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【吃音】うまく話せなくて苦しい話

やあ、どうも。
けっこうな吃音をかかえているおにのすけです。
いやあ、ほんとうにきつくて。
周りにはこのコンプレックスを話せる人間がいないので、こういうところで発散している。
よければ、読んでいってくださいな。


前に書いた吃音に関する記事はこちら




実を言えば、社会人になるまでは、そこまで吃音はひどくなかったのです。
社会人になってから、めちゃくちゃ吃音がひどくなった。
これは当事者しかわからないと思うけど、吃音ってそのときの心理状態やストレスとか、心の動きに影響されると思う。
社会人になってから、わたしはそこそこ重めのストレスに晒されてきた。
嫌な上司や先輩、慣れない新生活、周囲の人間との比較、悪口陰口エトセトラ。
そのすべてのストレスが、知らず知らずのうちに吃音に出ていたんだと思う。

すらすらと言葉を操ることができるみなさまには想像が難しいと思うけど、言葉がちゃんと出てこないというのは、そこそこなハンデなわけでして。
「ハンデ」なんて言葉を使うと、まるで障害みたいだね。まあ、当たらずとも遠からずか。

たとえば私の場合。「ありがとうございます」が、喉につっかえて出てこないことがある。
これが困るのです。何かをしてもらったら、ありがとうと言うのはあたりまえでしょう?
そのあたりまえのコミュニケーションがうまく言えない。
「あーーー、ありがとうございます」とか。
「ぁりがとうございます」とか。
あの手この手でごまかしている。
言葉がうまく出てこないときは、頭から冷や水をかぶったような感覚に襲われて、すぐに顔がカッと恥ずかしさで熱くなる。

社会人になるまで、別に「ありがとう」がうまく言えないことはほとんどなかった。
苦手な文字こそあったけど、生活に支障が出るレベルではなかった。
いまでは、はっきり言って生活に支障が出ていると思う。
困るんだ、これが。
言いたいことも、最初の文字がうまく出てこないことがわかると言えなくなっちゃうし。なにも言わないことで誤解も与えちゃうし。弁明も言葉がつっかえるからできないし。

頭の中では、完璧にこちらの意図を伝えられる文章ができあがっている。
文章を組み立てることばっかり上手で、それを音として口から発することは全然うまくいかない。
うまく言葉が出ない生活を続けていると、何かを伝えるのを諦めるようになってしまう
「あ、この言葉うまく言えないなあ……」
「恥をかくくらいなら、黙ってたほうがいいかもなあ……」
「別に言わなくてもいいかあ……」
みたいな。

生来口数が少ない人間ではないのよ、わたし。
言いたいことはたくさんあるし、もっと感情を言葉にして伝えたいのよ、わたし。
それが、スムーズにできないのってほんとうに苦しい。
どんどん口数が少なくなっていく。
最近わたしと出会った人からは「おにのすけさんって、口数少ないよね」とか言われてしまう。
いやね、いろいろ言いたいのよ。
性格とか吃音とか、いろんなバリアーがそれを邪魔しているのよ。




大学のころお世話になった教授から聞いた話だけど、吃音って怒鳴る親の元で幼少期を過ごした人に多く見られるそうな
わたし、それにあてはまる。
何かと怒鳴る父親の元で育ったのです。その話を初めて聞いたとき、やっぱそうなるよね、と思ったのをよく覚えている。
その教授は、続けてこうも言った。

「吃音の子どもって、音楽にのめりこんでいくのよ」

それについても、わたしはあてはまっていた。
わたしはね、歌をうたいたいのよ。
なぜなら、歌っているあいだは言葉がつっかえないから
伝えたいことが伝えられるから。言いたいことが言えるから。
大学時代も音楽系の部活で、部内ではそこそこ活発に活動していたくらいには歌が好き。
かの有名なScatman Johnがそう歌っていたよね。
スキャットマンは歌うときにはどもらないのさ、みたいな。

まあ、腹は立つよね。
子どもを怒鳴る親じゃなかったら、わたしはこんなに吃音で悩むことはなかったかもしれないし。
でも、吃音に悩んでいなかったら、歌に出会わなかったかもしれないし。
人生、何がきっかけになるかわからないよね。
わたしの吃音も、何かよいことのきっかけにならないかなあ。




吃音であることに、メリットなんてひとつもない。
すらすら言葉を話せたほうがいいに決まっている。
あ、でもメリットがあったかも。
生きていくなかで、自分と同じように吃音を抱えている人に対して優しくできる気がする。

わたしと同じくらい重い人にはまだ出会ったことがないけど、吃音を抱えている人に対して、どういう立ち振る舞いをしたらその人を傷つけないか、がわかる。

たとえばだけど。
つっかえている言葉を先読みして代弁しちゃうとか。
通訳みたいなことをしちゃうとか。
よかれと思ってやってくれる人にも出会ったことがあるけど、そういうのって当事者からすると実は逆効果というか。
ここらへんの心の動きは、また別のところで詳しく書いていきたい。


それでは今回もおつかれさまでした。
みなさま、よきコンプレックス克服ライフをお過ごしください。