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チェンソーマン第一巻が発売されたのでジッとしていられなくなった(あごぶろぐ)

まずハッキリと言っておくが自分は週刊少年ジャンプをかなりの昔から愛読している。MONDAY……EVERYDAY……一週たりとも欠かさず続けてきた。結果どうなったか? 何を得たのか? 連載作品からオーラが感じ取れるようになった。オーラとは、氣。つまり気配のことだ。すごいマンガからは常にオーラが放出されており、展開に応じてオーラ量は増減を繰り返す。オーラがなくなったとしたらその作品が燃え尽きるときだ。オーラを最初からあまり感じ取れない作品は最初から死に向かっていき、最後にひときわ強く輝いて死ぬ。

自分はそれらを星々が瞬くのを眺めるような面持ちでこれまで見守ってきた。ときに冷ややかな気持ちになったり、真のつわもののオーラを放ちし作品が彗星になって夜空の向こうに突き抜けていくのを悲しい思いで見送ったりもした。そして来たる2018年12月3日……チェンソーマンが始まった。そのオーラは赤黒く、血しぶきそのものの色だ。耳を澄ますとどこからともなく駆動音が鳴り始め、ジャンプの紙面が慄くようにヴァイブレーションした。今日はチェンソーマンの一巻が発売されたのでかつて連載が始まった血生臭くも輝かしい日のことを思い出しながらこの記事を荒野に打ち立てるためにここに来た。

これは作者である藤本タツキの妹の宣伝ツイートだ。よくできた妹だと自分は感心した。今回は第一巻の発売を祝して公式に一話をこのツイートからぜんぶ読めるのでまだ読んでないヤツは読んだほうがいい。ジャンプ+でも確か読めたと思ったがこのツイートから読んだ方が完全に雰囲気が出るのでそれをオススメする。雰囲気はかなり重要だ。あんまり騒がしいところ、とやかく話しかけてくるヤツがいる状態での熟読は難しいから追手とかが付いている場合は路地裏とかで撒いてからじっくり読んでくれ。もしくは自分が囮になるからその間に読め。

読んだほうがいい」とか言うと「○○を知らないなんて人生の9割損してる」みたいな押し付け文言に思えてムッとするヤツもいると思う。上から目線に見えるかもしれない。だが・・・すごいマンガを旬なときに勧める、これはそのマンガの読者として当然の行動だ。マンガという一つの人生においてチェンソーマンという凄いママンガを読んでないということは実際9割どころか10割の損失を被って野たれ死ぬようなものなのでいま、絶対に読まないといけない。チェンソーマンは間違いなくジャンプの最新シーンの先を走っている。この荒野の果て……その向こうへだ。そうだ。あの土煙の向こうだ。見えるか? 自分には見えない。その見えないところへ向かって、突っ走っていく影が一つだけある・・・それがチェンソーマンとその乗り手である藤本タツキだ。

作者の藤本タツキと言えばファイアパンチの作者でもある。ファイアパンチ……これはジャンプ+に読むものが少ないまだ氷河期そのものだったような頃に突然に現れた燃え盛る男であり、こいつのパンチが凍てついた世界を切り拓いていって今の豊作のジャンプ+がある。地獄楽やサマータイムレンダがあり、滝波レモンがある。あの氷河期においてファイアパンチの炎で暖を取っていない者でも名前くらいは一度くらい耳にしているはずだ。第一話の時点でインターネット界隈ではちょっとした話題になったからだ。

だが評判から一話だけ見て、そこから追わなくなったヤツがたくさん出た。現代人は忙しく、無料で毎週読めても毎週読むのにある程度のカロリーが必要だからだ。とちゅうで諦めるのも致し方ないことだと言える。とはいえ一部の連中は「一話だけすごくてあとは失速した」とか勝手ばっかり言ったので自分は怒りの火山となって噴煙を撒き散らした。ファイアパンチは燃え盛る男や仮面のブリーフ男(こいつは腕から鉄とかを出してすごくカッコいい)などが出てきて殴りあい、映画を意識したような何段階もの展開の変化を交えつつも「なりたい自分になる」というテーマをちゃんと描いていたすごいマンガだった。完結に向かうまでの展開で言いたいことは幾つかあったが、それでも全体を通してかなり満足できるマンガだったので全巻を揃え、傷つかないように銀行に預けた。だがすぐ読みたくなったのでまた引き出した。

