『カウンセラーは何を見ているか』(信田さよ子著 医学書院)を読んで

 『カウンセラーは何を見ているか』(信田さよ子著 医学書院)を読了しました。その内容はもちろんのこと、その表紙や挿絵が非常に刺激的でした。流石に「信田節全開」と言える著書でしょう。
 ただ私は最初、この本を購入することを躊躇っていました。それはこの本の表紙が刺激的過ぎて拒絶反応が起きていたからです。しかし、この本の目次(「第1部 すべて開陳!私は何を見ているか」)を見てこれは買いだと直感し購入しました。その全内容の整理はできませんが、特に印象に残った文章を引用してその考察を中心に進めていきたいと考えています。
 特に印象に残った文章は以下の通りです。
 「思い切った言い方をすれば、カウンセラーとは、バーやクラブのチーママ、占い師、そして新興宗教の教祖を足して三で割り、そこに科学的な専門性という装いをまぶした存在である。これは私の長年の持論であり、水商売と占いと宗教の三要素がカウンセリングには欠かせないと考えている」(同著P65、「私」というのは著者のことです)。
 かなり吹っ切れた言い方ですが、利用者等としての個人的な経験からこの文章には説得力を感じます。カウンセラーやカウンセリングをあらゆる対人援助職や対人援助と変えて読んでも差し支えないと考えているからです。もちろん、現場の支援職の方々からは批判や猛反発が出ても何も不思議ではありません。ただ、私がカウンセラーや福祉等の支援職の方々を見てきた限りでは、「水商売と占いと宗教の三要素」(同著P65)を否認したらこの仕事は成り立たないと考えています。
 「水商売」であることはホステスやホストが客の話を聴くことを連想させます。対人援助職であってもそれは同じですし、その重要性を否定する人はいないでしょう。「占い」ということは、人の人生をアセスし、こうした方がいいと判断することを意味するでしょう。そして「宗教」とは、この支援者(=教祖)ならいい方向に導いてくれると利用者等が信じることを指すと言えます。これら三要素「を足して三で割り、そこに科学的専門性という装いをまぶ」(同著P65)せば対人援助職の「できあがり」です。
 確かに「水商売」「占い」「宗教」はかなり強い言い方ですが、このように考えたら、上記の信田氏の考えを否定はできないと思います。また、この考えはあらゆる対人支援職は利用者等に対してそれだけの「義務や責務」(同著P260)が発生するということでもあります。これら三要素を否定するということは、支援職としての「義務や責務」(同)を放棄することを意味することになります。では、この「義務や責務」(同)とは何なのでしょうか。
 それは「引き受ける覚悟」(同著P261)を意味していると私は考えていますー「クライエントの言葉を聞きながらいつも自問自答している。私はクライエントを引き受ける覚悟があるかどうかと。そのことを誰よりも厳しく査定しているのはクライエントである」(同著P261)。クライエントを利用者等、私を支援者と言い換えて考えてくださいー「水商売」「占い」「宗教」という視線を投射されても「引き受ける覚悟」(同)があるかどうかを。「この付託は、重いもの」(同著P260)です。私も中学校で相談員という立場を経験していますので、このように認識しています。また私もいずれは保育士として現場に立つ予定ですから、自身への戒めとしてもここで記しておきたいと思っています。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。


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