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#19 小説書いてみたい。

みなさんこんばんは!おみです!
昨日は眠くてnoteかかなかったです!なんだか、そうやってたまあに更新しない日があると、やる気がなくなるっていうか
これかこー!って思えなくなるっていうのが不思議なものですね。
それと、前回のnoteはその日に書きたいと思ったことじゃないことを書いたんです。その前日に書けなかった途中から書いたので
なんだか熱意がなくて?しかもまとまった感がなくて、そうしたら見事に♡がないっていう!
気持ちって伝わるものなんだなあって思いました。

前置きが長くなってしまった!

小説という媒体について

私は自己分析をして、何かの形で私自身も、周りの人も、自分たちが表現したいものを目に見える形にできたら素敵だなあって思う気持ちがありました。
その一つとして、芸術が好きだったので、
私な自分を表す表現は、絵 なんじゃないかな?って思ってたんですが

文章が好きで。

今note書いてるみたいに、自分の気持ちや出来事を文章に起こす作業も大好きなんです。
もちろん、今毎日続けられているのは、毎日読んでくれる人がいるって分かっていて、ちゃんと反応がもらえるからっていうのもあるんですが。

その文章に起こすっていうのは、自分自身の表現として使うよりも、他人の価値観や情報を伝達するための手段といった位置づけでした。自分の中で。

でも、今日梶井基次郎の『檸檬』を読んでみて
やっぱり、文章ってすごいなあって思ったんです。日本の文豪がすきなので、もっともっと本を読もう!って思っているんですが、(なかなか読めない!!)

梶井基次郎は感情や、気温、風景、雰囲気を比喩で表現するのが上手だなあと感じるのですが

特にネガティブな感情?何かを欲する気持ち、何かを横目で見るところ、辛い哀しいといった感情

に読んでいて共感して!高校3年生で梶井さんを知りましたが、やっぱり大学生になって読んでも、『冬の日』の最後の文章には感動しましたし、切ない。
というか梶井さん自身がそう思っていたんじゃないか。って思わざるをえなくて
共感してしまいます。

日本語の「どうぞ」はいろいろなところに使えますが、中国語はきちんと、
お茶を飲んでください、中に入ってください
と動詞を付けなければいけない、状況を規定しなければならないように、

絵といった、見た人それぞれに印象が違ったもの、と、言葉という、意味を細かくではなくとも限定する、ような、、?
今書きながら思いましたが、もしかしたら、比喩っていうのは絵と同じかもしれませんね。

だから結局、人それぞれの解釈が面白いっていうのが、それぞれの感性に響きやす言ってことなのかもしれませんね。
美しい人、とかいて。石原さとみのような美人と言わないように、

その人に想像させる幅を持たせることが芸術なのかもしれません。(完全な自論)


そんなこんなで、今日はゆるゆると書いてみました。やる気は失いかけましたが、やめませんよ絶対。
気持ちを書きたくない、と思う時こそ、どんな感情が理解したいので!!

今日のまとめとしては、自分の表現方法は様々だが、見た人よって受け止め方が異なる表現は面白い、ということでした!目指そう!

お付き合いいただきありがとうございました〜!
明日もお楽しみに!おみでした!🍋

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