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暖かな場所へと


こんにちは☀️
最近、私の住む町では雨が降り続いていました☔️
梅雨の気配を感じつつ、朝晩は肌寒いので羽毛布団をいつ仕舞い込むか悩み中です🤔笑

BTSのカムバも、どんどん近付いてきていますが6月はFESTAもありますし、心の準備をしなきゃ…☺️!

ナムジュンのインスタ更新が最近の楽しみです💫
素敵な絵や作品が沢山🫶


さて、冒頭からビックリされるかもしれませんが…。
まだ寒い日が続いていた2月中旬、一足先に暖かな場所へと愛犬が旅立ちました🌈

以前から愛犬については何度かnoteに書いていたので、私や愛犬達を気遣って下さっていた方々にご報告したいなと思ってはいたのですが、しばらくはnoteを作成しては消して、の繰り返しでした。
どうにも、上手く書けなくて手が止まってしまって。現実に気持ちが追いついていなかったんだろうなと思います。
でも無理に書くことは、いつも見て下さってる方や、愛犬にも失礼だなと思い、書きかけのまま下書きに眠らせていました。

それでもやっと最近、「書きたいな」と思えるようになってきたので。
完全に整理のついてない、心のままでも 「書きたいなら、書いてみよう」と。


はじめに、ご報告としてご挨拶をいつも私や愛犬を見守って下さっていた方々に向けて。
暖かな言葉達やお心遣いに癒され、励まされた夜が何度もありました。
ここで出逢えた方に、愛犬の話を読んでいただけた事、とても幸せな事だったなと思います。
本当に、ありがとうございました💫

そして、初めてこのnoteを見て下さっている方がいらっしゃれば 初めまして。
ここからは、私と愛犬の看取りまでの記録を綴ります。

オブラートに包んでもいませんし、しんどい内容もあるかと思いますが、ご了承下さい。

犬も、他の動物達も、人と同じようにみんな同じようには育ちません。
その子自身の性格や、犬種によって適した環境を整えてあげることも必要ですし、体調を崩したり、病気になったり、心が傷付くことだってあります。
人のせいで心身共に傷を負う子も沢山います。
人に都合のいいように、癒しを与えてくれるだけのぬいぐるみのような存在ではなく、命ある生き物です。

私と愛犬の記録を通し、小さな命への責任について少しでも、誰か1人でもいいので考えるキッカケになってくれたら嬉しいですし、大切な人を大切にすることと同じように、共に生きると決めた動物達をどうか大切にしてあげてほしいと、心から願っています。


18年と3ヶ月という長い年月を共に過ごした愛犬は、私がまだ10歳にもならない頃に、ブリーダーさんの元で産まれた。
私自身が引き取りに行った時は幼かった為、記憶が曖昧だけれど 困ったような小さな顔と大きな瞳が、とても印象的だったのは覚えている。
うちに来たばかりの頃は、リビングから誰もいなくなると「クーンクーン」と鳴く癖があった。

小さな頃から、抱っこなどのスキンシップがあまり好きではなかったけれど、家族がそばに居ないと不安になる子で。
知らんぷりしつつ、なんだかんだ周りの状況をよく見ているような子だった。
わんこ達にも、多様な個性がある。

そして、愛犬は一歳の時に子犬達を産んだ。
昨年9月に亡くなった私の愛犬は、この子の息子である。
子犬のお世話を献身的にする子で、トイレのお世話をしなくていい年齢になっても、自分の息子のお世話をする素振りを見せていた。

犬にも人にも 少し素っ気無いけれど、愛情深い子。
そんな愛犬は、息子ワンコと同じく 特発性てんかん持ちで、若い頃はよく発作を起こした。
てんかんの発作は、幾度となく見てきたが慣れるものではない。
本当に、死んでしまうのではないかというくらい発作が大きいからだ。
犬にとっても同じように恐怖であることも確か。
発作が始まる直前は慌てたように怯えながら側に寄って来て、私や母の足にしがみつくようにして震えていた。
何度か経験すると、発作の前兆と分かるため 時計で時間を確認し、発作の時間を計るようにしていた。(あまりに長い病気のと悪化の可能性があるので)

