雑記03 "下心"という言葉について

(以下、架空の友人に宛てた、架空のメールという形式の記事です。)

〇〇さん、こんにちは、

いつもいろいろメッセージを読んでくださってありがとうございます。今回は自分のノートの中から引用したものを送らせていただきます。

考えを整理するために自分の都合の良いように書いた文章なので、自分以外の他の人が読むには都合の良いものかどうかわかりません。
とにかく自分の頭の中に時折現れてくる考えを固形化したものです。

---    以下、ノートからの引用   ---

■01
前に本居宣長の全集を図書館で読んだ。
その中で気になる記述があった。宣長は今の時代から考 えれば、300年前くらい前の時代の人間だと思う。宣長は宣長自身の時代よりも600年とか700年前の文章の愛読と研究をしていた人であったと自分は認識している。

自分たちの時代よりも古い時代の文章を研究する、というテーマにおいて、宣長は何人もの教え子を持っていた。教え子をどう育成していくかということは宣長にとって大きいテーマだったようである。どういう風に勉強をしていくのが良いか、どういう風に話せば相手にうまく伝わるかということについて書いている文章がいくつもあるようである。

■02
ある短い文章の中で、教え子にものをどう教えるか、という工夫について書いてある話の中で、 "下心" という言葉が使われていた。その使われ方が、現代の一般に使われている "下心" という言葉の使われ方とずいぶん違うように感じて、それが印象的だったのでそのことについて少し述べたいと思う。

そのことについて説明しようと思うときに、例え話を用いていきたい。

■03
野球漫画のメジャーと言う作品がある。断片的にしか見ていないので、あまり詳しくないその作品を例えに出すのは、心許ない(ココロモトナイ)ものがあるけれども、ちょうど良い例えに使えそうな場面を記憶の中に持っているので、それをたとえに話してみたいと思っている。
ちなみに、この メジャー と言う作品の中に "下心" という言葉が出ているのを目撃したわけではない。

メジャーの主人公があるときに体を痛めてしまった。おそらく肩を痛めてしまっている。主人公は焦りを感じている。それなので練習をしたい。もしくは野球の実力の上達に直接つながる活動に、できるだけ多くの時間を注ぎたいと思っている。

主人公の近くに優れた指導者がいる。その指導者は主人公に対して、野球の力の向上につながるから、ということで折り紙をすることを命じる。主人公は、折り紙がどういう風に野球の力につながっていくのかわからないけれども、とにかく折り紙を折り続けることが野球の力に何かつながるらしい、と信じて、しばらくの間折り紙を折り続ける。

■04
主人公がしばらく折り紙を折り続けた後に、その指導者が、折り紙はもういいだろう、と言うことを言い出す。その指導者は主人公にこう言う。
『折り紙を折ること自体は、実は野球の実力の向上にはほとんど関係がない、と自分は思っている。けれども、一刻も早く野球の練習に時間を注ぎたいと思っている主人公に、しばらくの間、体を完全に休ませる時間を持たせる必要があると思っていた。それなので、折り紙が野球の力のアップに関係があるようなことをほのめかした。』

主人公は指導者の言葉に驚くけれど、結果として指導者の狙った通りに主人公の体は回復を遂げ、状況は良い方向に進んでいくことになる。

■05
細かいところで、自分の思い違いがあるかもしれない。
自分の記憶に頼れば、そういう話があったように思う。
このエピソードの中で、指導者は、主人公に対して、折り紙を折ると言うことを命じた時点で、指導者の心の中には『主人公には共有していない隠された意図や目的や方向性』があった。その隠された意図や目的や方向性は、その時点で主人公にそれをあからさまに伝えると、かえって後々の舵取りが難しくなっていくことがある、と言う性質のものかもしれない。それなので指導者は、主人公に対してある段階まで物事が進むまで、自分の本当の意図や目的や方向性を表に出さず、隠した状態にしておいた。

■06
宣長の文章の中に出てきた "下心" という言葉は、細かい記述は忘れてしまったが、これと似たような意味合いのものであったと思う。

宣長の場合は、このような話だったと思う。
あるものを弟子に教えたい時に、直接にそれを伝えようとしても、かえってうまく伝わらないのではないか、と思われることがある。
仮に、その一番伝えたい内容をここでは①と呼ぶ。①について心の中に秘めた状態で、別の何か(ここでは②と呼ぶ)を相手に伝えることによって、そこからの連想によって相手がだんだんと自分の力で①について気づくことを狙う、というケースを、
『①を間接的に相手に伝えたい、という "下心" を持って、相手に②について伝える』、という言い方で表現しても良さそうに思う。

