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きっともう大丈夫:『秒速5センチメートル』解説②

 タイトルの新海誠監督作品の解説・後編になります.前回は,その前半で大人貴樹が限界を迎えたことについて,またあの名曲を主題歌として引用した意図を解説しました.後半では,小説で貴樹の後悔が明らかにされ,同時に別れ際の明里の言葉が貴樹にとって悔いが残るものでもあった,ということを紹介して終わりました.
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この後編は,解説というより考察の色合いを強めます.解釈が求められるからです.読者の皆さんにおかれましては,常に別様の解釈がありうることを念頭に置いて,読み進めていただければと思います.



5.渡せなかった

(1)食い違い?

「あなたはきっと大丈夫」という言葉に報いることができなかったと,貴樹は後悔していました.この彼の後悔を考えるということは,具体的に2人がどうすれ違っていたかを考える,ということでもあります.

したがって,その作業は,2人があのときそれぞれどのようなことを考えていたのかを明らかにしていくものになります.その出発点となるのは,15年前の別れ際に2人がお互いにかけた言葉になります.

明里「貴樹くんは,この先も大丈夫だと思う.ぜったい!」
貴樹「明里も元気で!手紙書くよ!電話も!」

明里が欲しかったのはこの言葉ではなかったということ知らなくても,この時点で2人が微妙にすれ違っていることを,なんとなく感じてしまうのが切ないところです.

すなわち,明里の方はこれから自分がいなくなる貴樹を案じていて,それに対し,貴樹は明里を案じてはいますが,それは今まで通りの2人を念頭に置いた言葉になっている気がします.2人とも心配している点は同じなのに・・・

まずは貴樹の方から追っていきましょう.実はこの彼の発言,その前と言動が食い違っています.

前回も引用した,明里に渡すはずだった手紙の最後の部分です.

明里のことが、ずっと好きでした。
どうかどうか元気で。
さようなら。

180頁

別れを告げる内容だったことが分かります.貴樹を未練がましいとか言った人,出てきなさい.というのは冗談ですが,このことから,貴樹は別れの手紙を携えていたのに,帰りには「手紙書くよ!」になっていたことが明らかになります.

む,矛盾だ!

もっとも,これは彼が心変わりしたことを意味します.そこで,この心変わりの経緯をみていきます.


(2)世界を変えるキス

まず,手紙のことを言わなかったことについて次のように言っています.

明里への手紙をなくしてしまったことを,僕は明里に言わなかった.あのキスの前と後とでは,世界の何もかもが変わってしまったからだ.

あの口づけが世界を変えてしまい,その結果手紙のことを伝えなかったと.これはいったいどういうことなのか.

まず,そのキスで貴樹は明里の気持ちを感じとります.

〔唇と唇が触れた〕その瞬間、永遠とか心とか魂とかいうものがどこにあるのか、分かった気がした。

〔〕は小説版より引用者補足

台詞の続きも見ていきます.映画にも小説にもある台詞です.

それから,次の瞬間,たまらなく悲しくなった.明里のそのぬくもりを、その魂を、どこに持っていけばいいのか、どのように扱えばいいのか、それが僕には分からなかったからだ。大切な明里のすべてがここにあるのに。それなのに、僕はそれをどうすれば良いのかが分からないのだ。

50頁.太字は原文だと傍点

明里の心が「ここ(=自分)」にある.要するに彼女が自分を好いてくれていることを感じたと理解できます.

いったん整理すると,初めてのデートで初めてのキスをしてお互いの気持ちを確認できたのなら,13歳にとってそれはもう「世界の何もかもが変わってしま」う出来事ということになります(初めてのデートというのは小説164頁).

もっとも,初めての体験で新しい世界が開かれたことと同時に,貴樹の方針も変わったという意味が「世界の変化」には込められているわけですが,台詞に表れている彼の戸惑いからは,唇から感じたその明里の気持ちになんとか応えたい彼の心情も読み取ることができましょう.

つまり,さよならの手紙を携えながらも,逆に彼女を気にかけている点に,貴樹の変化の端緒を見出すことができます.これが1つのポイントだと思われます.


もう1つは,別れ際に「貴樹くんはきっと大丈夫」というときの明里が,そんなに大丈夫ではなさそうに見えることです(上記画像).明里としては,手紙のこと,彼に伝えたいこと,伝えなければいけないこと,などあれこれ悩んでいたのだと思いますが(詳しくは後述),こうした様子は貴樹には心配に見えたと思います.

