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「死ぬ以外どうにかなる」は自分に使う

こんばんは。
最高気温が10℃をきると寒さに凍えがちなおかゆです。

今日は、最近心に響いた言葉についてつらつらと。

なにか目標を持っている人がよく使う言葉。

「死ぬ以外はどうにかなる」

「別に死ぬわけじゃないし」

うん、わかる。

なにか一歩踏み出したい、勇気を振り絞りたい時に非常に背中を押される言葉ではある。

けれど、これは使うシーンを間違えると、人をとても傷つけるかもしれない。

常に情熱を燃やし続けられる人、追い込まれると頑張れる人にとっては火に薪をくべるように効果的だと思う。

けれど、とても敏感な人に対してかける言葉としては、難しいかもしれない。

言葉とは、難しい。

配慮、配慮、と考えすぎて何も言えなかったり、叩き合う世の中には辟易しているけれど、自分自身が結構言葉に敏感なので気を付けるようにもしている。

人は、自分がされて嫌なことは他者にはしないらしい。
(それすらできない人も、実は多い)

相手がされて嫌なことは、自分とは違う。

そのバランスが大事である。

私個人の中では、大事な関係の人にはより意識する、というのが良いバランスだと感じている。

「嫌だと思ったらその時に伝える」
関係でいられたら、より自然体で過ごせるのではないだろうか。

ともに過ごす時間や濃さによって、どんどん汲み取れるようになり、たまにすれ違って、チューニングされていく。

そうして離れることもあれば、近づくこともある。

「人間」という言葉は、人と人の間、つまりは関係があるからこそ形成される言葉のように思う。

だから、他者との繋がりは大切であるし、自分はこうする、というスタンスが一定であれば疲れないのではないだろうか。

そのスタンスを意識する機会をつくったり
手伝いをするのが自分の役割であるなと、ここで帰着するのでした。

「死ぬ以外はどうにかなる」

今の自分にとっては、燃え上がらせるための燃料というよりは、その言葉を使える人はすごく覚悟があるのだなと、客観的に感じている。

この言葉を使える私はきっと、責任があり、なにか向かう先に向かって夢中なのだろうなと思う。

そうではない時は、じっくりと自分の体に相談することにしてみます。

いま、元気ですか?

心に正直に生きられていますか?

という問いを託して、今回はこちらでおしまいにします。

私の内省が読者さんの内省の機会に繋がっていたら幸いです。
それでは、また次回お会いしましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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