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◆仕事が好きだったわたしが、時短ゆえにぶち当たってる壁

わたしという人間

トイレから帰ってくる。すると、前の席の友人の周りに数人集まって何やら盛り上がっていた。「ねぇねぇ何の話してるの?」輪の外からそう問いかける。「聞いてよーあのね‥‥」友人は振り返りほおを赤らめながらワントーン高い声で答える。

_‥そんな学生時代を送ればよかったのかもしれない。実際のわたしは転校を繰り返したせいか、いつもどこか周りに馴染めないでいた。
でも転校を繰り返す人だって行く先々で友だちに囲まれて過ごしている場合だってあるだろうから、きっとわたし自身に要因があったのだろう。自分で振り返っても、面白みのない人間だったとは思う。わたしに、「仲間に入れる理由」がなかったのかもしれない。

時間という資源

職場復帰して1年と半年が経とうとしている。

まだおコは2歳、時短勤務を継続している。
復帰当初から1年間は、時短で切り上げ帰宅後子どもを寝かしつけしてからパソコンを立ち上げ2時間から4時間仕事をしていた。
わたしだけ?と思っていたらtwitterなどでたまに「子どもの寝かしつけ時に一時抜けしてその後リモートで打合せに加わる」という記録なき残業をしている人はいるみたい。わたしは体力やメンタルが弱かったのか、長続きさせることができなかった。
※詳しくはこちら参照▼


なので、平日数回2時間在宅や土日の夜に仕事はしているが日中は時短。時間がくれば「お先に失礼します」と帰る人間。

なにかと外部との月例打合せ、社内打合せ、定例会議、資料作成。ルーチンを嵌め込むと、フレキシブルに動ける時間は1〜2時間。時間という資源が圧倒的に足りない。

それでも当社で求められるのは「対面コミュニケーション」であり、「相手の状況や立場を理解してやりとりすること」である。また「時間がないなら企画だけして実務は誰かに任せればいいよ」と甘い言葉に誘われてやると「自己完結ができてない」と評価されたり。なかなか業務の優先順位ややり方の折り合いがつけられぬまま、必死に目標を達成することのみに盲目的でここまできた。

「自分なりに頑張っている」はもう通用しない年代であるし、「時短だから‥」の悩みも相手からしたらそれは言い訳であることも尤もだ。


限られた選択肢

電話やメール、はまたまポストイットのメモでもいいのだけど、わざわざ「こうなりましたよ」と教えてくれる人はいない。当社のスピードは早くって毎日イレギュラーなことが起こり目まぐるしく1日1日が終わっていく。そんな中だから誰もそこに“いない”者のことを覚えてはいられないだろうと思う。
そしてわたしに「仲間に入れる理由」がないのかもしれない。

「ねぇこれみてみて」「今の話さぁここ進めた方がいいんじゃない」そうやって、後ろから肩を叩き、猪突猛進なわたしを引き留め話しかけてくれるひとたちがいる。目の前の世界とは別のところでそんな職場があることを知っている。けれど、もうそこには戻れない。子持ちの身分では、いまの環境で頑張るしかないのだ。

わたしが「ねぇ仲間に入れてー」といえる子どもだったら違っただろうか?

快く仲間に迎えてくれるか、それとも無視されるかは、その組織とわたしの相性の問題かもしれないが、
それでも表面的には「いいよー」といって受け入れてもらえて「さっきの話なんだけど、、、」と教えてもらえる可能性もゼロじゃない、、、?

35歳にして、〝あたらしいわたし〟デビューす、、、る、、、?
ここが転機なのかもしれない。


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