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気仙沼ストリートライブに出演して

昨日、4月13日に気仙沼市にある清涼院というお寺で行われた、気仙沼ストリートライブフェスティバルに出演した。
清涼院が位置するのは、気仙沼のリアス式海岸を一望できる小高い丘の上。潮風が心地よい素敵な場所であるが、同時に13年前に大きな悲しみが生まれた場所でもある。そんな、大きな被害を受けた気仙沼で、「心の復興」を進める一環として始まったのが「気仙沼ストリートライブ」だそうだ。

小高い丘の上に立つ清涼院

桜が満開の清涼院に、老若男女が集い、音楽を楽しむ。10時半の開演から続々と駐車場が埋まり始めていた。
私の出演は2番目。桜吹雪が舞うステージに上がると去年も共演した先輩方も駆けつけてくださった。  
手拍子や声援をいただきながら楽しくステージは進み、最後の曲として、能登半島地震の復興応援ソング「まるい星で」を歌う時が来た。

正直、この曲を気仙沼で歌うことに迷いがあった。気仙沼は、震災で甚大な被害を受けた地域である。仙台の内陸に住んでいた私が、復興について歌ったところで、響かないのではないか…。
しかし、それまでの5曲を真剣に聞いてくださった気仙沼の皆さんを見て、そんな気持ちは吹っ飛んだ。

震災のときに音楽に助けられて嬉しかったこと、だから今でも音楽で誰かの力になりたくてギターを続けていること、その思いを5分間の演奏にぶつけた。

ステージが終わると、温かな拍手と笑顔に包まれた。たくさん声もかけて頂いた。
「元気の出る演奏をありがとう!」
「助けてもらったから、返したいって気持ち、分かるよ!」
言葉も温かだった。
中でも印象に残ったのは、
「去年、あなたのライブを見ました。やはり、今年も良い曲を書くなあと思いました。あなたのステージを楽しみに来たんです!」
というお言葉だった。
ライブのすべてが終わった後も、他の出演者の方同士でもお互いの演奏を称え合う温かい空気が広がっていた。

よく、沿岸に住む人の気質は「荒っぽい」と言われることがあるが、私はそれだけではないと思う。
海の側で厳しい環境にさらされながら生きていたら、切羽詰まって気が立つ場面も出てくるかもしれないが、それだけで何百年も町の歴史を紡ぐことはできない。
おそらくではあるが、「協力するため、はっきりと物事を伝え合う」という文化が根づいているのだと思う。厳しい環境で暮らすからこそ、お互いに支え合う場面も増える。そのためには、自分の考えを伝え合い、結束力を高めることが必要不可欠だったはずだ。
今回のイベントも、出演者、運営の方々、各ブースの皆様と、多くの方がイベントに関わっていたものの、「みんなで良いイベントにしたい」という見えない絆を感じた。その絆に導かれるように私も無我夢中で演奏した。
僅かな時間ではあるが、私もその一員となれたことが嬉しかった。ぜひ、今後もこの温かい空気を織りなす一員としてイベントに関わっていきたい。

関係者の皆様、本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。


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