もし、てんかんと診断されたばかりのワンコがいる方がいれば、発作が始まると酷い痙攣を起こす為、必ず頭を打たないように布団を置いてほしい。
(うちの愛犬の場合は、部分痙攣で足が動かなくなり、倒れ込む場合が多かったので 骨折等の怪我にも注意が必要)
おしっこやうんちが漏れてしまうことや、涎が止まらなったり、泡をふくこともあったり…。
嘔吐の可能性もあるので、ペットシートやティッシュは いつも手の届く場所に置くようにするのが安心。
発作は大きいけれど、大抵の場合は2、3分で収まってケロッと元に戻ることが多いのだけれど、私の愛犬はしばらく怖くて震える事が多かったので…
意識が戻っても震えるようなら、ゆっくり撫でて安心させてあげて欲しい。

発作時は座薬を素早く入れることで、軽く済むようになったり、薬も継続的に飲んでいた為、年齢が上がってからはほぼ起こさなくなったものの、亡くなる何ヶ月か前に一度だけ てんかん発作があった。
高齢になると発作が起きやすくなる事があるようなので、てんかん持ちの子は注意が必要である。

それと、乳がんを患う一歩手前で腫瘍を摘出したり、クッシング症候群(クッシング症候群とは、副腎からのコルチゾールの分泌が過剰になることにより、さまざまな症状をきたす病気)を患ったりと、息子ワンコと同様に病気の多い子だった。

クッシング症候群は、皮膚炎•膀胱炎にかかりやすかったり、多飲多尿が特徴的で1日に10回を超える時もあった。
薬でのコントロールも難しい病気なので、少しでも尿の回数が減ったり増えすぎると病院で検査をし、薬の量を微調整しながら付き合っていくしかなかった。
(その日飲んだ水の量、おしっこの回数等も薬の微調整に必要な情報だったので、数年間、母が毎日記録して病院に持って行ってました)

食欲が旺盛になりすぎてしまう症状もあり、元々よく食べる子だったけれど 食べ過ぎを防止する為に、食事の管理も難しくなった。
お腹が空くと、歩き回って落ち着かなくなってしまったり、吠えたりするので食べ過ぎないように数回に分けて与えたりしていた。

17歳頃からは、クッシングの症状によって毛が薄くなってしまったり、背中に大きな皮膚炎が起きたりということもあったし、歳を重ねたことにより、心臓も悪くなり始めていた。

高齢になってから、1番大きな出来事といえば 昨年の春に片目を手術で摘出したことだろうか。
高齢になり、白内障が進んでしまって見えづらくなった結果、目をぶつけてしまい角膜潰瘍に。

年齢的に麻酔を使うことへの抵抗や、術後の感染症の懸念もあったものの…
急激に悪化した場合は角膜穿孔(角膜に穴があいてしまった状態)になり、細菌感染を引き起こす可能性もあった為、放っておく方が危険との医師の判断で手術を決意。

術後しばらくは、感染症を起こさないか、目を擦らないか?母と2人で不安な日々を過ごしたのを覚えている。
結果的に、感染症等もなく無事抜糸できたけれど、本当によく手術に耐えられたと思うし、それ以上痛い思いをせずに済んで本当に良かった。

残った片目を守る為•転倒による骨折を防止する為に、小屋の中を改造して ぶつかっても大丈夫なようにタオルを巻いたり、クッションを置いたり。
専用のものがなかなか無くて、同じようなワンコがいる方の情報を調べたり、術後安定してからも創意工夫の日々。
(参考までに…私達は、歩ける範囲を見えていた頃より狭めて 柵は柔らかい素材のものを使ったり、ぶつけそうな箇所には毛羽立ち難い素材のタオルや膝掛けを巻いていました。
あと、段差も小屋のドアもまだ少し目が見えていた時期に早めに外しました。)

