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オクトパストラベラーで風景を見て哭き、震えよ(レビゥー記事)

BREAK&BOOSTまで伝授したことでもはや生半可な敵では主人公たちに
傷をつけることもままならなくなり、RPGのズブの素人でもこれならば
戦えるという自信がついた。だがオクトパストラベラーは延々と出てくる敵を倒し続けてリザルトを確認するだけのゲームではなく、旅をするゲームだ。旅……つまり歩いたり、走ったりする。そこには世界が広がっており、
自撮りインスタグァムなどにうつつを抜かして自分を撮り共有して反響をもらおうとする浅ましいヤツは足元を見ないしカラテもないので足を踏み外して崖の下に落下するというわけだ。そういう過酷な自然が主人公たちを迎える。だが安心して良い。

ここはロードラの大地、つまりル・オン大陸やガザ大陸ではなく息をするように町が滅びたり、帝国がクソみたいな余計なじっけんをして竜化症になって流れてきたなんかでなんやかんやあったり、そういうのはない。つまりモンスターとの遭遇にだけ意識を払っておけば序盤はまずそこそこ安全な旅路だ。そしてこの風景はとてもすごく、オクトパストラベラー制作チームはこれを作るために人間をやめ……おそらく違う何かになった。

そしてこれは自分の持論だが、ここでこうしてよくわからないテキストを
ドラゴンポテトを食べながらえんえんと書いていても自分は楽しいが、実は
あまりオクトパストラベラーをやろうという気になる人間はすくない。何故ならインターネット……特に皆が根城にし張り付いているSNSなどの界隈には
猫の画像や焼き肉の画像、射幸心を煽るガチャ10連などが流れ、
オクトパストラベラーをやらずにそういうものを見ていて……人生を過ごし……人はやがて死ぬからだ。そこに、このブロゴが入る余地はあまりない。このブロゴは自信満々だが人はガッチャや焼き肉に忙しく、まず長い文章を読むのはクソタルいからだ。

だが、実はSwitchには撮ったスクリーンシッョットを共有し、チュイッターやフェイスBOOKなどに流す機能が搭載されている。つまりこれを活用することで猫や焼き肉、ガチャ10連などの流れにオクトパストラベラーの画像を
差し込むことができるのだ。文明のもたらす堕落に打ち克つために、文明を使う。つまりこれこそフーリンカザンの極意というわけだ。

オクトパストラベラーで歩き、危険なモンスターに注意し、
風を浴び、プラムを食べ、立て看板を見る我々はそういうシェアリングなどの行為に薄っぺらさを感じるかもしれない。だが、オクトパストラベラーの風景が持ついだいな力を使い、旅人を増やすために利用しろ。この記事では自分が持ついくつかの旅の風景についてここがすごい、などと述べる。そういう力をたくわえ、いつか猫の画像に並ぶようになるための重要なインストラクションだと思ってほしい。

HD-2Dに哭く

HD-2D? つまり……どういうこと? ドットじゃないの?
とあまりこの方面に明るくないものはグラフィティのヤバさについてピンと来ない。だが、自分もそうだった。旅をするうちに何がどうヤバく、何がオクトパストラベラーの謳うHD-2Dなのかを理解していった。つまり、今よくわからなくても旅をするうちに分かっていく。何も知らないまま、飛び込む。旅の醍醐味だ。ここにかこつけて過去のゲーム史における風景のグラふぃック……SFCなどの黄金体験を元にしたり顔で語ってくる奴がいるかもしれない。そうでなくともクリエイターたちはSFCを信仰しており、何かにつけてワードに出てくる。だが、知らないなら無理に知らなくていい。
オクトパストラベラーは今、つまりナウの時代に生まれたゲームだからだ。

「HD-2D」というとつぜんのむつかしそうな用語にビビり、コントローラを取り落とすものがいるかもしれないが要するにオクトパストラベラーはグラフィックに気を遣い、遣いまくり、制作チームはたぶん気をおかしくし、人間を超えたものになった。人間を超えるとどうなるか? ニンジャになる。HD-2Dはそれと同じだ。2Dをさらに発展させたものが、HD-2Dだ。

これは狩人・ハンイットが盗賊のテリオンと劇的な出会いを果たすことになったボルダーフォールの町だ。この町はローストビーフ丼めいた赤い巌壁に沿って造られていて、おそらく酒がうまかったり、マズかったりする。いつも渇いた風が舞っていて、ヒンプの差が激しく貴族は上層に、貧民は下層で暮らしている。さて、この風景から感じ取れることを説明していく。あまりむつかしく考えることはない。感じろ。そして全てを理解した時、心から震え上がり、我々は哭き叫ぶだろう。

