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「米子 松江 どっち」

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「米子 松江 どっち」

ある年のゴールデンウィークまっただ中、男はスマホの検索窓にそう入力した。意図が知りたい人は、今この記事を読んでいるデバイスでぜひ検索してみてほしい。検索結果の上位には、Yahoo!知恵袋などのQ&Aサイトが表示されるはずだ。各サイトのページタイトルは概ね、

『米子と松江はどっちが都会ですか?』

という問いを投げかけるものになっているだろう。

20XX年5月5日、午後9時過ぎ。
一人の旅人は、米子イチと称される繁華街で絶望していた。

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事の発端に特筆すべきものはない。

5月上旬のカレンダーをすべて休日色に塗り替えた私は、日々の労働で疲弊した肉体を「ここではないどこかで癒したい」と無計画に車を走らせ、名の通った観光地で行き当たりばったりの一人旅をするのが、例年ゴールデンウィークの楽しみ方であった。

ここ数年は、岡山、広島、四国4県、和歌山など、瀬戸内海もしくは太平洋を満喫してきた。

「今年はどこへいこう」
「そうだ、山陰地方は行ったことがないな」
「よし、じゃあ米子なんてのはどうだろう。山陰イチの都会だったはず」

誰に話しかけるでもなく独り言を吐きながら家を出る私。
右手には財布、左手にはスマホ。旅人の装備はいつもこれだけである。

今回の旅のルートはこうだ。

1. 自宅を出発し、まずは兵庫県佐用市に向かう。
2. 佐用から延びている無料の鳥取道を走り、鳥取県鳥取市まで行く。
3. 鳥取市では砂丘と戯れ、スタバに対抗したことで有名な「スナバ珈琲」でコーヒーを1杯。
4. その後、海岸線をなめる国道9号線で鳥取県最大の都市、米子市を目指す。
5. 米子まで行けば、近隣にはかの有名な皆生温泉と境港がある。
6. 皆生温泉で疲れを取り、米子で宿泊。
7. 翌日は早朝から境港のゲゲゲの鬼太郎ミュージアムで水木しげる先生に手を合わせ、少し南下し、霊峰・大山で高原ミルクを飲んで牛の乳搾りでもして帰ろう。

スマートフォンに表示された地図を画面上で滑らせながら、まばたき3回の内に旅程を決める。有限の資源に囚われる旅人には、一瞬のうちにグレートジャーニーを思い描く能力が求められた。

ここで、この緻密な計画を寸分の狂いなく遂行するために、無休で車を走らせるタフネスが必要になった。自宅に帰る日の夕方には友人が訪ねてくる予定が入ったからだ。タイムリミットは冒険に欠かすことができないスパイスである。

無謀と言われても力づくで計画を推し進める強引さも男は持ち合わせた方がよい。
たまの強引さは、普段の誠実さでカバーすればよい。

「一体どこが疲弊した肉体を癒す旅なのだ」とヒトは思うだろう。事実、車での一人旅は運転疲れとの戦いである。しかし、この戦いに勝ってこそ己の成長が手に入る。そして成長を実感するとき、極上の癒し効果があると噂に聞く。

「自分探しの旅」という陳腐なフレーズがあるが、旅先に「まだ見ぬ自分」などいない。もしも「まだ見ぬ自分」という存在の気配があるのだとすれば、それは旅を終えて帰った自宅の椅子に静かに座って佇んでいるのだろう。

思想的な話をしている間に、佐用市に入った。
入ったはいいが、道に迷った。

ドライブをしていると、なぜかよく山道に迷い込み、遭難しかける。分かれ道にぶつかったら迷わず細い道を選ぶーーそれが旅人の数少ない掟なのだが、なにか関係しているのだろうか。

このまま死ぬかもしれないと途方に暮れながら車幅ギリギリの舗装もされていない峠を進み続けて、ようやくガードレールが見えたときの感動はクセになる。「人工物が見えた!」という感動、エクスタシーだ。

今回もまたエクスタシーが背筋を走る。遠目にガードレールが見えたのである。村人Aを発見するのも時間の問題だ。ほうら、人影が見えた。私は大きな声で訊ねる。

「おじいさん、鳥取道はどこから乗ればいいですか」

こうして無事、鳥取道に乗り、1時間弱走り続けると鳥取市内に到着した。

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兵庫と鳥取の県境を越えたトヨタ車は鳥取砂丘に向かった。

砂丘には前年の夏にも仕事で来ていたため、靴の中に砂粒が入るほどの深入りはしなかった。なにより天候に難があった。どんよりと重く厚い鉛色の雨雲が、日本海上空に停滞していた。いつ降り出してもおかしくない空模様と、吹き荒ぶ風に舞う砂嵐の攻勢が、いつまでもその地に滞在することを許さなかった。

