご遺族やご友人から故人さまについての思い出をたくさんうかがうからでしょう。
あるいは写真、ときには遺品から、故人さまが歩まれてきた一生を目の当たりにするからでしょう。

打ち込んできた仕事。成し遂げてきたこと。友人との飲み会、趣味の活動。好きだったもの。
結婚式の笑顔。家族旅行の風景。お正月やお盆での、親戚の集まり。家を建てたとき、車を買ったとき。
赤ちゃんを抱く姿。子どもと遊ぶ様子。子どもと両親と食卓を囲む様子。

どんな性格で、どんな口癖があって、どんな友だちがいて……。

さまざまなエピソード、故人さまのキャラクター、いいところや困ったところ(それも愛情を込めて、です)を耳にするうちに、そのひとが目の前に立ち現れてくる。
「どう生きてきたのか」を理解していくのです。

故人さまの人生が描き出される「おくる時間」は、まさに遺されたひとにとっての走馬灯なのです。

納棺や葬儀であふれ出す「あのひとといえば」

自分はどう憶えられるか」。

これは「マネジメントの父」として知られるピーター・F・ドラッカーが13歳のとき、恩師である牧師から投げかけられたことばです。
「いますぐに答えられる問いではないが、50歳になっても答えられなかったとしたら、人生をむだにしたことになるよ」と。

このことばを知ったとき、これまで出会ったさまざまな別れが胸によぎり、「まさにお別れの場の話だな」と思いました。
つまり、「どんなひとだったと語られるか」と同じ意味の言葉だな、と。

ぼくが携わってきたお別れの場は、故人さまが「どう憶えられていたか」を表現したものだったんだと気づいたのです。

「どう憶えられるか」、すなわち「どんなひとだったと語られるか」は「人からどう評価されたいか」「どう見られたいか」といった浅い意味ではありません。
有名になれ、おおきなことを成し遂げろ、ということでもない。

それぞれの、「生き方」の話です。

ぼくはこれまで納棺や葬儀の現場で、3000人以上の故人さまからそれぞれの「生き方」を教えていただいてきました。

ご遺体を拝見し、またご遺族や近しい方のお話をうかがうなかで、「こんなふうに生きてきた」がひしひしと伝わってくるのです。

 お打ち合わせのときは、喪主さまが「こういう闘病生活で……」「こんな花が好きで……」と、故人さまの人生や人となりなどを教えてくれます。

 納棺の儀式の前は、ご遺体を見て「職人さんの手だな」など、その仕事人としての人生に思いを馳せることもあります。

 納棺の儀式で親族が集まると、「こんなひとだったよね」という会話がぽつりぽつりと交わされます。
涙をぼろぼろ流しながら死を悼むこともあれば、「おだやかな顔ね」「うん、でも怒ると怖かったけどね」といった会話で笑いが起きることもある。

 また、葬儀も、参列される知人友人のあいだで「こんなひとだった」「こんなことがあった」「あれが好きだった」と語られる場です。

こうして、故人の人生の中で印象的だった姿を、みんなで語り合う。記憶の中の「あのひと」を共有していくわけです。

 亡くなった方が遺された人々から「どう記憶されているか」は、納棺や通夜、葬儀のあいだ、ぼくたちにも伝わってきます。

みんなのムードメーカーだったんだな。
とにかく優しい方だったんだな。
仕事に打ち込んで社会をよくしようとしていたんだな。
波瀾万丈な人生でも、ずっと明るく振る舞っていたんだな。
地域の人に愛されていたんだな。
亡くなる直前まで趣味の集まりでいきいきと活動していたんだな。

いわば、「どう語られているか」で、そのひとの人生や生き方が見えてくる
その方の人生のうつし鏡のようだな、と感じるのです。

ひとはなぜ生きるのか。なんのために生きるのか。

ぼくたちはそんな問いを抱えて生きています。いままで、多くのひとがこうした問いに向き合い、そして答えの出せぬまま亡くなっていきました。
毎日のように死に触れているぼくも、このおおきな問いに答えを出すことはなかなかできません。

しかし、「なぜ生きるのか」といった壮大な問いから一度離れ、

「ひとからどう記憶されたいのか」
「周りのひと、大切なひとにどんな思い出を残したいのか」

と問い直してみると、いかがでしょうか。
答えがないなかでも、じゅうぶんに「どう生きるのか」の生きる指針となるはずです。

ぼくは納棺師として最後のお別れに立ち会い、たくさんの「どう生きてきたのか」に触れてきました。
でもこれは、決して「どう死ぬか」を見てきたわけではないんですね。

なぜなら、納棺師とは死を看取る仕事ではないからです。
それは医療従事者の仕事で、ぼくたちは生前の故人さまに会うことはほとんどない(「予約」していただくケースは別ですが、それでも看取ることはありません)。

ぼくたちは、故人さまが「どう生きてきたのか」を知る仕事
そして、遺されたひとたちの「どう生きていくのか」を支える仕事なのです。

つづく


※本記事は、『だれかの記憶に生きていく』(朝日出版)から内容を一部編集して抜粋し、掲載しています。


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