まず、巌壁の隙間からちょうどよくハンイットと幾つかの階段に
光が差し込んで照らしている。全体的には暗い。つまり、陰影がしっかりとついていて光が当たっているところだけが柔らかく輝いている。手前には木々が写っているがピんトがズレて、ややボヤけていることがわかる。右上には貴族のデカい屋敷があるが、ミニチュア感があり、そして木箱とかツボがある。冒険していれば絶対に分かることだが、奥行きがあるのだ。2Dだが、奥行きがある。つまりただの2Dではない。
3Dてき表現を取り入れた、進化した2D。それがHD-2Dだ。それをまず理解しよう。

オクトパストラベラーの街道じゃない場所はほぼ暗い。全く見えないことはないがまず暗くてよくわからないので先頭に立つハンイットは油断なくランタンで辺りを照らしているわけだ。そしてたまにある篝火などはそのPointから光を放ち、壁面や地面にうっすらと光を照り返させている。人が入らない場所は容赦なく暗く、そして暗がりからこちらをじっと見ている影が当然ある。ここで腰抜けのレビゥワーなどは「全体的に暗くてよくみえない」「あかりがよわい」などとあほ丸出しの発言をしては自分の格を落とし続け、こいつがグラデュエーターだったらこのチンケなナイフしか持たない
あほ中のあほになけなしの金貨を賭ける奴は誰一人としていない。
まずすぐに死ぬからだ。こいつの末期の台詞は「あかりがよわい」になる。救えないやつだ。

明かりが弱く全体的に暗いのは当然だ。人があんまり入らないからだ。
手入れもされず、薄汚れた身なりのヤバい薬などを取り扱っている連中などが通って非人道的商売などに使いそうな場所に懇切丁寧にランプを等間隔で置き、手すりをつけてバリアフリーにも配慮し、お香を焚いて良い匂いをさせて歓迎する奴がいるか? 
オクトパストラベラーの冒険の舞台は腰抜けのレビゥワーが通りやすいように配慮してくれるわけではない。そして、主人公たちはそういう場所の闇を切り裂いて、己の信念を貫き通しながら目的を果たすために歩む。そのためのランタンだ。そしてタフな旅に慣れると洞窟のちょっとした光や、神秘的な霧などに禅を感じてワクワクしたりするようになる。成長した証拠だ。誇りに思おう。

HD-2Dは町の温かみから風景の美しさ、そして時には残酷な自然や
恐ろしい深淵をもくっきりと映し出す。それは表裏一体であり、どちらかだけを受け取ることはできない。だが、このおおよそイカれているとしか思えないこだわりきったグラフィックが伝えたいことはオクトパストラベラーという世界そのものだ。
別にHD-2Dの何たるかを知ったからと言って被写体深度が……などとか面倒なことをしたり顔で語ったりする必要はない。どこにどう光が当たっていて、綺麗だとか。霧がモヤモヤしていて、先が見えなくて、凄いだとか。こわいだとか。そういうことを言えばいい。語彙や小うるさい比喩表現はいらない。伝えるべきことはすべて、HD-2Dが雄弁に語っているからだ。

感動してから撮影せよ。

自分はオクトパストラベラーのレビゥー生地をやろうと思って
画像をアルバムで開き、UNIXへと送る準備をする中であることに気づいた。
一見すると何のために撮ったのかよくわからない写真がたくさんあるからだ。だがそれは自分が雷撃のごときインスピレイショーンを受けた時に震える指でスクリーンショットボタンを押した時の写真であり、全てが感動の記憶なのだ。

オクトパストラベラーの風景写真をSNSを上げ、せんでんする。これは
非常に尊い行為でありファンピクチュアなどが描けない人間でもできる
素晴らしい活動なのだが、だからこその落とし穴がある。共有し、SNSに
アッポするためだけに写真を撮る……そうした時、我々はインスターグラムで撮った写真で反響を得るために旅行するヤツとまったく同じになってしまって、ミイラ取りがミイラになって、さらにミイラになったまま自撮りまでしかねんからだ。オクトパストラベラーの風景はどこも美しい。だが、反響を得るために写真を撮り、上げるのはだめだ。ここがウケそうだから撮るというのは帝国に捕まってサイコパス科学者(オリヴァーとかだ。あいつはヤバい)が行う非人道的実験に参加させられてもおかしくない大罪だ。

