いま登るべきは、富士山?近所の丘?自分に必要な達成感のサイズを見誤るな

苦しい時間が長いほど、何かを仕上げた時の達成感は大きい。それは、確かかもしれないが、オレの場合苦しい時間が長いと、すぐに死にたくなるので、小さくていいから達成感を毎日自分に与えることにしている。

富士山にのぼるよりも、近所の小高い丘に登ってそこからの景色を見る。それでも十分に楽しめるし、小さな達成感であれ達成感は達成感。自分に清々しさは走る。

オレは絵を描く。で、自分に合った描き方がある。画材はパステルかクレヨンを使う。そして、用紙のサイズはハガキサイズくらい。そうすると、一枚の作品を仕上げるのに、1時間で終わる。その描き方がオレには合っているのだ。

一枚の絵を、何日もかけて仕上げる絵描もいる。大作と呼ぶにふさわしいそれは、長い時間をかける忍耐力を必要とるかもしれない。そういう描き方は本当にすごいけど、オレにはできないな、とおもう。

オレは、1枚に2時間もかけるともう飽きてくる。もういいやぁ、って。そして、画材の準備片付けがめんどくさいからそこに手間を割きたくない。そういうわけで、初めに述べたような絵描のスタイルを貫いている。

3時間で1枚描くなら、3枚描けるような描き方を考える。すると、使う画材や使う用紙のサイズが決まってくる。

何事にもこの考え方は転用が効く。自分の生き方には向き不向きがあり、自分ならどういう風にすればストレスなく、むしろ楽しんでそれに向き合えるか?

苦しい長きにわたる時間に耐え、しかも誰かと手を組んで大きなものを仕上げるような達成感を得たいのか?さっさと仕上げて小さくてもいいからその達成感を、いくつも自分に与えるのか。どちらも正しい。そして、その時々で、それぞれを採り入れるのもいい。オレの場合断然後者寄りだから、毎日小さな絵を描いて、小さな達成感を積み重ねる。

小さくても、自分の中に積もり積もれば大きな喜びになるし、事実描いた絵を並べて一人鑑賞している時間は、喜びに溢れている。マジで一人でできるし金かからないし、コスパ最強の喜びである。それは、小さな達成感の集積による。

さて、こんな風にして今の自分にフィットする登山は、富士登山なのか?近所の丘なのか?そういう視点で、自分のやることなすことを、自分にフィットさせていこう。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