藤本タツキはファイアパンチでかなり斬新なあらゆる試みに挑んだ。良くも悪くもだ。自分はそういうファイアパンチのファイアパンチ具合をふまえてからチェンソーマンにあたったが、これは思った以上にかなり少年漫画しているので一話から虜になり、何度も読み返した。ジャンプがしわくちゃになるくらいに読み返し、いずれ一巻が発売されたらNOTEで記事を書こう……と思いながら酒瓶を抱えて寝た。そして今日という日が来た。覚悟しているか? 自分は今回ばかりは標的を逃す気はない。この記事で2人くらいには確実に買わせるつもりの文章を書く。それまでは一切退かない徹底抗戦の構えだ。FIREPUNCH&CHAINSAW……こちらのマーケティングが勝つか、そちらの意思が勝つかの戦争だ。火蓋は切って落とされている。もう後戻りはできない。さあ、拳を構えろ。

チェンソーが唸り、自分も唸った

実のところファイアパンチが割りと尖っている作品でアダルト描写も多かったので本誌に藤本タツキが現れることへの警戒は自分の中に渦巻いていた。「カラーページでいきなりSEXとかしてたらどうしよう・・・」そういう恐れもちょっとあったので自分は慎重になりながらジャンプの表紙をめくった。そこにいたのは物騒な会話をする主人公、デンジとマスコットキャラ感の漂うポチタ。そして牧歌的な日本の風景にトマトの悪魔が鎮座し……トマトの悪魔には目玉がたくさんついていた。

一ページ目からデンジは借金額と自らの臓器を切り売りしたことを些細なことのように語り、ポチタに呼びかける。ポチタは吠える。かわいいヤツだ。ポチたは警戒を促している……デンジの応答は「ポチタ~わかってるって! さっさと殺しちまうか!」デンジは途轍もない借金を抱えつつも殺伐とした世界観の中で前を向いている……そういうことが1PAGEですでに見えるわけだ。ではつぎに何を殺すのか? 読者は惹き込まれながら見開きという扉を開き……トマトの悪魔と遭遇する。

鮮やかなトマトの悪魔に落ち着きのある日本家屋の対比。たったの三ページでかなり多くの情報量を誇っているのにも関わらず長々とした文章は入っていない。自分は見開きを凝視しながら……喉が干上がっていくのを感じた。赤字のタイトルはチェンソーマンとある。チェンソーマン。チェンソー、そしてマン。オーラよりも肌感覚ですごいものが来たことがわかった。思わず冷蔵庫からライフガードを取り出し、三口ほど飲んだ。

あらすじ

あらすじを一応書いておく。舞台は悪魔が存在する世界の日本。後の方の話でソ連とか言っていたので21世紀の話じゃない可能性はある。だがそんなことは一話には関係ないのでとりあえず置いておけ。主人公であるデンジはクソみたいな親に借金を背負わされた孤独の身であり、しかも母親から遺伝した心臓の病気を患っている。ノー・フユーチャー・・・そんなしみったれた極貧生活を送りながら臓器や片目などを売りながら悪魔狩りを非公式に行うデビルハンターとして何とか生きているが、幸せな未来などないことを本人が一番よくわかっていた。だから親友であり協力関係でもある悪魔、ポチタとともに眠り、毎日幸せに過ごす夢だけを思い描きながら危険な仕事で食いつないでいた。