これは神秘的な銀世界の光景だ。この時、自分は道に迷い恐ろしいダイアウルフや白熊などに追いかけ回されて疲弊し、血反吐を吐き、雪に取られる重い足を引きずりながら歩いていた。この苦境の中でまったく道という道は見えず、道を示してくれる立て看板があったと思ったら枯れた木だった。つまり、かなりデスパレートな状況を写している。決して楽しい気分ではない。だが同時に視界を覆い尽くす雪が煌めき、遠くの雪山の輪郭すらもおぼろげになる中でスピリチュアルの息吹を感じた。
つまりこれはそういう写真だ。空いた宝箱と、雪と、枯れた木と、迷い続けるパーティーしか写っていない。だが、かけがえのない記憶なのだ。

オクトパストラベラーの世界を巡っていると感動するタイミングが幾つもあり、もう数え切れない。だがその中から世間にウケそうなものを勝手にランキング付けしてからシェアーするのはやめよう。自分が強く何かを感じたときだけにするべきだ。そうしなければ、自分の思い出も安く、ウン時間並んでから写真を色んな角度で撮るパンケーキと同じくらいの価値になり下がってしまうからだ。そういう俗世のアレコレをBREAKし新たな世界に旅立つためにオクトパストラベラーを買ったのにまたぞろそういうのを気にして写真を上げるのはしょうもない。

木箱とか、革袋が置いてあるのを一行がじっと見ているだけの意図のわからない写真にもしかしたら世間はまったく興味を示さず、相変わらずガチャを10連続で回して一喜一憂したりするブルシットの中に
我々のオクトパストラベラーの風景は埋もれてしまうかもしれない。だが、それでも良い。気づくやつは気づくし、気づかないやつはいつまでもBBキューとかをしている。それはありゅ種の真理だ。

そして逆に言うと操作する自分は一行と共に世界を巡る画家であり、インスピレイシヨンを受ける場所を巡るために共に歩んでいる……そういう覚悟のできたロールプレイの上でならば写真を撮るために世界を巡るのも良いだろう。かなり底知れずクールで良いアイディアだからだ。
このゲームはそういう自由を持っている。想像力の翼で羽ばたいていけ。

あと、もう一つだけ言っておきたいがこのゲームは幾つかの地方に分かれていてそれぞれのBGMが違ったり、気候がガラッと変わったりする。そして
その地方と地方の境目は気候や土、植物などが切り替わっていくことを
つぶさに描写していることがわかる。あんまり細かく言うとそれぞれの
オクトパス体験の気づきを減らしてしまうので、わざとこのブロゴのレビゥーではあんまり詳しくは語らない。自分で見て、気づいたりするのが絶対たのしいからだ。

奥行きのあるこのゲームでは宝箱が実際どこにあるのかがよくわからず
迷い、カエルや毒サソリに追い回されて疲弊し非常食のプラムも底をつき、
気持ちがBOOSTできない時もあるかもしれない。だが不親切ということはつまり、それだけ自然の風景が描かれているということだ。言うまでもないが人の手で自然をいしきし、創り出すことは難しい。それは神の領分だからだ。つまり、オクトパストラベラー制作チームは人の視点を捨て、半神的存在であるニンジャになった。そうまでしないと、このえーちD-2Dは生み出せなかったからだ。全てが覚悟の上だったと言える。

インタビューではそんなことは言っていないが、絶対そうだ。

自分はRPGにくわしくないが、オクトパストラベラーの表現が
新世界の扉を開けたことは皮膚感覚でわかった。空気感が教えてくれたからだ。間違いなく最先端を行きながらも、昔のtaste……ドット絵の温かみなども大事にしている。つまり過去と現在、そして未来を司っている。

尻込みしていて中々スイっチ、そしてオクトパストラベラーを買えないものもいるだろう。そこそこの値段がするからだ。
だがハッキリ言ってクソみたいな10連ガチャや焼き肉を少し控えると、
じつは買えることがかがくてきにも証明されている。
ぜひ扉を開きこの新世界にたどり着いて欲しい。この黄金体験はきっと
感性をかくじつに磨き、現代の俗事にまみれて錆つき輝きを失った者を
本物にしてくれる。まず間違いない。保証する。オクトパストラベラーを遊び、風景を見ながら歩き、哭き、震える。その一連を体験した時、既に体から錆が剥がれ落ち、現れる者はTwo-handed swordのごとき重量と切れ味を持って生まれ変わっているだろう。

以上だ。

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