幸い、最初の内は残った片目が薄ら見えていたことと、トイレや寝床の場所を覚えてくれていたので…
最終的に全く見えなくなってからも、おぼつかない足取りではありながら、一生懸命に生活を続けられていた。

そして、今年のお正月頃 なんだか咳をしている?と気づき、回数が増えた為にお正月明けに病院へ。
結果、肺炎を患っていた。
高齢犬にとって冬は特に厳しい季節だと思う、年齢的に免疫力も低下していく上に、気温差も身体に堪える為、肺炎が特に起こりやすいのだそう。

投薬治療を続けたけれど、高齢の為に完全回復とはいかなかった。
咳が治ってきたと思えば、痰が絡んで苦しそうにすることもあり、痰を切りやすくする薬を追加してもらっていた。
最悪の事態も考えていたけれど、酷く悪化はしなかったことは幸いだった。

そして、多少良くなったかな?と思っていた2月頃。だいぶ回復して動けるようになり、春になったら外で日光浴出来たらいいね、と母と愛犬と話していた矢先のことだった。
ジワジワとフードの食いつきが悪くなり始めた。水は一切飲まなくなった。
そして、度々苦しそうな呼吸がたまに起こるようになった。

亡くなる2日ほど前には、急に肺炎の症状とは違うような 心臓の発作のようなものが頻発に起こるようになった。
「ハッハッハッ」と苦しそうに呼吸が速くなっては落ち着いたりを繰り返していた。
少し動いたりすると、苦しくなってパタッと布団に倒れ込んだり、眠っていても途中で起きたり…。
「あ、多分そろそろなのかも」と、なんとなく母も私も分かった。身体が命を終える準備を始めたような感じだった。

いつも通っていた病院には、受診するべきか相談したものの 「その状態で、病院に連れてくるのはリスクが大きい」とハッキリと伝えてくれた。
病院までの道中で、体力が尽きる可能性が高いとのことだった。

昨年9月に先に旅立った息子ワンコは、以前noteにも書いたけれど、何日も眠れぬまま、夜通しもがき苦しんだ末に旅立った。
あまりに何日も苦しそうなので、病院で点滴等をしたけれど 余計に苦しみを伸ばしてしまったような気がして、ずっとそれを後悔していた。
だからこそ、この子はなるべく苦しまずに旅立てるように、無理な延命処置はやらないと 母と決めていたので、病院には行かずにそのまま家で見守ることにした。

発作が始まって 呼吸が苦しくても食欲はあった為、お腹が空くと無理にでも歩いて来てご飯をせがんだ。
ご飯をあげると かなり呼吸が荒くなってしまっていたので、最初はあげないほうがいいのでは?と思った。

しかし、クッシング症候群の影響もあって食欲が抑えられず落ち着かないように見受けられたので…。
歩き回って、転倒する方が危ないと判断し、最後の2日間は大好きなブロッコリーとササミを混ぜたお粥を、少しずつ休ませながら食べさせた。そして水と同様に、フードも一切受け付けなくなった。

母と交代で、常に一緒にいるようにした。いつまでこの状態が続くかも、状態が良くなるのかもわからなかった為、その場その場で対応していくしかなかった。

そして亡くなった日の朝には、もう布団から起き上がれなくなっていた。
口を開けたままでないと呼吸が出来ず、よだれが酷かったので、気持ち悪くないように、身体が汚れないようにタオルを口元に置いておいた。
布団で寝ながら、荒くなる呼吸の頻度が増えていき、一度大きな発作のようなものが起きた。大きく痙攣して、パタっと倒れ込んだ。
少しだけ、呼吸が止まってしまって 動かなくなってしまってヒヤッとした。けれど呼吸が再び戻って目に光が戻った。
痙攣を起こした影響で、おしっこと便が漏れてしまって、身体が冷えないように、でも苦しそうなので動かさないように。
出来る範囲で綺麗にして、また起こるかもしれない痙攣に備えて、ペットシートを沢山敷いておいた。