だがある日、デンジを雇っていたヤクザから裏切りに遭い不意を討たれて殺され、バラバラ死体にされてポチタともどもゴミ箱に棄てられてしまう。これはショッキングな光景だ。自分の口内が何度も砂漠の如く乾ききった一因でもある。だが……デンジは五体満足で復活した。なぜだ? チェンソーの悪魔であるポチタがデンジに心臓を譲ったのだ。その悪魔エナジーでデンジはよみがえり、ポチタは自らの夢をデンジに託した。デンジは人の体にチェンソーの悪魔の心臓を持つチェンソーマンになって、ゾンビの悪魔によってゾンビに変えられたヤクザをバラバラにする。波濤のごとき勢いで迫るゾンビの中から、チェンソーの振動が響いてくる。

次の瞬間、血が噴き出し、ジャンプの紙面がめちゃめちゃに黒く染まる。黒すぎてマジに滲んだようになっていた。爽快かつ容赦のないスプラッタシーン……思ったはずだ。ここは本当に少年ジャンプなのか? と。いたずら好きの妖精が気づかないうちに青年誌と取り替えたのではないか? 思わず表紙を見るが、週刊少年ジャンプと書いてある。間違いなく少年ジャンプの新連載なのだ。ビビったか? ビビったはずだ。自分はビビった。

とはいえチェンソーマンの本質はむごたらしい戦闘シーンにはない。直前の、チェンソーマンとして復活を果たす前のデンジとポチタの夢……そこに全てが詰まっている。デンジはいずれ自らが死ぬことを悟っており、そのときにポチタに自らの体を明け渡したいと先以て伝えていた。「ふつうの暮らしをしてふつうに死ぬ」という夢を自らが死んだ後にポチタに叶えて欲しいと願ったのだ。

デンジはどん底の生活の中でも真っ直ぐに生きており、親友であるポチタのことを顧みる心根のやさしさを持ち合わせている……ポチタは自分がデンジとなって生きるのではなく、デンジにこそ生きて夢を叶えて欲しいと思ったのだ。ここに二人の友情があり、よく似た献身の形がある。蘇った後にデンジが吠えた、「俺達の邪魔ァすんなら死ね」というセリフはデンジがポチタの思いを受け取ったことの証左だ。デンジはポチタの夢とともに生きることを決めたのだ・・・ダークヒーローアクションとは銘打っているものの一話からすでに明確に友情の物語であり、これは間違いなく王道の流れを汲む少年マンガなのだと魂に分からせられる。そういう一話だ。

夢を守るための戦い・・・

ここからは軽く一巻の内容にも触れていくがこれまで悲惨な境遇にあったデンジは実のところ一話の時点で大きく救われている。親友であったポチタが自らの心臓となったことで実態的な別れとなった点はデンジに影を落とすことになるが、そもそもデンジは心臓病を患っており先は永くなく、臓器もところどころないし借金に追われていた。どん底もどん底・・・それがチェンソーの悪魔と合体したことで心臓病はなくなり、借金の相手であるヤクザが肉片になったのでデンジはそれらの環境から抜け出したということになる。

つまり一話でけっこう救われたということだ。これが読み切りなら、どこか丘の上から街を一望し、背を向けてあるき出すデンジが映し出されたコマで終わりになっただろう。「そしてまた、あるきだす……」みたいな締めのアオリ文も左下に書いてあったかもしれない。だがそうはならない。チェンソーマンは読み切りではなく連載であり、公安のデビルハンターであるマキマが現れてデンジを引き取るからだ。デンジは否応がなくデビルハンターとしての新たな生活を始めていくことになる。これもまた悪い変化ではない。デンジは話が進むごとに人生の最高潮を更新し続けていくことになるからだ。

食パンにジャムも塗れなかった生活からうってかわり、デンジは公安の下で真っ当に生活できるようになる。ジャムをパンに塗り、サラダとコーヒー、デザートもあるという。女上司であるマキマは初対面のデンジを抱きとめ、やさしい言葉を掛けてくれた。しかも顔が良い。愛を知らぬデンジはマキマが好きになる。だが……マキマは魔性のものであり、恐ろしく純朴なデンジを操って体のいい手駒にしようとしている雰囲気すらある。マキマの目はちょっとこわい。顔は良い。