なにより砂丘は第一通過点だ。ここで貴重な時間を割く訳にはいかない。
日が暮れるまでに100km先にある米子にまで行かなければならない。そのとき時刻は14時半だった。

旅路を急ぐものの、鳥取市内にはもうひとつ目的があった。『すなば珈琲』だ。
2014年。47都道府県に唯一、コーヒーチェーンのスターバックス『スタバ』が出店していなかったため、時の鳥取県知事が「スタバは無いけど日本一のスナバはある」という旨の発言をした。その言葉を聞いた地元の企業が、これはイケると『すなば珈琲』をオープンさせた、ということらしかった。

なんとたくましい商魂だろう。これならばたしかに話題性に富む。

駅前店に足を運んだところ、店の外にまで若者が並んでいた。さすがに何十分も並んでまでコーヒーを飲む気にはなれない。諦めた私は、米子市に向けてふたたび車を走らせた。

「因幡の白うさぎ」で有名な白兎海岸を越え、この信号を過ぎれば山陰道バイパスに接続されるという交差点で、赤信号につかまった。何気なく窓の外に目を向けると『すなば珈琲』の文字が。どうやら支店があるみたいだ。

旅に運はつきものである。念願のすなば珈琲に入店した。

そこは、一見普通の食堂のようだった。変わったところといえば、いたるところに社長がメディアで取り上げられたときの写真が飾られている点だ。初老の女性ホールスタッフは、なぜかシェフのような装い。接客がぎこちないのは、彼女が本当にシェフだからか。

メニューを開くと、カレーがイチ押しのようだった。野菜たっぷりのカレーが540円。安い。せっかくだからと遅めの昼食をとることにした。

運ばれてきたカレーは甘かった。やるせないほどに。
食事中、私はよく水を飲む。外食先の店員に申し訳ないほど、よく飲む。この日もグラスはすぐに空になった。しかしそれはカレーが辛いわけではない。むしろ甘い。

店内はスタッフの待機場所から客席が見渡しづらいレイアウトだった。無論こちらからもスタッフが見えづらい。スタッフを呼べずにいると、のどが詰まりそうになったところでスタッフが水を注ぎに来てくれた。シェフ姿のホールスタッフは心配そうな顔で「辛かったですか?」と聞いてきた。このカレーを辛く感じるのは、おそらく砂糖の妖精くらいだろう。

残念ながら、すなば珈琲とは合わないな。そう思い、食後のコーヒーは頼まずに店を出た。死ぬほど甘いカレーを食べたくなった時はまた来ることにしよう。そう思った。そう思ったんだ。

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風力発電の巨大なタービン群を横目に山陰道を西へ進む。雨雲に覆われながらも絶大なる存在感を誇示する大山。その雄姿に見とれながら米子へ向かう。

走り続けること2時間。ついに鳥取県米子市に到着した。

辺りはまだ明るかったものの、時刻は午後5時すぎ。次の目的地は皆生温泉だが、まずは米子駅を一目見ようと、道路標識に従って車を走らせる。

山陰地方で一番栄えていると噂の米子。今夜はこの町でステキな一夜を過ごす。そんな思いを携えてはるばる関西からやってきたが、米子駅に向かう道のりでフロントガラスに映し出される風景に一抹の不安を覚えた。人の気配が無いのだ。山陰(やまかげ)にでも隠れているのか。

JR米子駅をくるりと旋回して皆生温泉に進路をとる。目的地まで、米子の中心地から車で15分ほど。弓ケ浜の海岸沿いにある皆生温泉は、山陰地方最大の温泉郷だ。

夜の町へ繰り出す前に、体を清める。それが旅人の数少ない掟。

やたらとアジアンテイストな日帰り温泉施設でゆっくり温泉に浸かり、準備は万端。泉質は良かったように思う。海のそばだからか、塩分は多めだった。

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午後7時30分。
いま私は米子市で一番の繁華街、朝日町の入り口に立っている。

