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金木犀の咲くころに

4月に『書く女』という文章を書いてから気づけば半年近くnoteを更新できずにいました。もうそれって『書いてない女』じゃん。

この数ヶ月、何をしていたかというと、Twitterで知り合った編集者の方から、5月に「ある企業のWEBマガジンにエッセイを寄稿しないか」と声をかけていただき、初めて仕事として文章を書くという機会に恵まれました。
夏の間、編集の方に内容や言い回しを何度も推敲してもらいながら、これまで書いてきたものより文字数も多く内容的にも難しいエッセイを書き上げました。
のんびり専業主婦をしながらなぜか悶々としていたことや、一度手放したキャリアを取り戻すことの難しさを痛感した日々、無我夢中で子育てと仕事をこなしていた頃のことなどを書きながらリアルに思い出し、そうやってこの十数年の自分を振り返って棚卸しが出来たことも、とても良かったと感じています。

そして今は来月の文学フリマに持っていくZINEの準備が佳境です。15編のエッセイと写真の本にする予定です。推敲のために読み返しすぎて自分の文章に飽きてきてしまい、果たしてこれにお金を払って読んでくれる人が本当にいるんだろうか、と今になって不安になっています。「楽しみにしています」と言ってくださっている方、いつも感想を伝えてくださる方の大半は実際にお会いしたことのない方々ですが、勝手に姿を想像しながら励みにしています。

間隔の空きすぎてしまったnoteをとにかく再開しなくては、と思いながら先ほど川沿いをウォーキングをしていたら今シーズン初の金木犀の香りがしてきて、そうしたら本当に突然ある人のことを思い出しました。中学1年の時の担任の先生です。若い女性の国語の先生でした。今思うと、その人が私の書いたものを褒めてくれた最初の読者です。「表現と文章力に才能を感じます、将来が楽しみです」と1学期の通知表の通信欄に書いてくれた先生の文字を覚えています。私は文章を書くのが上手だったのではなく、先生が褒めてくれたことで自信をつけたのだと思います。
大好きだった先生は夏休みが終わっても病気療養中とのことで学校に出てこず、国語の授業は代わりの先生が受け持ちました。そして金木犀が香る頃だったと思いますが、亡くなりました。昔のことなので記憶が曖昧ですが、クラスメイトと通夜に参列しました。この悲しい現状を理解していない、まだ1歳くらいの先生の息子が旦那さんの腕の中から私たちを見ていました。向日葵畑で豪快に笑う先生のカラー写真が祭壇に飾られていて、女子生徒はみな泣いていましたが私は涙が出てこず、握った自分の親指に血が出るくらい爪を立てていました。その場面を、さっき歩きながら鮮明に思い出しました。

褒めてもらうのが目的ではなくても、誰かが褒めてくれることで、結果としてその人の長所が才能になり特技になり自信になることは大いにあると思います。大人になった今でも褒められるのは嬉しいですし、私も誰かの背中を褒め言葉で押せたらいいなと思いました。

そうやってあの日褒められて有頂天になってついに本まで作る日が来るなんて。先生にも読んでもらいたかったです。








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