デンジはマキマと懇ろな関係になりたいが、これには様々な障害が存在する。デンジと同じ公安対魔特異4課に所属する先輩である早川アキ。デンジとバディを組むことになる魔人の少女パワー……デンジをはじめとして曰く付きの面々が集められた特異4課はデンジの新たな家であり、同時に違反行為があった際にデンジを処分する監獄でもあるのだ。上司であるマキマとお近づきになるにはまず、公安という組織に適応していかなければならない。


この作品の特徴はデンジ自身が一話ですでに境遇的には救われているという部分だ。差し迫って救わなければならない世界も大きな目標もデンジにはない。世界に散らばったなんか・・・そういうのを集めるための壮大な冒険などには出ない。デンジはパンにシナモンやジャムを掛けて食べて、それだけでかなり嬉しそうにしている。それを見て自分も嬉しくなった。だがデンジの周りはそうではなく、先輩の早川アキをはじめとする公安や警察などは悪魔に身内を殺されたり、家族を養うために命がけで戦っている。デンジ以外はシリアスなのだ。デンジもデビルハンターとなる以上は周りからシリアスであることを求められる……だがそこには温度差があり、普通に暮らしているだけで幸せなデンジはそうでない者との軋轢にデンジは次第に悩み始めていく。そこでデンジが見出したのが新たな夢のゴール……オッパイだ。

デンジは早川アキの話を聞いて目標への本気度こそが人をシリアスにするのだと捉えた。それ故に風呂に入り、飯を食え、女性と話せる環境から更に進み、女性の胸を揉む……そのアクションこそを夢のゴールに据えたのだ。これは別にエロコメディに向けてかじを切っているわけではなく、最底辺の生活をし教育を受けていないデンジにとって目的というのは最も身近な三大欲求などに寄っている、というわかりやすい心の動きから来ている。その他愛のなさは時に切なく、デンジ自身も少しずつ自覚的になっていく。こうしてデンジは早い段階から他の人間の夢との差を感じて焦りを抱きはじめ、やがてその感情は他人の夢への劣等感なども入り混じり複雑な色合いを見せ始める。

そんなことは文章として書いてあるか? 書いてはない。だがわかる。このマンガは一見線が荒いので雑味のある画風に見えるが一コマ一コマでちゃんと表情を描いているので落ち着いて読むとキャラクターの感情の変化がわかりやすいからだ。デンジは主人公だから特にそうだ。マキマは? マキマは……わからない。意図してわからないように描いているように見える。早川アキは? わかりやすい。こいつはまず良いヤツだろう。こうしたキャラクターへの印象を注意深く描き分けられるのが藤本タツキの技術だ。マンガはいちまいの絵ではないので画力以外の技術の方が求められるし、最終的にすごいマンガになるには画力だけでは到達できない一本の槍が必要になる。線が荒いか荒くないかは割りかしけっこうどうでもいい。すくなくとも自分はそう思う。

会話とストーリーはあえてゆっくりと進み、戦闘に入るとデンジのチェンソー紐をスイッチにして加速する。映画のアクションシーンの一部を切り取ったような豪勢な大ゴマの中でチェンソーマンが飛び、カタルシスを解放する……一つのマンガとしての面白さについて連載早くも極めていると言っていい。展開が遅いと何だかんだとケチをつけてくるヤツもいるかもしれないが、結局のところマンガというのはキャラの心の動きを丁寧にやってなんぼだと自分は思っている。もちろんその限りではないマンガもいくらでもあるが、いくら大きな目的を持っていても主人公の心が見えなければただの人形遊びになり下がる可能性が高い。これは共感だとか感情移入いぜんのキャラクターが魅力を持つための前提なのでほとんどのマンガに適用できる。