すっかり日も暮れて、辺りは真っ暗。そう、真っ暗なのだ。本来ネオンが灯るはずの、飲み屋の電飾看板に明かりが点いていない。

朝日町の本通りは直線距離でいうと200メートルくらいだろうか。所狭しとテナントビルがひしめき合ってはいるが、事切れたネオン看板が無数にぶら下がっている。最盛期は一体どれほどの盛り上がりだったのだろう。想像するとわくわくするほどである。

しかし今は見るも無惨な有様だ。(おそらく地元の)客が入っている居酒屋を窓越しに何軒か確認できるものの、往来にはひとっ子ひとり歩いていない。大げさではなく、野良猫の方が多い。

途方に暮れていると、犬の散歩をしている中年の女性が通りかかった。ここぞとばかりに声をかける。

「あの、地元の方ですか」

「え、はい」

「旅行している者でして。朝日町って米子で一番の繁華街なんですよね」

「うん、まあ、そうですね(苦笑)」

「明かりがあんまり点いてないけど、どこもオープンはもう少し遅くからなんですか」

「いや、そんなことはないと思うけど(苦笑)」

「あ、そうなんですね。今日はお休みなのかな。ははは(苦笑)」

「ああ、そういえば今日は祝日だし(苦笑)」

「そうか、だから休みなのか。じゃあ普段はもっと賑やかなんですね(苦笑)」

「いやあ、あんまり変わりませんねえ(苦笑)」

「え……(苦笑)」

「なんか、すみません……(苦笑)」

「いえいえ、ありがとうございました……(苦笑)」

苦笑いの応酬を制したのは中年女性だった。

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無数にある路地に踏み入り、良さげなお店がないか隈無く探してみることにした。

通電していないネオン管はたくさんあるが、賑わいどころか営業している店は一軒もない。もちろん人もいない。

真っ暗な繁華街を一周したが成果はなにもなく、はじめの入り口に戻ってきた。そこから見えるメインストリートの明かりの数は、夜の8時をとうに過ぎてもさっきと全く変わっていない。

仕方がないので、もう一周だけしてみようとまた歩き出す。すると、ヒールを履いて歩くスレンダーで若そうな女性の後ろ姿を見つけた。旅の恥はかき捨て。お嬢さん、よければ僕と一緒に食事でもどうですか。これくらいの声もかけられずにオオカミは務まるまい。

カポエイラの演舞でもしているかのような、右に左にステップを踏む不思議な動きをしていることに少し疑問を抱いたが、接触まであと1メートルの距離に迫る。いざ、声をかけようとしたその瞬間だった。

「ふいまへん、ホールヘンもってまへんか!」

いきなりこちらを振り向いた女が私の肩を掴み、サザンの桑田みたいな声で、フガフガと喋った。

予想だにしなかった事態に思わず、

「うわぁ!」

私は、ドラマで見る大根役者のような悲鳴を上げた。

女は20代後半から30代前半のような顔つきだが、まともに喋れていない。口元がまごまごしていて、視点も定まっていない。こいつ、完全にシャブ中じゃねえか!

一体いま、なんて言ったのだろう。そう思っていると、女がもう一度ことばを発した。

「ホールヘンもってまへんか!」

ボールペン持ってませんか。おそらくそう言っているのだろう。こんな夜道でボールペンをなにに使うのか。少なくともメモを取れる街灯の明るさはない。あいにく持ち合わせていなかったし、ちょっと手に負えないヤバめの相手だったので、持っていない旨を伝えた。

「ほーへふか」と女は肩を落とし、そっぽを向いて、カポエイラのごとく右に左にステップを踏む不思議な動きでゆっくりと去っていく。私は立ち尽くしながらその様子を見送った。

20XX年5月5日、こどもの日。
心臓が止まるかと思った。

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この町は危険だ。

命の危険を感じた私は、米子を見限って逃げ出すことに決めた。夜も更けてきて今さら移動することに躊躇ったが、米子にはもう期待できなかった。

米子に絶望した男に残されたザナドゥは松江だけだった。しかし、山陰地方の双璧を成すと言われる米子ですらこの有様である。ねえ、アタシ、松江くんに期待してもいいのかなあ。