以上,彼女の気持ちに応えたい思いと彼女への心配.これらから貴樹としては,明里がさみしい思いをしないよう,「さようなら」を綴った手紙のことを告げることは避け,また,文通を続けることにしたとここでは考えたいと思います.手紙のことを伝えたら必然的にその内容に触れざるを得ず,心配な彼女にそれは伝えられないと考えても不思議ではありません.

花苗が言うように,やさしい貴樹でした.


(3)やさしい貴樹

こうした理解を支えるものか分かりませんが,次の台詞があります(映画).

僕は彼女を守れるだけの力が欲しいと強く思った

小説だと54頁

これは帰りの電車での台詞です.明里のことをつい心配してしまう,守りたい,といった関係性が2人の間にはありました.教室で2人がからかわれたシーンとかもそうですよね.

微動だにせず貴樹を見ている明里が少し可笑しい

さて,筆者は以上のように理解しましたが,実は自信がありません.というのも,桜の木の下で貴樹は2人の関係が終わることもまたはっきりと分かっていた,という事実をうまく拾えていないと感じているからです.彼が終わりを知っているというのは,キスのシーンにおける次の台詞です.

僕たちはこの先もずっと一緒にいることはできないと,はっきりと分かった.僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が,茫漠とした時間が,どうしようもなく横たわっていた.

上記の説明はこの事実をうまく位置づけられないまま書かれています.別れを知りながらも「手紙書くよ」とはどういう心境なのか.彼は何か中途半端なことをしているような気がします.

ちなみに上の台詞の後段は,小説で次のように言い換えられています.

今にして思えば、あの出来事がなかったとしても、それでも手紙を明里に渡すことにしていたかどうかは分からない。どちらにしてもいろいろな結果は変わらなかったんじゃないかとも思う。僕たちの人生は嫌になるくらい膨大な出来事の集積であり、あの手紙はその中でのたった一つの要素にすぎないからだ。結局のところ、どのような強い想いも長い時間軸の中でゆっくりと変わっていくのだ。手紙を渡せたにせよ、渡せなかったにせよ。

40頁.太字強調引用者以下同じ

これは作者による,2人が続かなかったこと(あるいは初恋,または遠距離恋愛が続かないこと)の説明です.

さて,貴樹についてはこれくらいにして,次に進みたいと思います.



6.渡せなかった②

(1)明里の場合

さて,話をあの夜の桜の木の下に戻します.あそこで貴樹の意向が変わった一方で,明里の方も同じく変わったのであり,そのことに触れなければなりません.

すなわち,明里も渡すつもりの手紙を携えていましたが(小説では駅で待っている間に書いたとあります),結局,渡しませんでした.

彼女が渡さなかった理由は小説に書かれています.

私と彼は、その初めてのデートで初めてのキスをした。そのキスの前と後とでは、世界がまるで変わってしまったみたいに私は感じた。手紙を渡せなかったのは、だからだ。

164頁

貴樹と同じくキスをきっかけとするようです.ということは,明里の方も彼の気持ちを感じ取っていたわけですが,実は,このことは小説よりも前に予告でそれとなく伝えられています(下記動画は再上映版ですが内容は当時のものと同じです.こちらの方が音質がいいので).

字幕は貴樹視点で,音声は明里視点で「彼の心がどこにあるか,わかった気がしたのに」と.この明里の音声は本編にありません.したがって,これは予告のために録ったものなのかそれとも…と気になるところ(情報求む).

さて,これが明里が渡さなかったことにどう結びつくのかですが,それにはさらに手紙の内容を知る必要があります.長いのでこちらで勝手に要約すると,貴樹と出会ってから,明里がいかに彼に救われていたかが綴られています.彼なしに今の生活はありえなかったと.

また,

私はこれからは、ひとりでもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。そんなことが本当にできるのか、私にはちょっと自信がないんですけれど。でも、そうしなければならないんです。私も貴樹くんも。そうですよね?

177-178頁

そして,次の言葉で手紙は綴じられています.

貴樹くん、あなたはきっと大丈夫。どんなことがあっても、貴樹くんは絶対に立派で優しい大人になると思います。貴樹くんがこの先どんなに遠くに行ってしまっても、私はずっと絶対に好きです
どうかどうか、それを覚えていてください。

178頁

これらを踏まえると,明里が渡さなかった理由とは次のようなことものだと思います.

