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終戦の日に思うこと_週刊 表の雑記帳 第一九頁

 今週の目についた報道はtwitter参照。

 さて、昨日は八月一五日。終戦の日。靖國神社に参拝した。

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 文字通り汗が滴る暑さの中、多くの参拝者がいらっしゃった。靖國神社に祀られているのは大東亜戦争の英霊だけではないが、やはりこの戦争は多くの国民の中で特別な意味を持っているのかなと思わされる。

 先の大戦を思うとき、印象に残っている挿話がある。敗戦後、日本の降伏文書の調印式が米戦艦ミズーリ号上で行われるにあたり、その使節団の全権・重光葵外相と天皇陛下とのやり取りである。重光外相は下記のように内奏したという(福井雄三著『開戦と終戦をアメリカに発した男ー戦時外交官 加瀬俊一秘録』から引用)。

日本が敗れたのは遺憾の極みですが、勝敗そのものはそれほど重要ではありません。歴史上多くの国が戦争で勝敗をくり返しました。真に重要なのは、なぜ敗れたのか、その原因をさぐり、速やかに祖国を再建することです。降伏文書の調印はその機会を提供するものです。降伏を屈辱と思わず、日本再起の出発点をなすものとして、誇り高く使命を果たす決心です

 これに対して天皇陛下は深く頷き、「誠にその通りである」と仰り重光外相を励ましたという。

 このときから75年。我々は重光外相が言ったことを今一度よく考える必要がある。米国に敗けてから、日本は必要以上に卑屈になっていやしないだろうか。独立国としての主権と誇りを持って国際社会で存在感を発揮できているだろうか。なかなかそうだとは言えない状況ではないだろうか。戦争で敗れたことがある国は世界に多いが、戦後の日本のように卑屈さが身に付いてしまった国が他にあるだろうか。

 我々はもっと、先人たちが命懸けで戦い守ろうとした主権と独立ということについて真剣に考えねばならないと思う。それらはタダではない。卑近な例でいえば、よく製造業のサプライチェーンの国内回帰ということが言われるが、これも同根だ。チャイナから国内に供給網を移せば、コストは高くなるだろう。企業経営にとってこれが痛手なのは論を俟たない。しかし皆でよく考えねばならないのは、主権を維持するために我々はどのくらいのコストを背負う覚悟があるのか、独立を守るためにどのくらいの痛みを許容できるのか、ということだ。そしてそれを民間企業に期待するだけで良いのか、ということだ。国ができることももっとあるはずだ。

 今日は先人たちに感謝しながら、静かに内省する日としたい。このままでは、合わせる顔がない。

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