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音楽は一対一であるべきだ。


前回のヌルッとした記事を読み返す。(ヌルッと、の使い方合ってるのかな?)


あれから3ヶ月。
あたかも納得したかのように書いているけど、半分くらいは無理やりでした。


あの日を思い出すたび、この3年で曲から感じ取っていたものはまったくの幻想なんじゃないかなってぼんやり考えてしまう自分がいた。

日常だと思えるような寄り添い方をしてくれる5人の音楽はわたしの勘違いだったのかな。彼らの真っ直ぐを音楽を通して受け止められていた実感はニセモノ?


知らない曲なんて1つだってない。イントロに入る前の段階から何の曲が来るのかだって分かっていた。そう思ったことだけ覚えていて、肝心の曲自体を全く思い出せない。何の曲をやったんだっけ。思い出せない自分が信じられなかった。


そして、そう思うと同時に大変自分に絶望した。なぜあの時、何も掴めなかったのか、わたしが信じていた物は本当に存在しているの?積み上げてきた自分の確信が崩れる音がした。




わたしはあの日、音に触れることさえ出来なかったのだ。目の前で全部消えていった。 それがとても、とても辛かったです。


今まで1番近くにいると思っていた音楽が限りなく遠くて、追いつけていなかった自分に嫌気がさす。わたしはライブを楽しむ余裕なんて全くなく、終わりに向かっていくにつれて何も掴めていない自分に焦りが増していくばかりだった。




終わってみて思い浮かんだのは、頭上に広がる少し煙がかった空気だけ。あまりに大きなあのホールで、わたしは完全に埋もれていた。


ライブに行って、こんなにも寂しく感じることがあるなんて思ってもみなかった。なんだかすごく虚しかった。


すぐに次のツアーが発表された。

まるでわたしを遠ざけるように、応募したチケットは全部外れるし譲ってもらったチケットの日には予定が入るしと散々な状態。それでも諦めたくなかった。


そして来たる12月。
優しい方々が協力してくれて、なんとか行けることになった、大好きなzeppでの公演。


どうか、どうか今日は掴めますようにと思いながら急いで会場に向かう。


終わってみれば、
最初から最後まで、ちゃんと全部覚えてる。


音も景色も思い出せる。
なんの妨げもなくわたしの中に入ってきて、音の粒が寄り添ってくれた。



心が空間に溶けていくようで安心感に包まれた感覚は忘れられない。言葉にすると本当に薄っぺらいけど幸せだった。寂しさを感じた3ヶ月前は嘘のよう。


この日はちゃんと「わたし」に届けてくれた気持ちがした。作り物じゃない、真っ直ぐの音を丁寧に届けてくれた。


音楽は一対一であってほしい。
「あなたとわたし」であってほしいんだ。


わたしの毎日は平凡で退屈で、それこそありきたりな毎日なんだけど、その時だけは間違いなく特別で、音楽と心が通うような瞬間が奇跡みたいに思えた。


このバンドはわたしの心を大きく揺さぶってくる。平凡で退屈な毎日を、複雑な感情で埋め尽くしていく。


3ヶ月前の寂しさの原因は「わたし」に届かなかったからである。音を投げてくれていたけど、わたしのところまでは届いてこなくて、わたしも取りに行こうとしなかった。

きっとそういうことだったんだと思う。



音楽は一対一であってほしい。
今度大きな会場でライブをした時は、わたしのところまでは届けてほしいし、わたしも全力で掴みに行きたい。


そして出来れば、着飾らないありのままの彼らでいて欲しいとそう思った。
表舞台に出る人が、どれだけ自分を隠さなければいけないのかは分からない。だけど少なくとも音楽は、作り物じゃない生きている音を受け取りたい。


ずっと不安だったけど、わたしが信じていたものは確かにそこにあったようです。これからもこの感覚を信じてついていく。



#エッセイ #音楽 #バンド


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