すなわち,唇を重ねて貴樹の気持ちを知ることができた.このことで十分なんだ,というもの.貴樹のいない生活に順応しなければならないことを考えると,これ以上気持ちを伝えるのはただお互いつらくなるだけだ,ということ.


(2)明里の後悔

手紙を渡す,渡さないの葛藤は,先ほどの「彼の心がどこにあるか,わかった気がしたのに」の語尾にも看て取れます.貴樹が自分のことを想ってくれているその気持ちに,明里は自分の気持ちを綴った手紙で応えたかったはずなのです.

そして,後々明里は手紙を渡さなかったことを後悔しています.小説では,中学の卒業式に思い切ってブリキ缶?にしまうまで(筆者も見覚えのある洋菓子らしきもの),ずっと鞄から出せずに持ち歩いていたとあります(163頁).なんの後悔もなければ手紙をとっておくことはしないでしょうし,このように散々悩んだあげく強引に断ち切る様は,先ほどの貴樹の手紙の文面に通じるものがあります.つまり,これは貴樹を見るに,後悔を残すことになる稚拙な方法として描かれたと考えられるのです.

また,大人になって実家の部屋を片付ける際に見つけた手紙を,少しだけ読むもすぐやめてしまいます.「いつかもっと歳を取ったら,もう一度読んでみようと思う。まだきっと早い」(175頁)とあります.読めばきっと胸が痛くなるからでしょう.痛むのはそこに後悔がにじむ思い出があるのです.



7.求めた②

(1)言えなかったことについて

ここでは少しメタ的な話をしようと思います.上で貴樹と明里がそれぞれ手紙を渡せなかった理由を検討しました.渡せなかった結果,お互いに2度と相手に気持ちを伝えることはありませんでした.

2人はその後も文通したのに本当ですか?と思われる方のために説明します.

明里については,先ほどの彼女が手紙を渡さなかった理由に鑑みれば,言葉にしなかったであろうこと.また,その手紙を捨てられなかったことからも理解できると思います.このように彼女の場合,心情に沿った説明ができますが,貴樹の場合は,説明にメタ的な視点が必要になります.

1つは,「One more time, One more chance」の歌詞(「言えなかった「好き」という言葉も」)に綺麗につながる,ということです.前回説明しましたが,基本的にこの物語と歌詞の一致は意図されたものです.

もう1つは,そのように理解しないと,先ほど引用した次の台詞が理解できないことです.

今にして思えば、あの出来事がなかったとしても、それでも手紙を明里に渡すことにしていたかどうかは分からない。どちらにしてもいろいろな結果は変わらなかったんじゃないかとも思う。僕たちの人生は嫌になるくらい膨大な出来事の集積であり、あの手紙はその中でのたった一つの要素にすぎないからだ。結局のところ、どのような強い想いも長い時間軸の中でゆっくりと変わっていくのだ。手紙を渡せたにせよ、渡せなかったにせよ。

40頁

この台詞には,貴樹が渡せなかった手紙に執着していたことが読み取れます.手紙を渡していれば,2人の関係が今とは違っていた可能性を考えていた節があります.

これは翻って,あの手紙が気持ちを伝える最後のチャンスだったからということであり,あれ以降の文通で気持ちを伝えることはなかったということです.言葉できちんと伝えなかったことを,このときの貴樹は後悔していた(念のため,この後悔は本解説で課題とするそれとは異なり,それ以前のものになります).

ちなみに,2度と気持ちを伝えることはなかったことにが,あの夜のキスが特別なものになることに貢献しています.あの前と後で世界が変わってしまうような特別な体験として描こうという意図が,登場人物の口を借りて述べられていましたが,そうした描写が仮に説得力やリアリティーを持つとすれば,それがお互いに気持ちを確かめ合った最初で最後の時間であり,その後2度と気持ちを伝えることはなかったという事実があればこそでしょう.


(2)明里が欲しかった言葉

話を戻します.ようやくここで積み残していた,「あなたはきっと大丈夫」に対する貴樹の後悔に取り組みます.

先ほど彼は,手紙を渡そうが渡せまいが2人の結果は変わらないことになんとなく気づいていました.ここまでくればあと一歩です.

