話したいことが話せる友達。

私には脳内で「中学までに出会った友達」と「高校以降出会った友達」をなんとなく分けている。

「中学までに出会った友達」で今も連絡を取ったり、ご飯を食べに行ったりするのは幼馴染の2人だけだ。
「高校以降出会った友達」で今でも連絡をとるのは、高校時代の部活同期2人と、高校卒業後に行った留学サポートスクールで出会った1人。

ここからわかるように、私は友達がたくさんいるわけではないし、もっと友達がたくさん欲しいと思ったこともない。しかしこの少ない友達の中でも上の2人と下の3人とは話す内容が全く異なる。

「中学までに出会った友達」とは主に地元のことや、学校生活の話を話す。そして毎回、誰が一番に恋人ができるかという話にうつる(私たち3人は3人して一度も恋人がいたことがないからだ)。私も高校時代までは、恋人がいたことないという事実をコンプレックスに感じていたし、欲しいと思っていた。しかし、後述の留学サポートスクールで出会った友達と出会ってからその考えは変わり、今は前ほど「いないと恥ずかしい」や「いたことがないと馬鹿にされる」といった恐怖感は覚えていない(むしろそういう反応をしてくる人とは距離を置けば良いと学んだ)。
地元のニュースや、誰が最近こうなって、、、などという話を聞くのは毎回楽しいし、私の行ったことのない日本の大学の話を聞くのも楽しい。しかしそれだけなのだ。満足してるかと聞かれれば答えは「いいえ」になる。

反対に「高校以降出会った友達」とは地元も違うので、前述したゴシップのような話はない。たまに、高校時代の同級生の近況を聞くくらい。
高校以降出会った3人とは主に、フェミニズムやLGBTQの話をする。むしろ教えてもらうことのほうが多い。そういう話題を「楽しいよね」と言ってくれるし、意見交換がしやすい。
留学サポートスクールで出会った友達に関しては、その子に「LGBTQ」のことも「フェミニズム」のことも教えてもらったいわば師匠だ。その子にLGBTQのことを始めて教えてもらった日のことは日記に詳しく書いてあるし、今でも読み返すほど。最近では政治のことも教えてもらうくらいの師匠である。
高校時代の同期とも、その師匠から学んだ「LGBTQ」のことや「フェミニズム」のことが話せる。どの国でのフェミニズムがどうだとか、男女平等ランキングがどうだ、同性婚がどうだ、などの話もできる。ノンバイナリーやaロマンティックなどの話がいちいち説明しなくても通じる数少ない友人である。ご飯などに行ってひとしきり語った後はとてつもない充実感があるし、また会いたいと思える。

1年ほど前、幼馴染2人とご飯に行ったときに思い切って「LGBTQ」の話題を振ったことがある。その時の2人の反応は「LGBTQて何の略なの?」や「いやあ、私の周りにいたことないけどいても全然いいよ」などといった、言ってみれば「よく見るマジョリティの反応」だった。質問をしてくれたり、ネガティブな反応ではなかったという事はすごく嬉しかった。しかし、興味関心の方向性が私と全く違うという事もわかった。幼馴染とは「語る」ことは出来ないなとはっきりわかった瞬間だった。

他の話題で言うと大きく2グループの違いを感じたのは「選挙」だった。
私はもともと選挙に行くことがない人間だった。母親も行っていなかったので「行かなければならない」という意識が全くなかった。
師匠に選挙のことを教えてもらってから、選挙に行くことの大切さを知って、ここ1年くらいは母親を連れて選挙に行っている(母親は私の話した政党に入れるだけで、何の選挙なのかもいまだに認識しないほど選挙に興味がないが)。
高校時代の同期2人は選挙にも行くし、政党の話、総理大臣についての意見交換、天皇制の話もしたことがある(師匠は言わずもがな選挙に行っている)。
幼馴染2人は、前に選挙の話をした時も「行っていない」と言っていたし、政治に興味がなさそうだった。

私も、中学や高校の途中くらいまでは幼馴染側の意見だったと思う。それがそのあとに出会った友達によって個人的にはかなり良い方向に変わった。変えてもらった。
幼馴染を見ていると過去の自分を見ているようだし、高校以降の3人を見ていると将来私もこうなりたいという憧れを抱く。

どちらが好きだとか嫌いだとか言う話ではない。ただ、完全に見えてる世界が違うグループの友達だなとは思う。そして、私は高校以降の友達と意見交換ができる人間になったことを嬉しく思う。

締め方がわからないし、衝動的に書いた文になってしまった。
もし、最後まで読んでくださった方がいれば、本当に感謝です。

これからも、沢山のことを学び続けて、意見交換や学び合いが出来るような人間でいたいです。

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