両者のあいだで揺れる乙女はスマホを取り出し、検索窓に文字を打ち込んだ。

「米子 松江 どっち」

検索結果の上位には、Yahoo!知恵袋などのQ&Aサイトのページが表示された。検索結果の各ページタイトルは概ね、

『米子と松江はどっちが都会ですか?』

という問いを投げかけるものになっていた。アタシが求めていた検索結果だ。

質問には、

「松江の方が都会です!」
「鼻差で松江かな」
「一緒くらいかも」

など、松江くん優勢の回答が寄せられていた。

よし、移動だ。

午後9時30分。
米子から松江に向けて移動を開始した。

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米子から松江まで約30km離れている。

松江市は島根の県庁所在地なので、米子から更に西へ行かねばならない。島根県は、鳥取県の西隣に位置する。

夜の国道9号線は交通量が少なく、快適に移動できた。1時間もしないうちに松江に到着する。

思えば遠くへ来たもんだ。ほんの10時間前まで自宅で寝ていたというのに。兵庫県南西部にある我が家を出発するとき、松江までいこうかと考えたりもしたが、なにぶん遠いので米子が限界だろうと思っていたのに。

午後10時過ぎ。JR松江駅。
人通りは流石に少ない。そもそも地方都市はターミナル駅から繁華街までの距離が離れている場合が多いので、夜遊びの観点において駅前の賑わいはあまり参考にはならない。

松江で一番の繁華街を調べたところ、伊勢宮町と呼ばれる一角だった。駅から比較的近い。まずは伊勢宮町の周囲を車で流してみる。おや、これは。米子の朝日町よりも明かりの数が多いぞ。膨らむ期待を抑えつつ、パーキングに車を停めて散策を開始する。

ひと通り歩き、雌雄は決した。

開いている店の数も、歩いている人の数も、伊勢宮町が勝っていた。
しかしその差は、誰かがインターネットに書いた通り、まさに鼻差であった。

通りには客だけでなく、呼び込みの若衆が立っているのだが、目が合ってもなぜか全く声をかけてこない。条例なのだろうか、シャイなのだろうか。普段なら鬱陶しく感じる呼び込みも、こんな仕打ちをされたら「かけてよ、声。アタシを呼び込んでよ!」という気持ちになるから乙女心はわからないものである。

たとえ私がアーバンでセクシャルでボルドヌイなムードを醸し出しているからといって、恥ずかしがって声をかけずにただ突っ立っているだけじゃあ、お客さんは捕まえられないぜ。

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どの店で一杯やろうかと悩んでいると、一軒、夜遅くだというのにコーヒーショップがあいているのを見つけた。

寂れた繁華街に似つかわしくない、オシャレな雰囲気を醸し出すそのコーヒーショップのガラス窓から中をのぞくと、店内にはゆっくりとした時間が流れていることを感じとれた。なんとも不思議で魅力的な空間だった。

魅力的な空気感を醸成させていた大きな要因のひとつとして、店員とおぼしき若く可憐な女性が、カウンターの内側から身を乗り出して、なにか書き物をしていた点が挙げられる。その光景を目にしたとき、私はジブリ映画の名作『魔女の宅急便』のポスターを思いだした。とても絵になっていたのだ。

腹は鳴っていたが、つまらない居酒屋に入るくらいならコーヒーでも飲んでひと息つこうと店の扉を開けた。さっきの女性はやはり店員だった。いらっしゃいませと若い声が言った。

店内は広くないが、とても落ち着いている。カセットテープも再生できる古いタイプのオーディオデッキから、はっぴぃえんどが流れていた。手前のカウンターに腰掛ける。メニューを見ると、いろんな産地のコーヒー豆を揃えているようだ。詳しくもないので、

「ホットください。店員さんのおすすめのやつ」

「はい」

メガネをかけたかわいらしい店員は、しとやかに返事をした。
白っぽい自前の服に茶色いエプロン姿の彼女は、慣れた手つきで豆ひきからはじめた。本格的なんだなと感心しながら、その仕草を目で追う。追う、追う。

(店員さん、めっちゃかわいいやん)

