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「あ」しか言わなかった長男に私がしたこと|自閉症児の子育て

先日、Instagramにこんな投稿をした。

6歳を過ぎてから、最近会う方々に「たくさん話すようになったね」「お話が上手になったね」と言われることが何度かあった。
これまでの長男の言葉の成長の様子を振り返り、1歳半~6歳現在までをざっくりとまとめた投稿なのだが、見事に撃沈した(笑)

アカウントの問題か、フォロワー属性の問題か、成長系の投稿は面白いほど滑る。

自分が書きたいことよりも、人が求めていることを投稿することがアカウントを伸ばすには必要だということはわかっている。
でも、これは私のアカウントだ。ときには、わが子の成長を記録したい気持ちを優先してしまう。

そうすると、見事に滑る。予想をちっとも裏切らない結果で、これはこれで正解なのでは?と思えるほどだ。
とは言っても、このどん滑り感にはさすがに凹む。こんなに反応が悪いと逆に申し訳なくなってきて、投稿を消そうかと考えてしまう。

私は一体何のためにInstagramやっているのだろうか……?

無駄に前置きが長くなってしまうほどに心が乱れているのだが、ここからが本題。

2歳7か月で自閉スペクトラム症と診断され、発達検査の指数が境界知能~軽度知的の間をウロウロしている長男の「言語発達」をざっくりまとめると、

1歳半、言葉を真似する様子はあるが自発的に話すことはなかった。
2歳、言葉を発することが一切なくなり、「あ」しか言わなくなる。
2歳10ヶ月、言葉を真似するようになり、自分から名称を言うようになる。
3歳0か月、一語文がはじまる。語彙爆発。
3歳半、二語文で話す。オウム返し多発。
4歳、三語分。エコラリア爆発期。
5歳、多語文。1往復のやりとりができる。
6歳、いろんな表現を覚える。会話はまだ一方的。

こんな感じだ。
理解力が伸びると吸収できる言葉の数も増える。言葉の理解が広がると理解できる物事が増え、また新たなものを吸収していく。
この相乗効果により、言葉がぐんぐん発達していく様子を見てきた。

よく言語聴覚士さんが「理解が先、話すのは後」と言うが、本当にその通りで、まず理解していなければ話すことはできない。まずはインプットからだ。

大人も母語以外の言語を学ぼうとするとき、まず言葉の意味を理解することから始める。「My」「name」「is」のそれぞれの意味と、自分の名前が「おまめ」だということを理解してやっと、「My name is Omame」と人に話すことができる。

当たり前すぎることなのだが、子どもは、ゼロから獲得していくのだから、人間の発達はすごい。脳ってすごい。一体どうなっているのか。
人類が存在している間に、人間の脳のすべてを解明できる日はくるのだろうか。

親や周囲の大人たちは、言葉を一つも持たない赤ちゃんに様々な言葉を話しかけて言葉の発達を促していく。いわゆる”言葉のシャワー”を浴びせるがごとく。「たくさん話しかけて」「たくさん絵本読んで」それが言葉の発達を促すということは、私も飽きるほど見聞きしてきた。

しかし、長男の場合は「たくさん話しかける」ことが発語を促したとは正直思いにくい。効果がなかったとは言わないし、少なくともマイナスに働いたことはないとは思う。

ただ、長男にとって不必要な情報は長男の脳に届く前に、何らかのフィルターによってシャットアウトされているように感じる時期があった。

話しかけても話しかけても、何にも響かない。まるで「長男に」届いていないかのように、言葉が長男の手前で滑り落ちていくようだった。
とにかく、伝わっているという感覚が得られなかった。

「喋らない」と相談すると、全員が口を揃えて「男の子はゆっくりだから」「3歳になったら喋り出すよ」という。国語の教科書にでも書かれていたのかと疑うほどに、見事に皆が同じことを言うのだ。

それ以前に、長男に「私の言葉」が届いていないような感覚であるということを、当時はうまく言語化できずに伝えられなかった。「だれもわかってくれない」とただ孤独だった。

長男の周りにあった”何らかのフィルター”は、3歳になる少し前になくなった。このとき、私はやっと長男がこの世界に存在していると感じた。
やっと「たくさん話しかける」適切なタイミングがきたのだ。「私の言葉」が、長男に届いていると感じられるようになった。

「あ」しか言わなかった長男に私がしたことは、長男がこの世界を認識することを待つことだった。もちろん、その間たくさん話しかけたし、絵本も読んだ。繰り返しになるが、それが意味がなかったとは言わない。

ただ、「たくさん話しかければいい」という安直なアドバイスは、私を苦しめるものであったことも事実なのだ。

おまめ

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