打ち切られていくマンガの数多くは主人公が言ってることがブレブレだったり、目標へのヴィジョンがいまいち分からなかったりする。読者の目を惹いて「なんだかすごいぞ」とさせるためにスピーディな展開を心がけたあまり、主人公自身の描写が置き去りになってしまうパターンだ。ジャンプの新連載にはよくある光景だが、逆に堅実に地盤を固めていくことで大成するパターンは数多く存在する。ワールドトリガーを知っているか? あれも最初はかなりゆっくりめに世界観とか組織を描いていたのでいつ打ち切られるかと自分はヒヤヒヤしていたし、ケツを叩こうとして躍起になってるヤツもいたが結果的には序盤からかなり丁寧に外堀を固めたこともあって、今では超有名なマンガの仲間入りを果たしている。あれに「遅効性SF」というキャッチコプイーを付けたヤツがいるらしいが、そいつの目はものすごく鋭い。

つまり展開がやや遅くても納得できるキャラクターを描き、いずれ訪れるカタルシスの解放さえあれば読者はついてくる。少なくとも自分はしっぽを振ってついていく。よだれも垂れるかもしれない。キャラクターの魅力というのはそういう丁寧さ、誠実さの元に生まれるということだ。その点でチェンソーマンはキャラクターをしっかり描き、その上でストーリーを展開している。自分はファイアパンチの頃から話のインパクトやバトルシーンよりも藤本タツキのそういう技術を信頼して票を投じている。

連載は関係ないワイルドネスで起きてる出来事ではない

チェンソーマンは今回、作者のいもうとが一話を丸ごとツィートするという宣伝でTwitterトレンドとかに入ったらしい。それ自体はかなりめでたいので喜ぶべきことだがこれでトレンドに入ったので連載も安泰みたいなリラックス気分になってソファにもたれかかったヤツはハッキリ言って甘すぎる。そんなんでマンガという荒野を生き残れると思っているのか? そのような見立てではちょっと楽をしようと乗ろうとした野生のリャマに蹴られて哀れな死を迎えるのもそう遠くない話であり、今すぐその態度を改めたほうがいい。

Twitterトレンドに入ったから=コミックスが超売れる、みたいなのはRPGの実況動画を上げるのはゲームの売上に貢献しているとかほざくくらいのフワフワ発言だ。自分はそんなたわ言を信じるほど優しくない。アンケートと売上が全てだ。そして現在、トレンド入りしただけでは結果はまだ目に見える形には出てきていないのですぐに油断できる状況ではまったくない。思い出してみろ。ファンアートが一部かいわいでウケたマンガはぜったいに死ななかったか? その話題だけで実際の連載が長続きしたか? 歴史はちゃんと物語っている。それを認めるべきだ。

連載マンガは作者とジャンプ編集のがんばり次第で全てが決まると思っていないか? コミックスが発売するまではだいたいその通りだと自分も思うが結局のところ売上に関わるのは読者だ。物理本誌のはがき、あるいは電子版から送信できるアンケートによるおうえんは掲載順位を決めるとイわれている。。そしてコミックスの売上。これらが唯一無二の真実だ。ゆえに自分は毎週欠かさずに砂漠の中心にあるポストへ向かい、うねりながら砂中から顔を出しえものを探すサンドワームから隠れながら物理はがきを投函しにいく。もちろん、一位はチェンソーマンだ。自分はアンケートを出し、コミックスを買い、一縷の望みをかけてこの記事を応援のために書いて立て看板としてNOTE大陸に突き立てる。全てはチェンソーマンというマンガが連載を続けてほしいからだ。だが同時にいくつかの障害の存在もシックスセンスで感じ取っている。我々が戦うべき障害……エネミーの存在を。

自分の完璧なアナライズによるとチェンソーマンには二つ弱点がある。一つ目はファイアパンチ偏見だ。ファイアパンチは一話だけが話題になり、ネット界隈は飽きやすいので連載を追わなくなったヤツが一話だけのマンガだった・・・とかすこぶる勝手なことを言った。これはさっきも書いたかもしれないから二回目になるが、そのくらい自分は怒っているということだ。ファイアパンチは最初だけ……チェンソーマンもきっとそう……そういうあほ丸出しの知ったかぶり偏見発言をするヤツに追随してしまう意志のよわいヤツがいるとチェンソーマンの足を引っ張る一因となってしまうかもしれない。