■07
上記の、メジャーの指導者と主人公のケースは、
『指導者が 主人公に対して、彼に体の休息を取らせたい と言う秘めたる "下心" を持って、折り紙を折ることを命じた』、と言うふうに表現しても良いと思う。

宣長のケースも、メジャーの指導者のケースも、両者とも全く利己的でないと言う点で共通している。
宣長の場合は自分の弟子に、よりスムーズに学問の道を深めるための手助けをしようということで、 "下心" を秘めて助言しようとしている。
メジャーの指導者の場合は、主人公にとって、体を休めることが今一番重要だろうと言う考えを "下心" として心の中に秘めて、命令をしている。

■08
現代の会話や文章の中で使われる "下心" という言葉の大半は、利己的な意図や目的を心の中に秘めた状態で、何か言動をすると言う場合に使われていると思う。

達成したい秘めたる意図や目的が、現代の使われ方では利己的なものであって、古い文章の中の使われ方では利他的なものと言って良いように思う。そこに大きな趣の違いがある。

自分の古い文章の読書量は、大したものでは無いように思う。古い文章の中にも、もしかしたら現代のような利己的な意味合いでの "下心" という言葉の使われているケースがたくさんあるのかもしれない。自分の見聞が少ないだけで、もしかすると古い文章の中でも利己的な意味合いでの使われ方が大半を占めているのかもしれない。そこはこれからもっと勉強しないとわからないと思っている。

余談だが古い文章と言うのはずいぶんたくさんある。自分1人でそうしたものを漁っているのには時間やエネルギーの問題として限界を感じることがある。うまい具合に協力者を見つけることができたらいいなと思ったりしている。

それにしても、今思いついたことだけれども、現代の『文章の中の単語検索力』を持ってすれば、古い文章のデータベースみたいなものがあれば、そこに "下心" と言う単語で検索をかけて、 "下心" という言葉が使われている古い文章を網羅的に比較的短い時間で集めることができるかもしれない。

■09
小林秀雄の文章の中で、何度か目にする言葉がある。小林秀雄が、宣長の言葉を引用しているのかもしれない。

『今言をもってして、古言をみてはならない』
((恐らく) コンゲン or イマノ コトバ をもってして コゲン or イニシエノ コトバ をみてはならない)

と言うような趣旨の言葉である。正確な表現は、ちゃんと文献に照らし合わせないといけないが、急ぎ足で浮き足立って書いているこのノートでは、確かめるまでの道のりが遠い気がするので、不正確かもしれないが、大まかな趣旨のみを書く。

平たく言えば、
『古い文章を読む時、一見して同じ言葉を使っているようでも、古い文章と、今の文章とでは全く趣趣の違う使われ方をしていることがある。そのため古い文章の中の言葉を、今の文章の中の言葉で持って同じように軽々しく判断してはいけない』  と言うような言葉だと思う。

■10
昔の文章を読んでいると、現代の会話や文章の中で使われているのと、表面的には同じ言葉だが、使われ方や趣、意味が、昔と現代とで大きく違うように感じるものがいくつか出てくる。

思いつくものを列挙すると、忖度、世界観、自画自賛、などがある。 …③
自分の中であまり消化できていないので、あまり自信を持っては言うことができないが、もしかすると昔と現代とで違う使われ方をしているのかな?と言うものの中には、自意識過剰(自己意識過剰、自我意識過剰)、自作自演という言葉がある。 …④

こういう言葉について、自分が心の中で時折考えている事は、実際の事情に合っている正しい内容かもしれないし、もしかしたら自分が勝手に思っているだけで、割ととんちんかんなことを思っているのかもしれない。

そうしたことについて、文章にして固形化していくことによって正しいか誤っているかということを確認できるかもしれない。

今回最後にあげた③④の言葉に関しても、何かしら今後頭の中にある材料を固形化して文章にしていくことができたらいいなと思っている。

---   引用 終わり   ---

〇〇さん、長々とした文面をいつも読んでいただいてありがとうございます。
〇〇さんの方からも何か思いついたことがあったら、この文面の内容に関係のあることでもないことでも、どんな内容でも構わないので何でも送ってください。
それでは失礼いたします。ここまで読んでくださってありがとうございました。

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