これだけでも松江に来た甲斐があった。心底そう思った。
ついさっきシャブ中に心停止させられかけたことなど既に忘れていた。

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「お待たせしました。エチオピア産のコーヒーです」

こんなにも丁寧にコーヒーを淹れてくれる店はなかなかないだろう。
いい香りが漂うカップに口をつける。途端に酸味が強くすっきりした味わいが広がる。

「あぁ、おいしいです」

「ありがとうございます」

メガネの向こうで眼を細めて凛と笑った。

そしてまたゆっくりとした時間が流れる。
店員は書き物をやめ、カウンター内の椅子に腰掛けた。

「この近くでおすすめのお店ありますか」

「旅行のお方なんですね。お食事ですか」

「はい」

「えーっとですねえ、あそこなんてどうだろう」

なんとも心地よい会話が繰り広げられる。
つかずはなれず、馴れ馴れしすぎず、よそよそしすぎず。そしてよく笑う。

私よりも若く見えるが、よっぽど落ち着いている。関西から来たことを告げると、自分もコーヒーショップ巡りでよく神戸や大阪に遊びにいくと教えてくれた。

このチャンス、逃がさでおくべきか。

「じゃあ今度いっしょにコーヒーショップ巡りいきませんか」

「ふふふ、いいですよ」

ふふふ、いいですよーー。わかるだろうか、この絶妙な返し方。
笑いを交えながら押し引きを繰り返し、夜はゆっくりと更けていった。

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午後11時30分。
コーヒーショップの閉店時刻となった。

会話の中でおすすめの料理屋を聞いていたので、その店に向かうことにした。

「じゃあ、教えてもらったお店で先に飲んでるからね」

「ふふ、ありがとうございました」

楽しい時間を過ごせたし、まあこんなもんだろう、とコーヒーショップを出て料理屋に向かう。しかしその料理屋がなかなか見つからない。繁華街の端まで来ても、その店はなかった。

おかしいなと思い、コーヒーショップに戻る。明かりを落とした店内で閉店作業をしている彼女がすぐにこちらに気付いて、店の外まで出てきた。

「お店、見つからなかったんだけど」

「え、そんなはずは。わかりました、私が案内します」

「仕事中でしょ。いいの?」

「はい、大丈夫ですよ」

女神は松江にいた。
教えてくれた料理屋は、繁華街の端を過ぎた場所にあり、本通りからは死角になっていた。

「わざわざありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

「ところでお姉さん、晩ご飯は食べましたか」

「まだですよ」

「じゃあ一緒にどうですか」

「はい、いいですよ」

「え、いいの?」

「はい。でも閉店作業があるから一度お店に戻りますね」

これだから一人旅はやめられない。松江に女神はいた。

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料理屋で待つこと20分。時計の針は頂点を超えて既に日付は変わっている。本当に来るのかと疑心暗鬼になりながら何度もおしぼりで顔を拭う。

来ないかもしれない。
いや来てくれるはず。

問答を10回ほど繰り返したところで、

「お待たせしました」

彼女が現れた。
あの時のアドレナリンの分泌量は、ラグビーW杯で優勝したラガーマンたちがウェブ・エリス・カップを掲げた瞬間と同等であったであろう。長きに渡る戦いを制したウォーリアだけが味わえるスペシアルなフィーリンである。

ビールと梅酒サワーで乾杯し、山陰の海の幸、山の幸、大地の幸を二人で囲む。彼女の名前はSとしよう。

24歳のSちゃんは、昼間も別のコーヒーショップで働いていて、ゆくゆくは自分の故郷で店を開くのが夢だと語ってくれた。そんな話を聞いてしまうと、出資せざるを得なくなってしまうではないか。

会話は弾み、食は進み、互いのことをいろいろと知った。

午前2時過ぎ。
そろそろお開きにしないと、明日も早くから仕事の彼女に悪い。お酒が弱い彼女に合わせ、お互いお酒は一杯ずつ。少し物足りなさは感じながらも伝票を持って席を立つ。会計を済ませ店を出た。

「ごちそうさまでした」

「付き合ってくれたお礼です。ありがとう。ところでお家まではどうやって帰るの?」

「歩いて帰ります」

「そっか、じゃあ近くまで送るよ」

「いえ、悪いですよ。40分くらいかかるし」

40分とな。さすがに遠すぎる。
聞くと、朝はバスで松江駅前まで出てくるが、帰りはいつも歩いて帰るとのことだった。

いくら松江がのどかで治安がよい町だとしても、こんな夜中にうら若きおなごをひとりで40分も歩いて帰らせるわけにはいかない。半ば強引に送ることにした。彼女の目には、おそらく僕がオオカミに見えていたことだろう。ひとりで帰った方が安心だと。心中察するにあまりあった。

しかしそこは私も紳士である。途中で手をつなぎはしたものの、求められない限りそれ以上のことをするつもりはない。そして求められることもなかった。

別れ際、連絡先を交換し、また必ず会おうと手を振った。
これが今生の別れであることは理解していた。

一夜に二人の女性(内ひとりはシャブ中)に翻弄された悪くない夜だった。

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40分かけて松江駅前まで徒歩で戻った頃には、とうに酔いは覚めていた。すでに4時を過ぎている。

