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看護学校を卒業した。次いでに国試も合格した話。

私は先日、看護学校を卒業した。
本当は3月31日の学生証の期限が過ぎる頃に書こうと思ったがやる気が起きなかった。
やる気が起きない、こんな私でも卒業できた。

世間では"看護学校=大変"そんなイメージだろうか。
3年間を振り返ってみれば、そうだった。
辛い思い出ばかりかもしれない。

私が通っていた学校は県立の学校で偏差値で検索すると上位にくるような学校だった。

最初は憧れだった。

きっと、ここに入れたらカッコイイだろな。
周りは褒めてくれるだろうな。
大学は高いから安い専門学校にしよう。
早く働いて自分で自由に使えるお金がほしい。

倍率は4倍だったがなんだかんだ入学できた。
凄く嬉しかった。
けれど、周りの友人は大学生で、自由の少ない私は周りを羨ましく思うことが多かった。

友人のストーリーを眺めて、目の前の課題に絶望する。こんなこと日常茶飯事だった。


コロナ禍での入学、というこで色々制限された1年生だった。6月まで学校に行かず、実習も延期。どうなるのか、3年後は本当に看護師として働けるのか、そんなことよりも国試に合格できるのか。のほほんと生きてた私だけれど、さすがに不安が大きかった。
行動制限もあり、友人と気軽に会えない。
家で1人。ストレスだったし、メールで送られてくる課題をどうこなせばいいのか分からない。気軽に聞ける友人も居ない。

やっと学校に行けても、ソーシャルディスタンスとか言われて、近距離で話していると遠くから聞こえてくる「(人との距離)1mだよ〜。」の教師の声。

やっと始まった実習は短縮化されており、それに見合わない記録の量。
今考えると、本当に頑張ったと思う。偉いぞ自分。

授業も毎日ありゃあ、そりゃテストもあり、週一で60分朝一。テスト勉強、実習、実習の事前学習のサイクル。

学内で先生が患者の役をやり、学生が対応する模擬実習で、まともに話せなくて悔しくて自分の積極性の無さに絶望して実習室で泣いたこともあったな。

実技テストの練習を沢山やって、クラス委員として練習予定も考えて人一倍実技テストについて考えていたのにテスト本番で上手くいかなくてテストを落ちて実家でガン泣きした事もあったな。
そんな泣き虫な1年生。
負けず嫌いすぎてたくさん悔やんだ。
私は人の倍、何倍も頑張らなければいけない人間なんだと思い知った。

辛かったけれど、そのせいか心のある大人は優しかった。
私は寮生活だったから身近に先輩がいて寄り添ってくれた。たくさん褒めてくれたし、可愛がってくれた。
禁止だったけれど、生活が厳しいのでバイトを始めたり、ずっと入りたかった近くの大学のお笑いサークルに入ってみたり、色んな人に出会えた。

出会う人、みんな優しかったし心が暖かった。
つくづく思うが、私は本当に恵まれていると思えた。


2年生になっても、一日はあっという間に過ぎていった。3年間で1番辛かった実習はこの年にあった。

校内で1番厳しいと言われる教師が担当で、もう、なんというか、凄かった。

再提出再提出の嵐。

1年生の時の学習は何だったのか、とんでもないぬるま湯に浸かっていたのだと実感した。
だけれども、その分学ぶことは多かった。

この教師のことは恩師だと思っている。
そのくらい、担当の先生がこの人で良かったと今でも思っている。その後のメンタルを鍛えてくれたと。
この年も実技テストに落ちて、教室でたくさん泣いた。再テストに向けて死ぬほど練習して、合格した。

そんな濃厚な2年生を過ごし、1年生の時は遠い存在だと思っていた3年生になった。

3年生は常に何かに追われていた。
実習はほぼ毎月。その分、事前学習もある。
テストは週に3回は当たり前。
テスト勉強?あ、前日の夜に追い込みです。
それが当然だった。
最後の実習が終わったと思えば、看護研究。
文献文献と何度も言われ、毎日図書室にいた。

先生と何度も面談をして、看護研究の話で終わると思ったら国試の勉強はどう?って!
何が国試の勉強だ!?!?

いつやれっていうんだ!!!先生、私はあなたと同じ24時間で生きているのですよ。はて、何か勘違いされていますか??
と、叫びたくなることもあった。

少し話は変わるが、私は1年生の時に保健師の良さに気づいた。
だから、保健師の学校を志願した。
その分、国試の他に入学試験も控えていた。
倍率が有り得ないほど高かったので、受かったらラッキー!みたいな。まぁ、皆にはそう言ってたけど負けず嫌いな私は内心、ぜってぇに受かってやる。倍率??そんなの関係ねぇだろ。って感じだった。

でも、進学するか、就職するか。
すごく悩んだ。

決まっていた就職先が本当に良かったから。
行きたい科も決まっていたし、どんな看護師なるかも何となく見えていたから。
色々あった。みんな就職して私は1年遅れて就職する。何も出来ない私。負けず嫌いな性格すぎて、それを想像するだけでそれが悔しすぎて泣いたこともあった。

色々考えたけれど、進学することを選んだ。

看護研究、国試、入学試験(筆記+面接)の3点セット。毎日があっという間に終わっていく、どんどんサークルにもバイトにも行けなくなって一人の時間が多くなった。学校に行って、友人に「おつかれ〜」と言って家に帰る。皆で言い合う"お疲れ様"がどれだけ染みたことか。

テストは国試2週間前まであった。

そこからの2週間は早く過ぎろと一生思っていた。
眠っても寝た気にならない。
寝たとしても夢でめちゃくちゃ遊んでいる夢を見る。え!もう2月16日!?と思って目を覚ますと2月6日。と毎日、目を覚ませば絶望していた。
午前中は1人で勉強し、午後からは友人と電話を繋ぎながら教わり教え合う。
私は日が変わる頃には必ず寝てた。

長い2週間は、過ぎてくれた。

そして、国試前日。前泊で会場近く。
学校を出発する時、先生たちが見送ってくれた。
それに泣きそうになった。もう会う頃には終わってるのか。この呪縛から、解き放されているのか。
そう思うと、嬉しかった。
あと1日だ。
ホテルでも同じ部屋の友人といっぱい話しては勉強をし、最後の追い込み。本を抱えながら寝てた。

朝起きて会場に向かう。
会場には多くの学生。あの子よりぜってぇ私の方が頭いいと唱えまくった。
テスト開始、手が震えて何も書けなかった。
マークがズレる。震えが止まらなかった。
どんどん落ち着いて、2時間40分はあっという間だった。午後も時の流れが早かった。

「以上をもちまして第112回看護師国家試験を終了いたします」

最っ高の気分だった。
鼓動が止まらなかった。
やっと終わった。
結果なんてどうでもいい。
遊ぶ、遊びまくる。
沢山寝る!

上記の通り、たくさんやりたいことをした。

国試は無事合格。
進学の受験も合格し、春からは看護師ではなく学生としてまた同じような1年を過ごすことになった。
皆とは比べて1年、遅れちゃうけど頑張ろって。

学校も卒業できた。
そして、新たな学校の入学式を控える。

良い意味の"負けず嫌い"でいられるように。

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