「傑作」とは無数の凡作の中の「例外」でしかない。だからこそ、尊い。

「傑作」がある。映画、音楽、本、絵画、ジャンルは何でも構わないが、とにかく傑作がある。

傑作は数え切れない凡作に紛れた「例外」なんだな、と思う。1人の作り手が1つの傑作を生むのには、きっと傑作になれなかった無数の凡作があるのだ。音楽家だって毎回傑作を作れる人なんてきっといない。

オレたちが、傑作を量産しているように見ているアーティストはその陰で、凡作を量産している。ほぼ例外なく。そして、凡作はほとんど誰にも知られることなくただ凡作として存在する。

傑作を生み出したいと、あぁでもないこうでもない、と試行錯誤をすることはきっと正しい。が、それに囚われて、自分の技術や才能に絶望して、作ることをやめてしまっては絶対に傑作は生み出せない。

例外は、多数のなかのほんの少数。傑作は多数の凡作のなかの例外である少数。結局は作り続けないといけないのだ。なにかものづくりをして、納得のいかない日々が続くことはしんどい。

しかし、そこで手を止めてしまってはいけない。作り続けることだ。って、頭では分かっていてもそれが難しかったりする。

最近、とある画家の画集を手にした。その画家には、「傑作」とされる多数の作品がある。その画集を開いて思ったのが、「凡作」だらけだったってこと。普段オレが目にする彼の作品は、少数の傑作だけだったのか、と今更ながら知った。

しかし、彼は作り続けていたのだ。彼自身、「うまくいかねぇなぁ、こんなのダメだなぁ」と思う日々がもしかしたらあったのかもしれない。世間では天才と呼ばれている人で、オレ自身天才だと思っている人だ。

しかし、画集にはどう見ても出来が良いとは思えない作品が、おびただしい数掲載されていた。来る日も来る日も描き続けていたのだろう。1の傑作を生み出せる力とは1000の凡作を作り続けられる力とイコールかもしれない。それを才能と呼ぶのかもしれない。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