だが……マンガが本当に好きならネットの有象無象の声なんぞを信じるな。無論このNOTE記事も所詮は有象無象の一部なので全面的には信じるな。ただ、無料で読める一話だけで話題になるポテンシャルを持っているという厳然たる事実をふまえた上でチェンソーマンを一度は読んでみろ……それだけは言っておきたい。ついでにファイアパンチもたまにジャンプ++で無料期間とかをもうけたりしているので猛禽の如くチェックしていずれ手を出してみるといい。全然別物だがマンガとして両方おもしろい。

二つ目はチェンソーマンの作風が本来の少年ジャンプの読者層に合っているか? という問題だ。これは一見、非常に真っ当な危惧に見えるが意外とナンセンスだ。なぜならば本来の読者層というイメージ自体があやふやなものであり、危惧している読者本人自身がすでにティーンを超えていたりするからだ。よほど身近なところに小・中学生のジャンプ読者が10人くらいいてその少年少女とかから各作品ごとの印象データーをまとめて入手できるなら話は別だがそんな機会はまず少ないだろう。現実的ではない。だいたい自分は遠き遥か昔、古なりし過去にティーンという年齢を超えた気がするがそのときに青年誌とかに移行したりはしなかった。オールウェイズ・ジャンプを読んでいるしそれを恥じることはない。少年ジャンプは1968年に生まれたらしいのでそこから今週まで欠かさず読んでるヤツも中にはいるかもしれない。かなりのマイノリティかもしれないがいないことはないはずだ。

そもそもワンピースが今年で20周年とかになるらしいのでたとえ0歳から読んでいても今年で二十歳になり成人式に行き、ビンクスの酒も飲めるようになる。二十歳にもなればジャンプのトレードマーク海賊みたいな豊かなヒゲを蓄えられる歳だ。つまりどういうことか? マンガだけに関わらず長く展開されてゆくコンテンツを追う過程でティーンエイジを超えるのは今の時代においてさほどおかしいことではないということだ。

大人になったら少年マンガをふつうは読まないとかいうのは悪質なフェイクニュース……取るに足らないあほの言葉だ。実際の読者層はもっと幅広い。ついでに言うなら自分が子供の頃にチェンソーマンが連載されていたら絶対に読まなかったか? 理由は? 線が雑だから? 話にエロがあるから? 否……読まないとは必ずしも言い切れないはずだ。そして言い切れない時点で仮定の読者層などに意味はない。ただの不安の種だ。チェンソーで切り捨てて燃やしてしまえ。

本来のターゲット層向けじゃないので流行らないはず……みたいな勝手な悲観で何かを諦める理由はない。少なくとも読者層に合っているのか? などという繊細な疑問を抱くファンが一人いる時点で想定した読者層以外の一人がいることに他ならないからだ。こういう時こそSNSとかを見てみろ。「チェンソーマン」で探して引っかかったヤツらが小学生とか中学生じゃなければ大人のファンがいるので良し。もし本物の小学生とか中学生ならばそれはそれで良し。つまりどっちにしろ勝利できる。そもそも購買力のある層が本誌とかをちゃんと買って貢献してこそ本誌とか関連グッズは世に出ていくので買い支えていることを埃に思っても恥じる理由はこの荒野のどこを探しても存在しない。胸を張れ。

とどのつまり自分が言いたいのは応援したくば買え……ということ以外には何もない。「今後の展開しだいで買うかきめる」「1~3巻まで揃ってから買う」とか悠長なことを言っている余裕はどこにもなく、気づいた時には編集も漫画家も荒野の真ん中で討ち死にしている可能性がある……それがマンガの連載というシビアな生き残り競争だ。打ち切られるかをしんぱいしてツイッターとかで一日1000000ツイートくらいチェンソーMANについて憂いても集英社は見向きもしない。そんなことに意味はない。現代人は忙しいので意味のないことをしている暇はあんまりないはずだ。我々は意味のあることをして人生を豊かにせねばならない。では連載マンガにとって意味があることとは?