まずは,明里の手紙にはあって,貴樹の手紙にはなかったもの.それは相手を心配する言葉,励ます言葉です.明里が貴樹を案じる一方で,彼は自分のことだけでした(前回扱った「明里との約束」).

もっとも,別れ際に貴樹がかけた言葉「手紙書くよ!」は,彼なりに明里を案じた言葉でした.しかし,ここにすれ違いがありました.彼女の心境を貴樹はすくいきれなかったため,彼は後悔しているのです.

その明里の気持ちを考える材料は,先ほど触れてきた,明里はすでに一人立ちすることを決意していたこと.しかし,別れ際の駅で明里があまり大丈夫じゃなさそうに見えること.そして彼女の手紙です.

これからは、ひとりでもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。そんなことが本当にできるのか、私にはちょっと自信がないんですけれど

「ちょっと自信がない」といってはいますが,前回の水野理紗に対する貴樹の後悔を思い出すなら(「すこし辛いんです」),そんなわけはないのです.彼女がとてつもなく不安だったことに私たちは気づかなければなりません.そう,明里の本当の心境とは,貴樹のいないこれからへの不安でした.

これが2人のすれ違いになります.そしてこのことを考えれば,彼女が欲しかった言葉とは,筆者には次の言葉しか思い浮かびません.

「あなたはきっと大丈夫」

明里こそ,この言葉が欲しかったのです.我々のような第三者視点を持たない貴樹ですから,そのことに気づけなくても仕方ないでしょう.

少し話を遡ると,もしかしたら先ほど彼が2人の終わりを確信してもいたという事実は,ここに関係するのかもしれません.つまり,終わりを知っていたはずなのに,そうではない言葉を明里に送ってしまった,というように彼の後悔を理解することにつながります.彼の後悔に気づくきっかけとなる事実として挟まれたのかもしれません.

いずれにせよ,気づいたときには,涙と嗚咽が止まらない15年後の新宿の夜でした.

花苗も不安だった件は前回参照

少し脱線します.ここで僭越ながら構成の面で上手いと思った点に触れたいと思います.別れ際の2人の言葉にみられるように,本作は「人のすれ違い(あるいは距離)」をテーマにしています.そうした観点から見ると,同じ言葉が欲しかった貴樹とあかりの「すれ違い」は,その言葉が実際に必要だった時期を2人でずらすことで,彼らの「すれ違い」が作り出されていることがわかります.
明里は一人立ちが始まる別れのあのとき,貴樹は明里との文通が途絶えて以降ずっと,といったように言葉が必要だった時期は重なっておらず,そしてそのときぞれぞれ貴樹は気づけず,明里はいないのでした.




8.また会えたこと

(1)明里に根拠はあったのか

さて,話は変わります.「あなたはきっと大丈夫」という言葉を送った明里でしたが,その後の貴樹はちっとも大丈夫ではなさそうです.もしかして,言葉にすると実現しないパターンなのでしょうか.

しかし,ここで思い出したいことがあります.それは先ほどの触れた,小学生のときクラスの黒板に2人の名前が書かれ,からかわれたシーンです.あのとき,後から教室に来た貴樹が黒板の前で立ちすくむ明里の手を掴み,教室を飛び出しました.明里にとって救いだったはずです.

彼女にとっては,今でもあのときの頼もしい貴樹なのでしょう.これまで彼の不器用な側面を眺めてきたのですが,彼なら大丈夫と思ったことについては,彼女なりの根拠があったとここでは考えたいです.


(2)「生きる速さ」

では,大人の貴樹に戻ります.映画だと彼女と別れ,仕事も辞めていますが,実は大丈夫になりつつあることが分かります.

小説によると,会社を辞めた後,3ヶ月してフリーランスSEとして仕事に復帰します(181頁).映画だと,自宅で何やら作業をしているカットが実はそれです.

自宅のホワイトボード.仕事の予定が書かれる.

余談ですが,この仕事面での復帰が映画だと言葉で語られないため,多くの方がどん底な貴樹のままラストを迎えてしまい,結果,作品の意図が分かりにくくなっています.例えば,ラストの踏切で彼の前向きな表情が唐突に思えてしまうのです.第3話の分かりにくさについては後でまた触れたいと思います.


ここでキャッチコピーを取り上げたいと思います.

