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『ぶらんこ乗り』いしいしんじ



初めて、いしいしんじさんの『ぶらんこ乗り』を読んだのは、

もう10年以上も前のこと。

書店で目にした、美しくかわいらしい装丁。

『ぶらんこ乗り』というタイトル。

ひらがな6文字の著者名、

いしいしんじ。

丸っこくて、やさしそうな名前。

でも少し、いたずらっけがある気がする。

なんとなく興味をひかれたわたしは、

本を開いて、ページをめくった。


「いつものいやなあのばからしい高校」から帰ってきた”私”が、

おばあちゃんに「あのこのノートが見つかったよ」と

告げられるところから物語は始まる。

「あのこ」とは、”私”の”弟”のこと。

今はもういない、”弟”のこと。


とても賢くて、誰よりも純粋なたましいを持っていた”弟”。

お話をつくる天才で、動物の話を聞くことができて、

ぶらんこに乗ることと、指を鳴らすことがとても上手い”弟”。

いたずらが好きで、偏屈で、でもとてもやさしい”弟”。

”私”の視点から語られる”弟”に、

わたしはすっかり夢中になっていた。


久しぶりに、”弟”に会いたくなって、

またこの小説を手に取った。

まぶしくて、こわれやすいガラスのような”弟”のことが、

わたしは本当に好きだった。

そのことを思い出していた。


月の光に吸い込まれるように、ある日、”弟”は消えてしまう。

でも、わたしは、きっと今もどこかで、

”弟”は世界一すてきにぶらんこを漕いでいると思うのだ。

おだやかな光の中、ときおりやってくる動物たちの声に耳を澄まして。

心の中で、またね、と手を振った。

それからそっと、本を閉じた。


「飲もう。忘れてしまおう」
それは嘘。
「いつだって思ってる」
これも正確じゃない。
ときどき暗闇で小箱から取り出すように思いかえす。
これが大切。

254p


「わたしたちはずっと手をにぎってることはできませんのね」
「ぶらんこのりだからな」
だんなさんはからだをしならせながらいった。
「ずっとゆれているのがうんめいさ。けどどうだい、
すこしだけでもこうして」
と手をにぎり、またはなれながら、
「おたがいにいのちがけで手をつなげるのは、ほかでもない、
すてきなこととおもうんだよ」
ひとばんじゅう、ぶらんこはくりかえしくりかえしいききした。
あらしがやんで、どうぶつたちがしずかにねむったあとも、
ふたりのぶらんこのりはまっくらやみのなかで
なんども手をにぎりあっていた。

31p


『ぶらんこ乗り』
いしいしんじ
理論社
2000.12


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