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生活は因果律の中ですすむ



猫の額よりも狭いモグラの額ほどの我が家の庭

そんな庭にもそれなりに色々な植物が咲き、実をならせます。
春になり、一気に名前も知らない草花がドバドバと伸びてきて
いよいよ草刈りの季節が到来したと思い、少し気が滅入ります、

ところで、

あの草花はどこからやってくるんでしょうか。
毎年、その草花(雑草)の種が落ちる前に刈り取っているのに、
必ず、次の季節には、おなじ草花が芽を出します。

タンポポなんかも沢山芽吹くのですが、
日曜なんかに、ボーッと庭を見ながら、目をこらしてみても
タンポポの綿毛が飛んできて、鼠の額に付着するところを
見たことなんてありません。

も、翌年、タンポポは芽吹く。黄色い花を咲かせます。

生活にも種がいるね

草花が芽吹くには、物理的に「種」が必要なように、
私たちの生活でも、結果には、必ず原因が撒かれています。

もちろん、自分で意図的に撒いたものもあれば、
知らないうちに撒かれたものもあり、自分で撒いたものもあれば、
人から撒かれたものもあるんだろうと思います。

どちらにしても、結果が芽吹くには、
原因が撒かれなければならない。

これはごくごく自然なこと。宇宙の単位でも、我々の身体細胞の単位でも
まったく同じように働く、1つの摂理法則だといえます。

となると、

自分の庭(生活)にどんな種が撒かれているかは、芽吹いているものを
よく観察すると解ってきます。

もし、それが、自分の気に入らないモノ(雑草)ならば、次の種を
落とす前に刈り取った方が良いわけです。

もしそれが、自分の意図するモノならば、大切に花咲くように
手を加える必要があります。

どちらにしても、私たちは、自分の庭の手入れをしなければならない
わけです。

雑草を抜いたり、枝を剪定したり、自分が望む庭のデザインをして、
できる限り、望まないモノを間引いていく。

これを怠ると、自然というよりかは、荒れ果てて踏み入れるのが面白くない場所になっていきます。

生活も同じなのかも

シンプルに、多様な生命のよりどころとなるような、そして手入れの行き届いた自分だけの「庭」を作っていくような感覚で、生活に手入れをする。

自分の中で、「これはまずいな」と思うモノは、放っておくと庭に根を張り巡らして、思わぬ実を付けかねません。

素直に、そして慌てずに、気がついたら、なるべく早く手を入れる。こうやって庭師ならぬ「生活師」を楽しんでいく気概は持っていたなと自戒の念をもって思います。

暖かい春の季節、色々なところから様々な種が運ばれてきます。あなたの生活の庭にふさわしい実がなるように「手入れをする」という視点で新年度を迎えても良いかもしれませんね。




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