世代で人は決まらないのよ
Xを眺めていたら、Z世代が選ぶ「新学期あるあるTOP10」についての画像が流れてきた。
「世代」というものに人よりは敏感なほうだと思っている。20代でハチナナハチハチというブログメディアをやっていたせいか。たまたま数人ではじめた共同ブログメンバーが87-88年生まれで固まってただけだったけど、まあ世代の意識はした。
メンバーは俗に「ゆとり世代」なんて言われる、その初期の初期の世代だろう。かるく調べてみると、1987-2004年生まれまでをそう括ってるらしい。いやいや、17年も離れてれば「ゆとり世代は〜」と言われても幅ありすぎ!って思っちゃう。
そして「Z世代」なんだけど、これは1990-2010年らしく、幅の話どころか、この概念が海外からきたものだったりして、日本の世代論と混ざっちゃってて紛らわしい。
ようは、分類上「ゆとり世代であり、Z世代でもある人」がいるわけだ。メディアが新しい言葉を見つけたから(そっちのほうがお金になるから)、古い言葉は消耗するだけ消耗して、次へと行く。日本語(といっても社会を動かすのは外来語の横文字多くて悔しいよね)と経済の関係性はそういうものっぽい。
だれかが自分を世代のような流行り廃りある属性にくくってくるのはべつにいいけど(無視すりゃいいだけだから)、自分で自分を属性に当てはめて「ゆとり/Z世代だから、わたしはこうです」と規定するようなら、そいつはヤバいよなぁ。属性のラベリングに騙されちゃうのは。まあヤバいって言葉を使っちゃってるぼくもだいぶヤバいか。笑
なんでもかんでも自分たちが理解したいがために、分類して、くくろうとしてくる大人は、「はいはい」と流しつつ、言葉で戦ってくしかない。
観察対象として気にかけてくれるのはうれしいけど、小手先での傾向と対策をとる暇があったら、もっと大きな社会構造に立ち向かって、次世代が生きやすい時代をつくっておくれよ。ってさ。
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