伏線が回収されないエッセイ

時はおよそ40年前に遡る。

僕は高等専門学校の学生だった。卒業生ならわかると思うが、高専という学校は、広いようで狭い世界だった。

高校と短大を包括する5年生の一貫教育で、工学に特化したそのカリキュラムは、人文系の教育を削って産業に寄与する人材を短期間で育成するシステムであり、その意図が明確であるがゆえ、大学入試がないこと、卒業生の就職率が極めて高いことを理由に、有り体にいえば実利ある進路が約束された特有の緩さがあった。やがて僕の心は、技術系サラリーマン予備軍のような学内ではなく、外の世界に存在するオタク的趣味へと向かっていった。

自主制作盤をリリースする国内外の音楽家、8ミリフィルム主体の自主映画のコンテスト、百人程度の観客とともに桟敷で見た小劇場演劇。主流に背を向け、奇妙奇天烈な表現を嗜好する僕の好みは、それらを追い求めることに明け暮れた。

そもそも当時はオタクという言葉はなかった。それは評論家の中森明夫氏が生み出したものだが、その氏がキャリア序盤の活躍の場にしていたのがミニコミ誌であった。音楽、映像、演劇に比べ、一人で書ける文字媒体は敷居が低く、自分でも何かを書いてみたいという欲求が生まれた。そこでそうしたミニコミ誌に投稿し、編集部という名の、発行人が住むアパートに顔を出すようにもなった。

そこは常連投稿者が好き勝手に集まるアジトとなっており、年齢層は大学生から社会人一年生くらい、女っ気のない野郎どもの部室のような雰囲気だった。僕はその中でも一番の年下であった。

その部屋にはフォークギターが立てかけてあった。夜が更け、常連メンバーも一人また一人と帰って行き、僕を含め三人が残った。話題は尽きたが腰を上げるタイミングを逸しているうちに、一人がくしゃみをした。ギターの持ち主だった。

そのくしゃみの音に共鳴し、ギターがワーンと鳴り響いた。僕はもう一人のメンバーと顔を見合わせ笑みを交わした。くしゃみの当人は何が起きたのか気づいていなかった。

時は現在に戻る。

文化放送の番組『志の輔ラジオ 落語でデート』2021年7月18日のゲストは、先ごろくるりを脱退したばかりのトランペッター、ファンファンさんだった。楽器の話になり、志の輔「よくギターの人が言うんですよ、夜寝てる時にハクションってくしゃみをすると、そこに立てておいたギターがファンって鳴るんだよ、可愛くってさぁとかって。トランペットも、ああ可愛いなって思うときがあるんですか」ファンファン「私は、ライブの前日は一緒に布団に入ります(笑)明日よろしくねって」

くしゃみをすると”Bless you”って言ってくれるアコギって、あるあるなんだー。