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阪南大学職員:サッカー部員から大学職員へ。2人はなぜその道を選択したのか?vol.2

※note移管にともない2022年3月の記事を掲載しています

それぞれ幼少の頃から強豪チームでプレーし、将来はJリーガーを目指し阪南大学へ進学された角井さんと森田さん。大学卒業後はサッカーとは違う「大学職員」の道へ。サッカー界以外へ進むことを決めた気持ちの変遷、大学職員という仕事を選択した2回にわたりお話を伺いました。【vol.1 はこちら


サッカーキャリアやサッカー感について

ーー現在もサッカーはしていますか?
角井:卒業して数年はサッカー部コーチのお手伝いをやっていました。現在は各カテゴリーに専属コーチがいることもあり練習には参加していません。プライベートでフットサルをたまにやる程度ですかね。
森田:私も同じでたまに友人とフットサルをするくらいです。

サッカーキャリアを教えていただけますか?

角井:小学1年生から地元の高槻松原SCでサッカーを始めました。メンバーも揃っていて強いチームでした。中学からはフジタ(現湘南ベルマーレ)の系列チームが大阪にもあって、そこで高校卒業までプレーしていました。大阪府選抜の練習会に参加していたのですが、3年生になる頃にはみんなとの会話で進路の話が出てきました。Jクラブに進めなかったら大学に進学したいなって仲間とも話していて。その頃から色んな大学の情報を調べてました。

ーーその後、阪南大学を志望されたんですね?
角井:はい。フジタの一学年上に阪南大学へ進学した先輩がいて。「面白いサッカーするで」って言ってたんですよね。すごく上手い方で、そんな先輩が面白いって言うくらいなんで自分もそんなサッカーを体感してみたいって思いました。
なんとか入学することが出来、早々にトレーニングに参加させてもらいました。プロサッカー選手になるために阪南大学を選んだものの、初回の練習参加時にあまりのレベルの高さに4年間でレギュラー取れるのかって心配に思ったのを覚えています。

ーー角井さんにとって4年間はどうでしたか?
なんとか食らいつきながら4年間サッカー中心の生活を送りました。ですがプロサッカー選手になることは出来ませんでした。でも悔いなくやりきれたかなって考えています。入学時の目標は叶いませんでしたが本当にいい経験だったなって。いま仕事を頑張れている礎にもなっています。

ーー森田さんはいかがですか?
森田:静岡県の清水出身なんですが、サッカーがとても盛んな地域で幼稚園の年中からサッカーを始めました。地元の清水FCに所属し、中学から静岡学園へ進学しました。高校時代も卒業後プロの道へ進めたらなって思っていましたが、3年生になってからもJクラブからはオファーがありませんでした。
大学進学を検討していたところ、縁があり夏休み期間中に筑波大学の練習会へ1週間ほど参加しました。レベルも高く4年間ここで頑張ってプロの世界へって考えていました。ある程度手ごたえはありましたが、当時SARSの影響なんかもあり正式に合格を頂けませんでした。結果が出た頃には高校3年生の冬で、他の関東の強豪大学はほぼ進学者が決まっている状況でした。

ーーその後どうされたんですか?

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