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100日後に死ぬワニは自分だ

「100日後に死ぬワニ」が完結した。きくちゆうきさんの作品で、Twitter上で100日間かけて連載された。結構話題になったので説明はいらないかも知れない。

なにげない日常生活をおくるワニくんの生活が切り取られた4コママンガだが、最後に「死まであと◯◯日」とでる。その一言があるだけで、なにかピリッとしたものが付与されて、何気ない日常が何気ない日常に見えなくなる。すごい発明だと思った。

追っていくと、そして実際にワニくんが死んで思うことは、シンプルだった。やはり死は突然やってくるということ。自分も妻も子供もあなたも、100日後かもしれないし来月かもしれない、明日かもしれないし、今、次の瞬間死ぬかもしれない。今、元気でも病気でも全く関係ない。容赦ない。

数年前に、親父の親友が交通事故でいきなり亡くなった。病院に駆けつけたとき、息子さんが僕らに「おとうさん、死んじゃったあ」と言い放って呆然としたのを覚えている。そうとうショッキングだった。今思い出せば、それが自分だったり自分の子がそういう立場だったらどうだろうと思う。怖い。

また、自分の母親は、超健康オタクみたいなひとだった。老後にお菓子屋さんとかやりたいな、と言っていた。なのに、60歳になって4月の人間ドッグで異常なし、11月違和感があって病院行ったら末期がんで14日後に死んだ。早すぎた。

死は突然やってくる

強烈に自分に刺さった価値観。ここに来て、ワニくんの漫画でもぶっ刺さってしまった。

いつ死ぬかもしれない、ということを突き詰めると刹那主義になりそうだが、すぐ死なないかもしれないからそれはやっぱりナンセンスだろう。「いつ死ぬかもしれないから今を大切に生きる」という、言葉にすればとてもチープな感じのところにたどり着いた。自分で導き出した結論だから納得できる。

だから、自分の中の考え方の底には「蓄える」よりも「使うべきときにスパッと使う」みたいなのが備わってきた気がする。おおむね現在それで困ったことはない。不安がないといえば嘘になるが。

あと近い感覚で、子育て中にいくら子供がかわいくても「今はちょっとうざったい」ということは、あります。しょうがない。でも、最近は「実はいま自分は死ぬ間際で、不思議な力で子供らが小さい頃の時空に一時的に精神を飛ばされてきているのだ」とか考えたら、むちゃくちゃ愛おしくなって、自分のことは放おっておいて、子どもたちが「一緒に遊ぼう」というならばケータイも置いてLEGOとかお絵かきとかしまくってる。絶対ソッチのほうが後悔がない。

明日が死まで0日かもしれないわけだから、精一杯生きよう、って思いました。すげーありきたりですが。

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