その後、少しだけ落ち着いて眠っていた愛犬と共に、私も母もウトウトしたり、ご飯を少し食べて次の発作に備えていた。
そしてお昼頃、また大きな発作が起きた。
大きめの痙攣はあったけれどすぐ止まり、呼吸が止まった。
正直この時、「もしかしたら朝みたいにまた起き上がるんじゃ?」という自分勝手な期待があった。
愛犬にとっては苦しみを長引かせるだけで、よくないことだとわかっていたのに、正直に言うと馬鹿みたいに期待した自分が居て、少し怖くなった。
でも、そのまま段々と目の光が消えていき、いつも眠っているような体勢のまま、本当に静かに旅立った。
死の直前に吐いたり、もがいたりすることもなく、本当に穏やかな最後だった。


息を引き取ってからも、しばらく身体は温かくて。
亡くなるまで、暖かい部屋に居たからだろうけど
「本当は眠っているだけなんじゃ?」という願望にも近いような想いが何度もよぎって、母と何度も愛犬の身体を撫でて確かめた。
それでも段々と冷たくなる身体が、ただ寂しかった。
でも、穏やかな表情で眠る愛犬を見たら「良かったな」と素直に思えた。

愛犬の身体を拭いて、綺麗にして、身体が傷まないように保冷剤を用意して、タオルをかけてやった。
そして、母とお花を買いに行った。
よく行く小さなお花屋さん、併設しているスーパーも、人も 行き交う車も全てがいつも通り動いていて。
それがなぜか物凄く非現実的に思えて、自分達だけ別の世界から来たような。
うまく言えないけれど、私だけが置き去りになったような、不思議な感覚だった。

その夜は、買ってきた花をそばに置いてやって 愛犬に声をかけたり、何度も撫でてやったり、離れて暮らす姉に報告をしたり。
一晩で出来るだけのお別れの準備をした。
本当ならば一晩中、一緒に居たかったけれど 翌日のお別れに備えて無理矢理眠って、朝はあっという間にやってきた。
母と、私と愛犬で火葬に向かった。
台の上に横たわる愛犬を見て、涙が止まらなくて、お別れの挨拶は上手く言えなかったけれど、言葉はなくても なんとなくわかってくれているような気がした。

その日は私の住む街では、珍しく本格的に雪が降った。
火葬を待つ間、車の中で雪を眺めたけれど いつも雪なんて降らないから、余計に非現実的に思えた。

火葬が終わり、小さなお骨を母と拾っている間は不思議と落ち着いた気持ちでいた。命を全うできて心からよかったと思えたし、小さな身体で本当に頑張ったなぁなんて、母と話したりもした。
全てが終わって、お骨と共に家に帰ると 静まり返った部屋が酷く寂しかった。
すぐに、先立った息子ワンコの骨壷の隣に置いてやった。元気な頃の、可愛い写真も一緒に。

たった数日の出来事だったけれど、凄く遠い日のような気がして、現実味がないのに ひたすらに寂しく、酷く沈んだ心が現実を感じさせた。

これは母と私の勝手な想像だけれど この子は先に旅立った愛犬に対する寂しさが、私たちの中で少し癒えるまで、旅立ちの日を待ってくれていたように思う。
本当のことはわからないけれど、そうなんじゃないかなあと漠然と。
スキンシップは苦手だったけれど、人や周りをよく見ていた子だったから。

本当に、本当に長い時間を 病気を抱えながらも一緒に生きてくれたこと、命を全うしてくれたこと、心からありがとうと伝えたい。
私の家には、物心ついた時から愛犬達が居て それが当たり前だったし、私の日常だった。