もとの計画では米子に宿泊して、翌日は朝から境港の鬼太郎ロードに行く予定だった。そして昼間に大山で高原ミルクを飲み、夕方には帰宅して友人と食事に行く約束だ。

ズレが生じたスケジュールを巻き返すためには車中泊しかない。駐車場で1時間だけ仮眠を取る。朝5時すぎに目を覚まし、境港に向けて出発。道路は貸切状態で、6時前には到着した。

港町だけあって停泊している漁船は明かりが灯っていたが、流石に観光客の気配はまだない。駐車場に車を停めて更に3時間眠り、9時に再び目を覚ます。車の外は、じょじょにゴールデンウィークの活気が生まれようとしていた。

この町でいちばんの観光地である鬼太郎ロードに向かってみると、観光客がちらほらと歩いている。満喫する気もないので、ヒト気が少ないうちに足早に見て回ることにした。午前9時30分。水木しげる記念館の前まで行く。ちょうど開館の時刻だった。

一番客として入館する。大きな期待はしていなかったが、想像以上に楽しかった。鬼太郎以外にもたくさんの名作を残していた水木しげる大先生。戦争で片腕を失いながらも漫画家としてたくましく生きた御大の人生観は、作品に登場するキャラクターたちが放つ示唆に富むセリフからも推し量るものがあった。

記念館を出ると11時前だった。急いで車に飛び乗り米子へ戻る。
米子市まで約20分。大山はさらにそこから20分。

小雨降りしきる中、霊峰・大山へ向かう。
内野フライのような急勾配の放物線を描く大山は本日も厚い雲に覆われていて、頂上を拝むことはできない。アゲインストの突風を切り裂くように大山までの一本道を駆け上がった。

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爆発するように吹く風に足をすくませながら、山陰随一のパワースポット・大山寺の賽銭箱に五円玉を投げ入れた。

「コーネが長生きしますように」

敬虔なコーネ教信者の願いはただひとつ。

下山する途中で牧場レストランに立ち寄った。ここがミルク一気飲み会場となる。

腰に手を当て、気道を確保。ごくり、ごくり、ごくり。牧草の荒波を前に、すべての牛が牛舎に避難した寂しい広場で、一気に牛乳を飲み干した。ミッションコンプリート。

乱れた髪もそのままに車へ乗り込む。
さあ、帰ろう。

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帰り道、国道9号線の米子・鳥取間にある、名探偵コナンの作者で有名な青山剛昌先生の記念館に寄った。

鳥取県は国民的な漫画家を二人も輩出しているのだ。漫画大国日本においては、総理大臣輩出よりも誇らしいことかも知れない。

麻酔銃で眠らされぬよう気をつけながら、少年探偵団の銅像と記念撮影。水木しげる記念館でもパネルと記念撮影をしたのだが、どちらの写真も自分がまぎれもない二重アゴだったことに驚きを隠せなかった。確実に老いている。この旅の中で一番ショックな出来事だった。

コナン君とお別れをしたのが午後2時30分。ここからはノンストップで自宅がある兵庫県南西部を目指し、はじめに来た道を戻る。旅の帰路に来た道と同じ道を辿るのは旅人の数少ない掟に反するが、時間優先のため特例とした。

午後5時。短く長い旅が終わりを迎えた。無事に自宅へ到着。友人との約束の時間に遅れることもなさそうだ。

今回の総移動距離は約520km。例年の旅の移動距離に比べれば大したことはない。片道400km近い運転の旅もざらにあるプロツーリストである。

さて、ここで、最後に結論づけなくてはいけない議題がひとつある。

「米子と松江はどっちが都会か」

山陰地方へ旅行を考えている人の一助となることを願って、私の独断で決めさせてもらうとしよう。

ここまで途中離脱せずに読み進めていただいた読者ならおわかりだろう。あなたは原稿用紙26枚分、約10400字の文章を読んだのだから。まず先にお礼を言いたい。つまらない旅行記にお付き合いいただきありがとうございました。

さあ、答えを発表する。

米子か、松江か。

それは、


「Sちゃんの淹れたコーヒーはおいしかった」


以上である。

都市に優劣をつけるべきでなない。米子と松江には山陰を代表する自治体として、手を取り合い、観光客を呼び込む施策を考えていってほしいと思う。

ひとつだけ忠告することがあるとすれば、米子市朝日町でカポエイラのステップを踏む女を見つけたらボールペンを差し出すことだ。

(おわり)

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