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生意気だと思ったのか?!

ボクの過去の記事を読んでくれた人なら覚えてくれているかもしれないけど、ボクは斜頸(首が斜め)になっていた時期があります。

今とは違い両親がまだ生きていた頃の話で、ボクは佐鳴湖病院関連の元城診療所へと通っていた時の話です。

その時と時期を同じくしてラジオでハガキがよく読まれていた時期で静岡放送の土曜日の19時からのラジオ番組では、番組冒頭でボクの考えた川柳が、読まれる時には必ず1番最初に読まれていたから、その後番組を引き継いだCRaNEさんのライブに行った時に「ラジオネーム『おまえ』と『とむはっと』で投稿しています」と見知らぬ人に自己紹介すると「お~っ有名人じゃん!」と言われたこともあるのでした。

しかし静岡放送のプレスタワーの23?階で行われたファン感謝祭に行った時には、誰からも相手にされなかったのは斜頸の状態で行ったからだと思います。

元城診療所が閉鎖されることになり、紹介状を書いてもらったけど、3ヵ所の診療所へ行っても、どこも「あなたのことがよく分からないから、うちでは面倒はみれません」と言われ、佐鳴湖病院へ相談したら「それなら佐鳴湖病院へ来ればいいよ」と新たな院長から言われ、佐鳴湖病院へと通院することになったのですが、ある時に新院長が「前の院長(山田)がボクに対して薬を限界まで盛っていた」ことを教えてくれたのでした。

50年近く住み続けた我が家へ地主から「ここに新たな建物を建てるから、立ち退いてくれませんか?」と言われ、足が不自由になっていた父のために「バリアフリーの浴槽があるから」ということで遠方の天竜区にあるビレッジハウスという場所を引っ越し先に選んだのに、勝手に独りで引っ越し準備をして熱中症で倒れ、後頭部の脛椎を強打して、首から下を自分の自由に動かすことができなくなった父は、即入院したので、独りで暮らすようになり「父がいたなら耐えられたかもしれない嫌がらせ」を受けて苦しむことになりましたよ。

2ヶ月ほど仕事にも行かず、ようやく両親からの呪縛から逃れられたと安心してくつろいでいたのに、それが原因で嫌がらせが始まったみたいでした。

生前は母が金銭を扱っていたけど、その母がまだらボケになり、ボクが管理するしかなくなり、上手く金銭を使うこともできなくなり、引っ越し先の天竜区のケースワーカーさんが「生活保護を受ければよい」と言ってくれたから、受けるようになったけど、それでも上手くやり繰りできなかったから神経科である「佐鳴湖病院へ入院したらどうか?」と言ってくれて2週間入院することにしました。

退院後も拾ったタバコを吸ったりしていましたから、天竜区のケースワーカーさんが「再入院しなさい」と言ってきたから素直に再入院したけど、2回目以降の入院は長くなることはケースワーカーさんも知らなかったようでした。


入院中に父が亡くなりビレッジハウスからは退避勧告が出ましたが、天竜区の人から保管できるのは段ボール1つくらいだけだと言われたからパソコンとCDウォークマンくらいしか保管されず、他の物は全て失ってしまいました。

退院後に住むことにする場所を探してもらっていたけど、一刻も早く退院したかったから選んだ場所が区分3以上の障害者が暮らすグループホームで、重度障害者をまず先に相手にする場所だったし、金銭管理を社会福祉協議会の奴がしていたから、そこでまた苦労させられました。

そのグループホームを抜け出したから佐鳴湖病院へと再入院させられ、次に住んだ場所は多少の問題はあったけど、わりと住みやすかったのですが、そこのオーナーさんから「ここは老人が住む場所で、あなたのように働ける人は出ていってもらいたい。」というから現在のマンションへと引っ越ししてきたのでした。

佐鳴湖病院からは南区にあった「以前住んでいた場所からは遠いから」という理由で浜松市の街中にあるクラルスという診療所を紹介されましたが、そこでも医者がボクの言うことを聞いてくれず、薬の量だけは減らしてくれていたから、ここなら大丈夫だと考えていましたが、診療時間2分でやたら絵を描いてこいとか、選択式のテストをやらせたりするだけで、話を聞こうともしないという人が院長でしたから、話が拗れて行くのをやめることにしたのです。

そして令和5年10月28日には現在通っている神経科浜松病院の主治医(小林一弘)氏に頼んだことと逆に睡眠薬を増やされるということが起きました。

前から「睡眠薬ではなく睡眠導入剤をお願いします」と頼み続けたのにです。

もう他の診療所を頼むことにしますから…。


前からnoteでも今回のボクの立場と同じような目にあっているという人はいましたが、こうして同じ立場に立つとは思いもしませんでしたよ。


終りです。


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