初めて、愛犬達の居ない家の中で、もの悲しさと寂しさを知って 悲しいのかなんかのか、自分の心の状態がわからなくなった期間がしばらく続いた。

時間を埋めるようにひたすらに母とドラマを見て過ごしていた日々が1ヶ月ほどあったのだけれど、その時間は何も考えずに物語に没頭できた。
あの時間がなければ2人とも、もっと落ち込んで酷いペットロスになっていたかもしれないなあと思う。

愛犬が亡くなって少し経ってから親友に報告した時には、貰った言葉があまりにも暖かくて 愛犬がいなくなって初めてボロボロ泣いた。
とてもとても、ありがたかったし、凍っていた心が少しずつ溶けていくようだった。

そして、別れの季節から 早くも3ヶ月が経とうとしているが、母も私も穏やかな気持ちで居られるようになったように思う。
大好きなBTSを見て、曲を聴いて心から楽しめるようになってきたし、心は少しずつだけど動き出しているようだ。

あと…喪失感を埋めるように、悲しい気持ちばかりだと愛犬達も寂しいかと思って家に花を絶やさないようにしていたのだけれど💐
それをキッカケに花を育てることが好きになって、新たな趣味になった。

花が家の中にあるだけで、穏やかで明るい気持ちになれた。
花の水換えや、お手入れなどの作業が、今の私にとってはなくてはならない心の休息になっているらしい。

人って生きていく為に、色々な方法を模索していくんだなあと。
こうして改めて書いているとなんだか不思議な気持ちだけれど、悲しい気持ちよりも暖かな気持ちのほうが大きいので一歩前進かしら。


しばらくは、ペットを新たに迎え入れる予定はない。
自分自身に金銭的な余裕と、心身の安定が訪れれば また迎え入れるのではないかなあ…と、今は漠然とした考えしか浮かばないけれど。
また新たな家族を迎えるとしても、愛犬達はずっと一緒にいてくれるような気がしている。

きっと、愛犬達は虹の橋でお花にでも囲まれて、幼い時のように走り回ってるんじゃないかしら?
たまには夢の中にでも、会いにきてくれたら嬉しいな。
どうか、暖かな場所へと導かれていますように。


このnoteをここまで読んでくださった方がいらっしゃれば、ありがとうございました。
最初に書いたように ペットの命について誰か1人でも、ほんの少しでも考えるキッカケになれば、という願いも込めて あえて愛犬についてのそのままを書きました。

決して、嫌な気持ちにさせたかったわけではないのですが感じ方や受け取り方は 皆さまそれぞれだと思いますので、配慮が足りず乱雑な部分もあったかもしれませんし、直接的表現が不快だった部分があったとしたらすみません。

最後に、同じようにペットの看取りを経験された方や、今なにか苦しい気持ちを抱えている方がいらっしゃれば…

自分が感じる気持ちは、誰のものでもなく、自分のものです。
普通じゃないとか、間違っているとか、いつまで悲しんでるんだとか、そんな風に心無い言葉に出会う事も、あってほしくないけれどあるかもしれない。

でも、悲しみや喪失感を心に抱えながら、それでも日々を懸命に生きている自分が居ることを忘れないで、たまにちょこっと🤏でいいので、褒めてあげて欲しいです。
何もする気が起きないなら、何もしなくていいし…人生の中でそんな時があってもいいか、と最近思っています。
私自身 今もまだ、躓く方が多いですが…まずそういった心掛けから練習をしている最中です。

悲しみも、喪失感も、時間が解決してくれる、なんて確証の無いことは私には言えないし、言いたくないです。
解決しなくても、消えない気持ちでも、心に存在していたって良いと思うから。
ただ、ずっと息苦しいままはしんどいから じんわりとゆっくりと、悲しみが形を変えて心に染み込んで、心の糧となっていくことを信じていたいです。

食べられる時には好きなものを食べて、観たい景色を見て、笑える時は笑って、泣ける時には泣いて、無理だなって時は休んで、眠れる時は眠って。
苦しくて悲しい日よりも、素敵な日が少しずつ多く訪れますように。

愛を込めて。


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