どれほどの速さで生きれば,きみにまた会えるのか.

作品の何を表現しているのでしょうか.2つあるように思えます.

1つは,「生きる速さ」ということ.そしてそれが彼と明里とで異なること.例えば,それは2人がそれぞれ一人立ちする時点の違いや,貴樹が彼女と別れる一方で明里は結婚,というかたちで本編では表現されています.

このスピードに着目した場合,タイトルの秒速5センチメートルというのは,桜の落ちる速さだけではなく,貴樹の「生きる速さ」でもあったことが分かります.これについて監督の気になる言葉があるので紹介します.

『秒速5センチメートル』でも、明里が貴樹に言ったせりふで、「貴樹くんは、きっとこの先も大丈夫だと思う」というものがありました。その後、あんまり大丈夫じゃない感じの貴樹を描いてはいるんですが、それでも「大丈夫だ」と言いたいし、言ってほしいし。

新海誠作品の強さはメッセージの一貫性「あなたはきっと大丈夫」(URL埋め込み)

この話の雰囲気から察するに,秒速5センチメートルであっても,ちょっとずつ前に進んでいるんだ,というメッセージが込められているように思います.


これらを踏まえると,第2話「コスモナウト」で発射場に牽引されるロケットに,帰り道の貴樹と花苗が出くわすシーンがこれまでとは違って見えてきます.花苗の「時速5キロだって」という言葉に貴樹が反応しました.

あのシーンはなんだったのか.1つは,明里の「秒速5センチ」を思い出させること.もう1つは,とても遅いけれどロケットは目的地に向かっているということ.

この2つは,貴樹の「生きる速さ」はゆっくりだけれどちゃんと目的に向かって進んでいること,また,これが作品のタイトルであるということ.以上のつながりを示唆しているのです.


(3)きっともう大丈夫

続いて,キャッチコピーに込められたもう1つの内容です.「どれほどの速さで生きれば,きみにまた会えるのか」における「きみ」とは当然,明里のことです.そして明里との再会に意味がもたされていますが,どういうことでしょう.

映画も小説もラストは例の踏切です.踏切で電車が通り過ぎた後に彼女の姿がないことと,前に進む貴樹の表情が明るいことの2つが注目されますが,ここでは2人が再会したこと自体に注目します.

というのも,明里がいないことと貴樹の表情を理解する鍵となるのが,2人の再会だからです.もっとも,人によっては再会というよりただすれ違っただけですが.

脱線します.先にこのシーンについて言わせてください.あのシーンは特に,まず奥の電車,続いて手前→貴樹がポケットから手を出す→通過して目の前が開けるというこの一連の構成が秀逸で,さらに奥の列車が通り過ぎるかな,というところで手前が入ってくるタイミングも素晴らしいです.劇中歌も相まって本当に美しく,控えめにいって最高です.

ピントの移動もいいですね

唐突でしたが気が済んだところで,小説には次のようにあります.

この電車が過ぎた後で、と彼は思う。彼女は、そこにいるだろうか?
——どちらでもいい。もし彼女があの人だったとして、それだけでもう十分に奇跡だと、彼は思う。

184頁

再会は奇跡だった.そこで次の問いが立ちます.なぜ奇跡は起きたのか,つまり,どうして貴樹は明里に再び会うことができたのか.

ここにキャッチコピーの「生きる速さ」が関係してきます.つまり,再会は貴樹が明里に追いついたことを意味するのです.

すなわち,明里がくれた「あなたはきっと大丈夫」に込められた思いやりと,同時にそこにあった彼女の不安に,貴樹は後悔というかたちではあるものの,ようやく辿り着いたということ.

ここに来るまで15年かかったわけですが(秒速5センチ),ずっと避けてきた過去を受け止めることのできた貴樹は"きっともう大丈夫".だから明里はそこにいないのだし,彼の表情は明るいのです.ここの明里も「あなたはきっと大丈夫」としての明里なのです(前編参照).



9.終わりに

解説は以上になります.この後編では貴樹の後悔について,また本作がハッピーエンド——監督の言葉らしいですが——である理由について考えてみました.解説と銘打っていますが,取り上げたのはあくまで作品のごく一部分に過ぎないことを指摘しておきたいです.気になった方には,ぜひ小説を手に取っていただきたいです.きっと他にも新しい気づきが得られるはずです.

