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寿命、伸ばせるなら伸ばしたいです?

人生100年時代と言われて久しいですね。


でも、巷を見渡してみると、100年どころか80にも
手が届かない人は大勢いる。

定年だって60歳や65歳、100年の半分以降は自力で
どうぞって感じですが、

アッパーな生活水準があるならばともかく、

中流と思い込みたいけれど、実のところは
ギリギリラインで生きている私からすると、

定年以降を自力で100までどうぞ、と言われても
正直なところは、「無理ゲー」フィールドに
ほっぽり出される感が否めない。

どんなに健康な方を拝見しても、やはり70代後半から
上の方は、それなりに普通の生活にも制限がかかってくる
ように見受けられます。

今も言うのかどうかは分からないけれど、

昭和世代の人からは「ピンコロがいい」聞くこともあった
ですよね。

ピンコロ、つまりピピンして生きて、ある日、
コロッと逝く。(コロ=即死状態か?)

人間だって動物として老いの過程がある

老いていく過程は、人間だけ特別な過程が
あるわけではなく、他の動物同様に、老化に伴い、
さまざまな身体機能が低下、もしくは不調をきたし、

それはつまり疾患のスタートボタンになり、
物質的な体の経年劣化とともに否応なく、そのボタンが
押されてしまう。

私も40代の後半で大病を体験し、3週間の入院で
10キロも体重が減ってしまい家の2階に上がることさえ
苦しかった経験をしましたし、

親しい仲間もすでに2人、この世を卒業して
いますから、

誰でもお爺ちゃん、お婆ちゃんになれるわけではない事を
痛感させられていて。

そんなところから考えてみると、人生100年と言われると、
寿感よりも過酷感の方に現実味を覚えてしまう。

どうしたって、人が死に瀕した時は、その経過過程も含めて
1人で全てを賄うことなどできない。

どうしたって家族や周囲に生活のサポートをしてもら
わないといけなくなる。

だから、ピンコロ思想は誰もがどうせ死ぬならば、
苦労せずに、周りを煩わせずに逝きたいという願いの形だと
言うことはわかる。

でも「言うは易し」で、なかなかそうはいかない
もののようではある。

であるならば、せめて納得感は欲しいと思う。


自分の生活を自分でこなせて、できる限り周囲を煩わせる
手間数や期間を最小限に留めるために、

今、健康体を維持する事を生活習慣に入れて生活し、
身の回りはまるで旅行に来ているかの如く最小限の道具と
好きなものだけにしていきたい。

宮沢賢治ではないが、

「1日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ」

的な素朴な生活習慣で、心身の健康状態は持続させて
行きたいと思う人多いのではないかな。


そうなると、人の本質である「行動する事」は、
とても大切になってくる。

長生きとは、「やりたいことを行動できる時間」が
長く有る事を言っているわけだから、

長く行動するには、日頃から行動を支える筋肉、骨格、
可動域は維持していかなくてはいけないだろう。

であれば、兎にも角にも「動く」。

醤油も自分で取りに行く。切手一枚でもコンビニに
行く。

とにかく動く。動く。動く。


それはスポーツではなくてもいいと聞くから、体操でもなく
運動でもなく、「動く」回数と時間を増やすことが必要なようだ。

こうしてみると、AIの時代だろうがなんだろうが、

人は動かなくなったら死ぬんだなと達観してしまう
自分もいる。

生きる意味は動くことで見えてくると、どこかの偉い人も
いっている。

妻に家事を頼らず、自分も動く。

自分も自分たらしめる行動をいつも表出できるように
体を耕し、栄養を与え続けることが、この混迷した世界で

生きていくための「底力=サバイバル能力」なのかもしれない。

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