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モテたい人がいない問題

 岡村靖幸 w 小出祐介(Base Ball Bear)の『愛はおしゃれじゃない』が死ぬほど好きだ。曲自体が、ってのもあるけど、はじめて聴いた(観た)YouTubeのライブ映像にまずシビれた。紫から青へ。ネオンカーテンが切り替わるところから始まり、その光に反射して映るのは観客の頭頭手手頭手頭頭手手手......演出がカッコいいし、幕が上がり満を持して登場する岡村靖幸が50才近いおっさんなのにその色気ったらないし、乾燥中のダンスシーンも不思議と惹き込まれるし、途中登場する小出祐介の憎めない小生意気さ、そして沸き立つ観客の姿もふくめ、この曲の虜になってしまった。何度も何度も聴いてると、いつの間にか歌詞が頭に入ってくるようになる。

モテたいぜ君にだけに いつもそればかり考えて

 好きな人に好かれたい、という煩悩溢るる思いを、不特定多数の人で構成されるこの世の中で、特定一人をめっちゃ狙い撃ちしていく攻めの姿勢が見えつつも、そのわりには「モテたい」という受け身なことばを使って表現してるあたりにグッとくる。

 これも以前記した”女性性”を感じる歌詞の一つなのかもしれない。

 この曲を聴くたびに気づかされるのは、「モテたいぜ君にだけに」と想えるような人が自分にがいないぜ! という目の前にゴミのようにころがる現実である。

 おもうに、「モテたい」という感情が抱えてこんでいるエネルギーは凄まじい。おそらくその総量は悟空の元気玉を超える。そして冷静に振り返ると、そういうとてつもないエネルギーが(今の?)自分にはないんだなぁ、と悟ってしまうわけで、胸にぽっかり穴、スースー空虚感を覚えるのだ。

 まあ、”恋愛”ってことにおいては、もうこんな考えで日々をやっているわけだから、ある程度はしょうがないとは肯定してはいる。けど、異性うんぬんとかじゃない「モテたい」対象のなさに根本的な不安があるのだ。

 ほら、たとえば、褒めてられるからと言ってだれが褒めてもうれしいわけじゃなく、「この人に褒められるとうれしいんだよなぁ」っていう人がいたりするじゃないすか。

 いとうせいこうさんは、ナンシー関さんに褒められたくて『虎の門』をがんばっていた、と話していた。そんなふうに、特定の人から眼差しと感情を向けられる対象に自分がなりたい、って気持ちは強いエネルギーとなり、馬力をあげ、物事を突き動かしてくれる。

 そういうモテたい感覚って、自分も数年前までは身近な人に対して持っていたはずなのに、今はない。覇気のなさ、熱量のなさ、そもそも活力を感じることなく、日常が過ぎていくのも、その”モテたい人がいない問題”のせいなんじゃないかとふと気づいたのだ。毎日が精神的におしゃれじゃない。

 とはいえ、その対象を無理やり作るもんでもないし、たとえばいとうせいこうさんのような超遠い存在の人をその対象とするのもリアリティがまるでない。

 とりあえずのところは、(根暗でも)前向きな構えは保ちつつ、やれる範囲でやれる事をちびちびとでも進めていれば、時間が解決してくれる、と50%くらい信じ、今日よりは1gすこやかな明日を願い、布団にもぐり込むとしよう。

 さて、寝るぞ! いい夢みろよ! 歯みがけよ!

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