さて,本解説は遠野貴樹の物語という視点でこの作品を論じてきました.最後にそれとは異なる視点から,作品の魅力についてお話ししたいと思います.
ただの感想なので一段落とします.

明里「あの男の子との想い出は,もう私自身の大切な一部なのだから.食べたものが血肉となるように,もう切り離すことのできない私の心の一部.」(168頁)

本作の魅力の1つは,過去や思い出の描写にあると思います.ときにどうしようもなく思い出してしまう,過去の人の思い出——それは後悔を伴うものかもしれない——といったものを,美しくそして何より"肯定的に"描きます.

過去を思い出すということを,ともすると未練がましい,過去に縛られているといった捉え方をしがちですが,それが一面的であることを私たちに教えてくれます.過去に浸るでもない,過去をくっついた後悔とともに背負って生きていくしかない人間の一側面に焦点を当てます.貴樹がこれまで避けてきた過去に向き合ったことを本作は"前進"として描いています.

映画は,どちらかというとこの側面を強調する構成になっているかもしれません.

たとえば,小説を踏まえると映画(劇中歌のシーン)で大人の明里が電車の中から外を眺めるカットはだいたい貴樹を思い出しています.あの日雪の中,列車が少しも進まない不安で心中穏やかでない貴樹の気持ちを,彼女が想像し慮っていたりします.すなわち,あの歌のシーンの2人は,貴樹は欲しかったあの言葉と当時の彼女の思いやりを思い出し,明里はわざわざ会いに来てくれた貴樹とその思いやりについて,それぞれいろんな感情とともに思い出しているシーンと考えることができます.

また,劇中歌がかかると同時にタイトルインする際の次の台詞です.

貴樹&明里「昨日夢を見た.ずっと昔の夢.その夢の中では,僕たちはまだ13歳で…そこは一面の雪に覆われた広い田園で…人家の灯りはずっと遠くに,まばらに見えるだけで…降り積もる新雪には私たちの歩いてきた足跡しかなかった.そうやって…いつかまた一緒に桜を見ることができると…私も彼も何の迷いもなく…そう思っていた」

最新作まで用いられることになる,あの印象的なタイトルインの位置に,この2人の視点で語られる思い出が入った意味を考えると,そういうことなのかなと思うところです.ちなみに,この2人の台詞に未練という文字は一欠片も存在しませんよね.初恋が叶わなかった点では,確かにさみしさのようなものが纏わりつきますが,苦い初恋の思い出を自分の中に落とし込んでいます.

また,それを中心に構成したと考えるもう1つの理由は,第3話の分かりにくさの原因につながるからです.第3話は,他の2話に比べて尺が短くなっています(他が20分程度で第3話だけ10分程度).この点については,監督自身の言葉がヒントになるかもしれません.

「『雲のむこう~』での反省点を踏まえて、『秒速5センチメートル』ではスタッフの数を減らしましたし、短編集ということで1話あたり20分から30分のものを3話つなぐ、という形にしました。スタッフも尺も少なくすることで、自分できちんとコントロールできる範囲で丁寧に作ろうと思ったんです。だから制作体制的な課題というのは、『秒速5センチメートル』ではほぼありませんでした。スタッフも僕も日曜日はちゃんと休めるようなスケジュールにしましたし、絵のクオリティーに関しても、1カット1カット、満足のいくまで細かく手を入れることができたので、自分が思い描いていたイメージ通りの作品に仕上がりました。」(あにこれβ「新海誠が語る作品制作秘話:秒速5センチメートル」

察するに,貴樹の物語として構成すると尺に収まらず(30分を超えた),思いっきり割愛した結果,予定より短くなってしまった.ということ?

感想と言いつつ結局,考察してしまいました.

あらためて思うことは,この作品,映画は1時間程度で,小説は文庫で180ページほどでこの濃密さということ.そして,小説を読まないと監督の意図はおそらくほぼ分からないということ.他の新海作品も同様だとしたらなかなかおそろしいなと思いますが,どうなんでしょう.


それではそれでは,最後までお読みいただきありがとうございました.


画像:©Makoto Shinkai / CoMix Wave Films

※追記(2024/4/7,2024/4/12)
「5.渡せなかった」①手紙のことを告げなかったこと,②文通を継続したことに関する説明を変更.「9.終わりに」の感想に内容追加

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