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第1話「生まれつき地黒なの?」前半

 このところ「マイクロ・アグレッション」として知られるようになってきた、言う側にとっては多分何気ない、言われる側にとっては強烈な言葉たち。そして、そうした言葉の持つ問題が伝わらないままに溜まる「わだかまり」。今回は、最近、TwitterなどのSNSで改めて関心が集まっている、「肌の色」をめぐるわだかまりについて書いていきたいと思います。

 私の父はインドの南、小さな島国のスリランカ出身です。スリランカにはいくつかのエスニック・グループがありますが、その中で父はアフリカや中東にルーツをもつとも言われている「ムーア」人※1。そして母は富山出身の日本人。

 そんなふたりの間に生まれた私は、いわゆる「ハーフ」で、「ダブル」や「ミックス」と言われることもあります。当然「ハーフ」だからきっちり半分なんてあるわけもなく、私の外見は限りなく父に近く、周りの人に比べると肌の色も濃い。そのせいで、幼いころから肌の色に関して悩むことがしばしばありました。とはいえ、そこは肌の色。悩んだところでどうしようもないところも大きい。諦めや慣れも相まって、年齢を重ねるにつれて日常的に悩むことは少なくなっていきました。それでも、今でも否が応でも周囲との違いを思い知らされることがあります。

(1)バイト先での経験で感じたこと、考えたこと

 これはバイト先での話。当時、流行していたヨガスタジオで私はフロントスタッフのアルバイトをしていました。ある日、初めてお会いするヨガインストラクターのAさんに挨拶をした時のこと。ユニフォームを着て、受付に立っている私に対し、彼女はいきなり「生まれつき地黒なの?」と言い放ちました。

Aさん「生まれつき地黒なの?」
私「あ、え、はいまぁ」
Aさん「そうなんや~私もめっちゃ焼けててさ」
私「はぁ…」
Aさん「もう戻らんから諦めてるんよ~」


どうでしょうか。
もしかしたら、彼女の言葉は何の問題もないように思えるかもしれません。けれど、この言葉は私の中でいくつかのモヤモヤ=わだかまりを生み出しました。

わだかまり① 初対面で聞くこと?

 まず大前提として、これが初対面の場で繰り広げられた会話であることを念頭に置いて考えてみて下さい。初めて会った人から自分の肌の色について聞かれるのは、いい気がしません。
 また、私はいわゆる南アジア寄りの外見ですが、もし、いわゆる「ブラックアフリカ」系の外見だったら、Aさんは生まれつき地黒かどうか聞いたでしょうか?そんなことをしたら彼女は間違いなくレイシストだといわれるでしょう。だからこそ、このあいまいな質問を真っ先に差別発言だと自覚できないという点に、当事者として恐怖を感じます。

わだかまり② 色白こそが”美”!?

 質問の前提となる価値観が垣間見えるというのも、モヤっとするポイントです。もし私の肌が色白だったら、彼女はなんて声をかけるのでしょうか。「羨ましい~」「綺麗なお肌ですね」「どうしたらそんなに白くなれるんですか?」といったところ?間違っても「生まれつき色白なんですか?」とは聞かないだろう。なぜなら、Aさんのような価値観を持つ人にとって色白であることは、美を追求する女性が目指すべきものであるから。色白な人を前にしたときは褒めるか、羨ましく思うか、アドバスを求めるか、のいずれかになる。 
 そもそも、肌の色にはバリエーションがあることを知っていて、それがAさんにとって身近なことであれば、わざわざ気にすることもないはずです。その質問をする前提に、彼女にとって「地黒」が「生まれつきでないもの」「身近でないもの」だといいうことがすぐにわかる。一方、私にとってこの肌の色は「生まれつきのもの」であり、「身近なもの」です。だから、目の前にいる人の肌が白かろうが黒かろうが、わざわざ気に留めることもありません。

わだかまり③ 日焼けと「同じ」じゃない!

 上記の会話の後、さらに、Aさんは「私もめっちゃ焼けててさ」と続けました。ここもモヤつきポイントで、私の地黒と彼女の日焼けは、まったくもって別物なのに、「わたしも」と言って「同化」させようとしてくる。生まれつきの肌の色と、後からこんがり焼けた肌を同列に並べています。
 (え、やめて、一緒にしないで、)なんとも不愉快で心の声が今にも飛び出して来そうでした。極め付けに「もう戻らんから諦めてるんよ~」という言葉には、焼けている肌、つまり濃い色の肌はネガティブなものとして捉えていることが前提としてあるように感じます。戻したいけど戻れないから「諦めている」と言っているように聞こえます。「生まれつき地黒なの?」という言葉にも無自覚であろうとネガティブなものがふわっと潜んでいて、そのふわっとしたいや~なものが当事者に伝わり、あーなんかしんどいな・・となります。こういった微妙なニュアンスを含む言葉によって、前回記述したように、なんとも言えないモヤモヤした「わだかまり」が溜まっていき、私たち当事者を苦しめるわけです。彼女の言葉によって私の心はぐちゃぐちゃになっていきました。彼女の目の前にいる私は後から肌が焼けたのではなく、生まれつき肌の色が濃くて、それは諦めでもなんでもなくて、自分の身体的表象のひとつなのに。私の肌の色は誰かに良し悪しを決められる筋合いもない。と思っていても、その場では何も言えず、わだかまりを抱えたままその後も何食わぬ顔で働き続けました。

 日焼けと生まれついての肌の色を同一視することは、社会的にも広く見られます。数年前に、若手芸人Aマッソが大坂なおみ選手に対して「漂白剤。あの人日焼けしすぎやろ!」とネタの中で差別的な発言をし、炎上したことを覚えている方も多いと思います(※2)。ここでも同じく「日焼け」というフレーズがみられます。同じように肌の濃さは生まれつきによるものではないと考えている、あるいはそう捉える事になんの問題もないと思っていたのでしょう。

 以前、白人男性にナンパされ、肌の色が濃いから素敵だと口説かれました。彼らにとって濃い色の肌は、「日焼け」をしなければ手に入らない。あるいは「日焼け」しても赤くなるだけの場合も。白人系の方の中には、濃い色の肌を羨ましく思う人がいるので、これもまた厄介です。けれど、いわゆる「黒人系」やそれに近いルーツを持つ人は、生まれたときから肌の色が濃いのが当たり前で、焼けたから濃いのではない。生まれついてもったものと後天的なものは違う。違うものを同じというのは、端的に言って間違いです。

以上、バイト先でのやりとりから感じたこと、考えたことを綴っていきました。長くなるのでいったん前半はここまで!


※1 Wikipediaでは「ムーア人(英: Moors)は、北西アフリカのイスラム教教徒の呼称。主にベルベル人を指して用いられる。」と説明されている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E4%BA%BA#:~:text=%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2%E4%BA%BA%EF%BC%88%E8%8B%B1%3A%20Moors%EF%BC%89,%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%97%E3%81%A6%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82

※2 大坂なおみへの差別ネタ、若手芸人Aマッソが謝罪「笑いと履き違えた最低な発言だった」https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5d8ab7a4e4b08f48f4ac5fe5









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