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悩んで集めて、を繰り返して。

ときたま「アイデアマン」だと言われることがある。

そう言ってもらえるのはうれしいのだけど、すごい人たちはホントにすごいので、自分がアイデアマンだとは思ったことはない。とはいえ、どちらかといえばアイデアがあるほう(連想ゲームみたいなものは得意)かもしれない。

それはなんでだろうと振り返ってみると、正しいかどうかはさておき、二つほど思い当たる節があった。「釣り」と「収集癖」の二つ。

海と風と魚と対峙しながら

生まれてはじめて読んだ漫画は『釣りバカ日誌』で、その次が『釣りキチ三平』だった。漫画がきっかけになって、独り立ちしてまともに釣りをするようになったのは9歳のとき。

釣りがおもしろくもむずかしくも(また人によってはつまらなくも)あるのは、潮を読み、魚の様子を窺い、仕掛けをつくり、エサを選んで、糸を垂らしても釣れないことが大いにあるということ。

自然と魚とふたつのつねに揺れ動ているものと対峙していくわけだけど、柔軟に仕掛けを変えていく応用力が必要になる。たとえば、波風が強い日には、いつもよりも重めの錘をつけてみたり、満潮などの潮の動きがある、もしくは狙っている魚に合わせてタナ(エサを垂らす深さ)を調整したりと、変動要素が多い。

つまり、「あれ、なんか釣れないなぁ」と感じたときに、「何か新しい策を講じねば!」というトライ&エラーを何度も繰り返しながら、アイデアをひねり出す練習が自然とできたのかもしれない。それがまず一つ。

凡人がゆえに

もう一つの「収集癖」というのは、若干自分へのあきらめの気持ちから湧いてきたもの。釣りをするなかで感じたことでもあったけど、自分は「アイデアがあまり出てこないタイプの人間だ(ようは、釣りが下手だ)」という残念な気づきがあった。

アイデアマンではない凡人はどうするのか。アイデアを持っている人の話に耳を傾けるか、アイデアをひたすら収集するの二択じゃないだろうか。

臨機応変さに欠けるなら、まずはあり得るパターンを一つひとつ押さえておけるといい。それもあって、ひたすらに人から本からネットから(当時はテレビから)情報収集をするのだ。さいわい、調べることに飽きない性格だった。

調べたあとは、まずは実践してみる。そうやって自分のなかに情報が蓄積し、それぞれのパターンを整理できてくると、アイデアの”型”みたいなものが自分の引き出しにしまわれていく。

”型”ができてくると、他人のアイデアを見聞きしたときにある程度分解ができるようになり、分解されたものを自分なりに組み直して再構築することができる。おそらく一般的には、ほとんどの人はこのながれがパっとできるときを見て、「アイデアマンだな」と思うのかもしれない。

そう、収集を繰り返し、積み重ねていくと、アイデアがなかった人でもそれなりにアイデアマンっぽくなれる。だからあらためて言えば、凡人なぼくは”っぽい”だけであって、だれかが持ってたアイデアの破片を集めて、困ってる人と話をしながら、シチュエーションごとに自分の引き出しのなかのアイデアから当てはめているだけだと思う。

凡人なもんで0から1なんて生めない。すでに1以上になっているものを収集して借りパクし続けねばどうにもできないぜオレ、という恥ずかしい意識が人一倍強いんだろうな...。

アイデアもたくましさの一つ

今の時代を生きれてラッキーだと思うのは、テクノロジーのおかげもあって、アクセスできる選択肢が増えたので、情報を集めようと思えばいくらでも集められる。そういう意味では、「調べる」「情報を読み解く」リテラシーが低い人ほどこれから淘汰されていくのかも、と考えるだけでこわい。

何が言いたいのか、、を今探りながら書いてるわけだけど(笑)、たぶん、次のようなこと。

アイデアが生まれないなら、まずはすでにあるアイデアを探しにいってみたほうがいい。人に頼るのもわるくはないけど、それよりも前に自分で本やネットで調べてみたりなんかして。

それを怠ってると、アイデア不足でだれかに依存しがちに暮らしていくことになるし、そっちのほうが後々しんどいこと多そうだし。サバイバルするって鶏を捌けるとか自家発電できるとかそれだけじゃなくて、そういうアイデアの集め方も含めてなんだろうな。おそらく。そうであってほしい。

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