連載という果てしない荒野の中を歩んでいる作者に届くのはアンケートとファンレターとコミックスの売上……それのみだ。自分は「発売日から一週間くらいのマンガの売上初動が打ち切りとかに関わってくる」みたいなのを風のうわさで聞いてからはますます発売日に買うようになった。自分の住まう砂漠には本屋がない。ゆえにAMAZONで発売日に届くようにしたし、ちゃんと発売日に来てまんぞくした。

「あったら買う」みたいな文言をたまに見ることがあるがこれは甘い。よく行く本屋の店主がチェンソー・アレルギーという理由でチェンソーマンが一生置かれなかったら? そもそも買おうと思ってスキップしながら本屋にでかけた矢先、膝とかにファイアパンチを受けてただちに帰宅しなければならなくなったら? 買う予定だったチェンソーマンはどうなる? つまりそういうことだ。あったら買うどころかなくても買え。AMAZONAとか電子版でだ。今は身近なところに物体として存在しなくとも買える偉大な時代だ。こういう時こそぶんめいを有効活用しろ。

マンガという人生は自分の一部だというのに連載に対して他人事のやつが多すぎるので今回は一言申したくて記事を書きにきたのもある。アンケートなどに関してもだ。しょせん一票……そんな気持ちになってはがきを出さなかったり切手を買わなかったり、電子版のヤツは電子ジャンプを閉じてすぐにスマホエゲーなどを開いて日々のルーチンなどをやりだしたりしてアンケートのことを忘却していないだろうか? しょせんではなく一票は一票。マイナスでもゼロでもない、プラスだ。すなわち推進力だ。

自分はアンケートをポストに投函した瞬間にVIPスポンサーのような気持ちになりながら大手を振って家まで凱旋する。何ならパーティーを開くまである。二名様とかにしか当たらない懸賞PS4もVIPスポンサーである限りいずれ当たると信じて疑わない。良いか? 一通のアンケートも一冊のコミックスもマンガ連載という険しき道の先を照らす光になる。人生で自らが尊ぶコンテンツに一筋でも光を当てられるなら労を惜しむ理由があるか? 自分にはないのでこれからもバンバンやっていく。

チェンソーマンがこれからどうなるのか? それは作者とか担当以外には誰もわからない。わからないから面白いし、同時に応援の必要がある。自分はポチタと同じようにこれからのデンジの夢の続きを見たくなった。別の場所ではない、週刊少年ジャンプでだ。この記事を書いている間にSNSとかではワッと話題になり単行本購入TWEETも増えている。だが妥協はできないし常に推し続ける。

油断せずに一話からアンケートを出し続けていた鬼滅の刃はこんどアニメ化するらしい。そういう風に読者の援護射撃がジワジワ効いて結実している例は過去にいくらでもある。ではチェンソーマンなりの結実……ゴールは何だ? デンジの現在のゴール(一巻時点)はオッパイだが作品としてのチェンソーマンは? アニメ化か? 自分はどちらかと言うと映画化だと思っている。できれば海外でだ。チェンソーマンを読んでいるとたまにマンガではなく映画に見えることがある。そうなると成るべきはアニメよりも映画だろう。

未来を思い描くためにデンジは生きてきたし、自分も見習ってそうする。チェンソーマンの映画……いずれそれを見るためにアンケートを出し、コミックスも買う。この記事も書いてNOTE大陸に打ち付け、鎖を何重かに巻いて嵐とかで倒れないようにした。できる限りのことをやって次のジャンプ発売日を楽しみに待つし、それまでの夜をポチタはいないので酒瓶かぬいぐるみを抱えて眠ることになるだろう。ポチタのぬいぐるみ化とかいうのはどうだ? ぜひやってほしい。自分は買う。この夢もきっと悪くないアイデアだ。自分もデンジのように夢を描き続ける……。

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ドーモ! ドネートは常時受け付けています。 ドネートはときにおやつやお茶代に使われます。